そんなエサには(改)
「釣り野伏」という戦法がある。日本の戦国武将島津義弘が使用した戦法だ。
まずある部隊が敵の前面に躍り出て攻撃、その後負けたふりして逃げる。
勝った気になった敵は追撃戦を開始し、前進する。そして敵を自軍にとって優位な地点にまで誘い込み、そこで隠れていた兵と共に敵を包囲殲滅する……という戦法だ。
今回はこの戦法を使ってみた。
最初に水球で挑発する。この時マリノフスカさんと一緒に攻撃し、彼女だけ一時的に隠れ、俺が全力で逃げる。
こうすることによって敵は「あいつらは2人で逃げてる」と錯覚しやすくなる。
それにガチギレして周りが見えなくなってる集団だったから、錯覚しやすくなった……と思う。
あとは広場でマリノフスカさんと俺で不意打ちのし合い、3人を戦闘不能にした。こちらの被害はなし。完全勝利と言ってもいいだろう。
そんなようなことを、女子寮へ向かう道中で彼女に説明した。
「ふーん……。こうして聞いてみると結構単純な作戦なのね」
まったくもってその通り。考えるとバカバカしくなってしまうくらい幼稚な戦法なのだ。
この戦法、説明するのは簡単だけど実行するとなるととても大変である。
仮に、敵が周囲を偵察する人間を配置していたら? 敵に状況を冷静に判断できる人間がいたら? 俺が逃げるよりも速い人間がいたら?
もしそうだったらこの作戦は失敗してた。20回殴られた後毛根を燃やし尽くされただろう。
今回はたまたま相手が「そんなエサに釣られるクマー!」な人間たちだったから、そして信頼できる味方がいたから理想的な釣り野伏ができたのだ。
「それで、もう一つ聞きたいことがあるんだけど」
「なんでございましょう?」
「私たち、なんでコレ運んでるわけ?」
コレ、というのは今俺たちが引き摺りながら運んでいる気絶した人のことである。
「まぁ、これからの事もあるしね」
「これから?」
こんな怒りっぽい人、あの場で放っておいたらどうなるか。絶対に復讐しようとするに決まってる。さらに厄介な仲間を集めるかもしれない。
法務尚書の息子として厄介な圧力をかけてくるかもしれない。
というわけで、そんな事をさせる前に手を打つ。
なんだかんだと会話しているうちに女子寮の入り口前についた。男が来れるのはここまでだ。これ以上先に進めるのは女性だけ、という校則があったはず。
あー、でも俺今日入学したばっかの10歳児だからそんなこと知らないやー。
「ち、ちょっと! 何勝手に入ってるのよ! あんた変態なの!?」
マリノフスカさんが必死に止めてくる。止める前にこの人ハゲ運ぶの手伝ってくれませんかね。一人じゃさすがに無理だ。
「変態ではありません。仮にそうだとしても変態と言う名の紳士です」
「意味が分からないわよ!」
駄目か。いや俺は疾しい気持ちがあって女子寮に侵入したんじゃない。女子寮に夜這いを仕掛けるのはもっと後にしたい。
「マリノフスカさん、縄か何かありますか? この人を暫く拘束できるのを」
「……えっ? 変態だと思ったらもしかしてそっちの趣味だったの?」
「いい加減変態から離れてください」
俺はホモでもサディストでもない。
マリノフスカさんは訝しげな視線を俺に投げつつも、縄をどこからか持ってきてくれた。
「で、どういうことなの?」
「いえ、この人を暫く女子寮に放置しておこうかと思って」
「はい?」
うん、わかってくれないか。
「分かりやすく言うとこの人には変態になってもらいます」
「変態ってならせられるものなの?」
出来るんじゃない? 薄い本じゃよくある展開だ。
それはさておき。
「もうちょっとわかりやすく言ってくれない?」
「あぁ、それはですね。この人はなんと! か弱い女子を襲う目的で女子寮に侵入したんですよ! とんでもない変態ですね!」
「……ハァ!?」
つまりはこういうことである。
この人ハゲは放っておくと面倒な存在だ。復讐するために変なことされたら無力な俺らはたちまち潰される。じゃあ潰される前に潰すしかないじゃないか。
と言う訳でこの人は女子寮侵入という規則違反をした変態として学校中で噂になってもらいたい。上手くいけばそのまま退学してくれる。
お父さんが法務尚書だと刑事罰はいくらでも揉み消すことができそうだけど、風聞とかそういうのは消すのは難しいからね。
……うん、良心の呵責がないわけじゃないんだ。けどそれ以外方法が思いつかない。それにこいつ自身に非がないわけじゃない。
か弱い女子を複数の男で壁際に追い詰めていじめてたのだし。広場にいた残りの面子はどうしようか、とも思ったけど2人で運べるのはこのハゲ1人が限界だ。
見せしめに1人が変態、もとい人柱になれば大人しくなるだろ、ってことで。
「……」
もう一方の当事者であるマリノフスカさんは面白い顔をしていた。こういうのなんていうんだったけな。あ、そうそう。
「鳩が豆食ってポーみたいな顔してますね」
「……あ?」
あれ? 違ったっけ? まぁいいや。
さて、こいつはもう縄で縛ったし、俺も変態と勘違いされる前に自分の寮に戻るかな。
「あとのことはマリノフスカさんにお任せします。また明日、教室でお会いしましょう」
「……」
「あのー?」
なぜか彼女からの返事がなかった。もしかして怒ってるのかな? なんか顔が真っ赤だし。
「……え」
「はい?」
「名前!」
「名前? 間違ってました?」
「そうじゃなくて、いい加減その『マリノフスカさん』って言うの禁止!」
「……なぜです?」
「気に入らないからよ!」
はぁ……。よくわからん奴だ。
「じゃあなんとお呼びすれば?」
「普通にサラって呼んで。あとその気持ち悪い敬語も禁止で」
「禁止が多すぎませんか」
「禁止」
「あのー、マリノ」
「禁止」
痛い痛い痛い肩そんなに掴まないで折れるから!
「わかったわかったマ…サラさん離して! 骨が折れる!」
「さん付けも禁止!」
「また禁止!?」
「いいから!」
「サラ!」
「よろしい」
彼女はそう言うと、やっと俺の肩を解放してくれた。骨にヒビ入ったかもしれない……。
「じゃ、私はあんたのことユゼフって呼ぶから」
「どうぞごじゆうに……」
ここで文句言ったら本当に骨を折られそうだ。
「じゃ、明日からよろしくね。ユゼフ」
「はい……よろしく、サラ」
◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「おーい、サラー? サラさーん? 生きてるー?」
……ハッ。いけないいけない。何やってたっけ私?
「サラさーん?」
とりあえず隣の馬に乗るのが下手な奴は殴っとこう。
「だから、さん付けは禁止って言ってるでしょ!」
ボコッ、と癖になりそうなくらい良い音が鳴った。
2つの意味で、私はユゼフに救われた。
上級生からの集団暴行の危機にあった状況から救い出されたのが1つ。
そして、漠然とした不安に苛まれていた状況から救い出されたのが、もう1つだ。
たぶんこの時に初めて、私は大切な人の為に戦うという事を知ったのだと思う。