駐在武官
シレジア王国の王都シロンスクは都会である。そう思ってた時期が私にもありました。
11月17日。俺は新たな勤務地であるオストマルク帝国の帝都エスターブルクに到着した。そこで目にしたのは「華やかな街」だとか「芸術の都」などという表現だけでは物足りないくらいの大都市だった。
例えるなら、進学のために岡山に引っ越してきた農村出身者が「岡山って大都会だなー」って思っていた後、野暮用で大阪に行ったら大阪があまりにも栄えていて腰を抜かしたという感じに近い。大阪行ったことないけど。
軍の馬車に揺られること20分弱、俺はやっとシレジア大使館に到着した。
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「申告します。この度、閣下の次席補佐官を拝命しましたユゼフ・ワレサ大尉です。宜しくお願いします」
馬車の中で何度も練習した言葉を、俺の目の前にいる男にぶつける。
「報告ご苦労。知ってると思うが、私はオストマルク帝国在勤シレジア王国大使館附武官のルーカス・スターンバック准将だ」
実物を見るのは無論初めてだが、スターンバック准将のことは事前に渡された書類で知っていた。彼は中老の男性で髪は既に白いが、髭はない。体は武官らしく筋肉質っぽい、服の上から見てもがっちりとした体をしているな。
「しかし書類に書いてあったからわかってはいたが……君は本当に若いな。それに大尉か。さぞ運がよかったのだろうね」
運がいいのは否定しないが、完全に運による功績だと思われるの癪だな。言わないけど。
「恐縮です」
「ふん。まぁいい。戦闘でそれなりの武勲を立てたと聞いているが、ここでそんなものは無用の長物だ。しっかりとここの仕事を覚えることだ。暫くは首席補佐官の指示に従え。それと、大使との挨拶も忘れずに。何か質問はあるか?」
「ありません」
「では、下がってよろしい」
はぁ、緊張した……。
なんでこう着任の挨拶ってしなきゃいけないんだろうね。先に書類送ってんだからそれで良いじゃん。そう心の中で愚痴りながら部屋を出ると、別の男がいた。見た目年齢は20代後半の黒髪オールバック、そして軍服を着ている。階級章を見ると少佐だった。
とりあえずの敬礼はエチケット。
「君が新人のワレサ大尉だね?」
「はい。そうです少佐」
「うむ。私はスターンバック准将の首席補佐官レオ・ダムロッシュ少佐だ」
「次席補佐官を拝命しました、ユゼフ・ワレサ大尉です。至らぬ点が多いとは存じますが、ご指導ご鞭撻、よろしくお願いします!」
ダムロッシュ少佐の案内で俺は特命全権大使らへの挨拶を済ませ、そしてそして大使館内を案内される。隣国で、そして元大国の大使館と言うこともあってかシレジア大使館はそれなりに大きい。大使館は、本館と別館からなる。本館がいわゆる大使館、別館が大使公邸だ。
「我ら駐在武官を含め、全てのシレジア人の館員は大使公邸に宿泊することになっている。君の部屋番号は404だ」
大使館と一口に言ってもいろんな人がいる。特命全権大使、特命全権公使、参事官、書記官、事務官、駐在武官、調査官、警務官、医務官、そして現地募集の職員などなど。全部合わせて20人程度。大国になると当然この数字は増える。例えば在オストマルク帝国西大陸帝国大使館には100人程の職員がいるそうだ。よかった、シレジアが中小国で。さもないと100人もの大使館員を覚えるなんて俺の情けない記憶力じゃ無理だ。
「今日はもう遅いので、具体的な職務については明日説明する。何か質問は?」
「ありません」
「そうか。ではゆっくりすると良い。そうそう、言い忘れていたが大使館外へ出る場合は当然だが勤務時間以外で、そして書記官以上の者に報告してから行くように。いいな?」
「はい」
「よろしい。では、ゆっくり休みたまえ」
自分の為に用意された部屋に入った途端、俺は着替えもせず正装のままベッドに倒れ込んだ。
疲れた。猛烈に疲れた。いろんな人に会っては「クソガキ」だの「農民」だの後ろ指を指され、年齢・経歴・勲功詐称を何度も疑われた。興味本位で、もしくは冗談で言ってる人が大半だが、中には本気で疑ってる人もいた。その筆頭が大使館附武官のスターンバック准将なんだけどね。
俺はシレジアから持ってきた鞄の中を漁り、目的の物を取り出した。それはエミリア王女殿下から渡された資料だ。
その資料を渡されたのは休暇最終日、あの酒の席のことだ。俺は、その時の会話を鮮明に覚えている。そんなに飲んでなくて良かった。
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時は遡り、11月9日。クラクフスキ公爵家応接室にて。
「ユゼフさん。オストマルク帝国へ駐在武官として着任するに際して、注意していただく点がいくつかあります」
「なんでしょうか?」
俺は酔い潰れて爆睡しているサラの頭を膝に乗せながら、エミリア殿下の言葉に耳を傾けている。
「在オストマルク帝国シレジア王国大使館は、大公派の巣窟と言われているのです」
エミリア殿下はそう切り出すと、ソファの脇に置いてあった鞄の中から資料を取り出し、俺に渡した。1ページ目を覗いてみると、人の名前と役職、そして身分などが事細かに書いてあった。つまり、これは在オストマルク帝国大使館の名簿ということかな。
「全権大使、公使、大使館附武官は勿論、末端の書記官や事務官に至るまで、大公派が仕切っているのです」
「それはまた……敵地ですね」
「はい。ですので、言動には注意してください。特に、現地でリンツ子爵と接触する際には」
「わかりました」
敵地に一人か。こりゃ結構きついな。孤立無援、地理不案内の異国の地。コネなし身分なしの15歳が乗り込むなんて嫌だな。
「辛いことは承知しております。ですが、私には信頼できる人がユゼフさん以外には……」
「わかっております、殿下。必ず殿下の期待に応えられるような仕事をしてきますよ」
「……ありがとうございます。本当に」
いいってことよ。それに、タルタク砦警備隊作戦参謀補の仕事よりは楽しそうだし。
「では、続きを話します。……ユゼフ・ワレサという名の士官候補生は、十中八九大公派に知られていると思います。それにこの屋敷は、現在大公派の人間が監視しているでしょう」
「……それは、わかります」
大公の政敵である王女殿下がクラクフスキ公爵家に人を集めている、なんて情報が大公の耳が入ったら監視の一人や二人をつけるだろう。
「この屋敷の中は安全です。ですが、屋敷外ではわかりません。そして国外ともなると……」
俺を暗殺しようとする奴が来るかもしれない、ということか。やれやれ、そこまで偉くなった覚えはないんだがなぁ。
「でもその場合、私よりも王女殿下自身や、ラデック、そしてサラなんかも危険にさらされるのでは?」
「……そうですね。その点はわきまえております。その点は、ローゼンシュトック家やクラクフスキ家の者にも伝えてあります。ですので、国内にいる分には、派手な動きはできないでしょう。警務局や内務省の監視もあります。それに内務尚書は、今の所私に味方してくれているようですので」
内務省が味方。恐ろしい。内務省治安警察局なんてものがあるからね……。
「ですが、国外は手が届きません。ですので、その手の者に十分注意してください」
「わかりました。ですが……知っての通り、私は喧嘩に弱くてですね。あんまり期待しないでください」
サラに決闘で負けたばっかりだからね、本当に自信がないのですよ。そんな不安を醸し出す俺に対して、エミリア王女殿下は微笑みながら言った。
「ダメです。生きて帰ってくれなければ、私が困りますから」




