サラ・マリノフスカ撤退作戦 ‐本戦‐(改)
「うーん……随分派手にやってるわね……」
目の前で繰り広げられている幼稚とも言える追いかけっこと薙ぎ倒される木々に唖然としつつも、私は茂みに隠れながら息を潜める。
……息を潜める必要はないんじゃないか、ってくらいあちらは大変なことになっているが。
でももし万が一ばれたらユゼフ・ナントカの毛根が燃え尽きるかもしれない。
別にあいつの毛根の生死なんて興味はないが、自分のせいでケガをされたら困る。
だから今の所は静かにしてよう。
私は足音を立てないよう慎重に、事前に言われた通りに行動する。
◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「あぁ? お前1人か?」
「俺が2人以上に見えますか?」
「チッ。てめぇは囮か。女は今頃女子寮ってことか」
うーん、意外とこのハゲ男頭回るね。いささか短慮すぎる気もするけど、そこはさすが5年生ってことかな。
「お前のその勇気に免じてやる」
「逃がしてくれるんですか?」
お、優しい。紳士だね。
「いや、20発くらい殴らせろ」
「あ、ですよね」
殺す、と言わないあたり社会的な風聞を気にしてるのかな。四男とは言え、伯爵の息子って大変ですね。
はてさて、マリノフスカさんは上手くいったかな。
一方あのハゲ――名前なんだっけ? タルタルソースさんだっけ?――はゴキゴキと指を鳴らしながら子分と共にこちらに近づいてきている。
うーむ、任侠映画のワンシーンみたいだ。
……ふむ。彼らとの距離はおよそ20メートルってとこかな。
「お前の負けだ。せいぜいあの世で後悔するんだな」
殺す気満々じゃねーか。
「お言葉ですが先輩、私は負けを認めていませんし、無論死ぬつもりなんてありませんよ」
15メートル。
「あぁ? 何言ってるんだ」
10メートル。
「先輩の方こそ、寮に戻って反省会でもすべきです」
5メートル。
「何言ってるんだお前? オレのどこに反省する要素があるんだ?」
タル以下略先輩がゲラゲラと笑いながらそう質問してくる。
「それは勿論」
1メートル。
「信用できる仲間がいなかったこと、ですよ」
「あ?」
タルなんとか先輩は俺に何かを言う前に、悲鳴を上げた。
◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――15分前。
「作戦を説明するよ」
「えぇ、聞いてあげるわ!」
何かいい手を思いついたらしいナントカの目が輝いていた。心なしか彼の顔も活き活きしているし、おそらく考えるのが好きなのだろう。
「まずは、敵から150メートルくらい離れた場所から水球を俺とマリノフスカさんで同時に撃つよ」
……はい?
「でもそこから撃っても当たらないと思うわよ?」
「当てなくてもいいよ。あいつらが俺らに気付いて追いかけてもらわなきゃいけないから」
何を言ってるんだこいつ? もしかして私って信用されてないの?
「あー……、まぁ、そういう反応するのも無理はないね。順を追って説明するよ」
「えぇ、ちゃんと、わかりやすく頼むわね」
そうでないと頭に入らない。
「えーっと、まず水球を撃ったらマリノフスカさんは適当な場所……通りの脇の茂みにでも隠れてほしい」
「あんたは?」
「俺は囮になってあいつらを女子寮から引き剥がす」
……ブチッ。
私の頭の中で何かが切れた音がした。
「つまりあんたが囮になって走ってる間、私が女子寮に逃げ込め、ってことね?」
はぁ、何を言い出すかと思えばこれか。これだから男は困る。自己を犠牲にして女を守るのが最上級の正義だと思ってるのだ。
確かにそれで男に惚れる甘っちょろい女はいるだろうが、私は守ってもらうのは嫌だ。なんのために、この学校にいると思ってる。
イライラする。よし、ここは数発殴って……。
「いや、それだと困る」
握りかけた拳が空中で止まった。
え? どういうこと?
「君が逃げたら、せっかくの勝機も逃げてしまうよ」
うまいこと言ったつもりか。
「じゃあどうすればいいのよ?」
「簡単さ。あいつらの背後からこっそり近づいて欲しい」
えっーと、それってつまり……?
「つまり、さっきとは立ち位置を変えるってこと」
◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
タル先輩の背後には、どこで拾ったのかは知らないが木刀程の大きさの木の棒を持った赤髪の少女が立っていた。
彼女は先輩の背後から首の後ろを思い切り殴ったのだ。うん、凄い痛そう。
タル先輩は多少よろめきながらも振り返り、彼女の姿を確認する。
「てっ、めぇ……!」
後ろからだからどんな顔してるかわからないが、口調から察するに怒り6割、困惑4割と言ったところだろう。
他の面々も唐突な来客人の登場に驚き、振り返ってしまった。つまり俺に対して背を向けたのだ。
彼女の方は特に何も言うこともなく、ハゲに向かってさらなる攻撃を加える。
先輩がまだよろめいている隙に、彼女はまず鳩尾を一突き。前傾姿勢になったところで、棒を振りかざし後頭部にさらなる一撃。意識朦朧となってふらつく先輩に、トドメと言わんばかりに股間を思いっ切り蹴り上げた。
……なぜだろう。俺が蹴られたわけじゃないのに股間が縮こまっている。
このわずか数秒でリーダー格のタル先輩は完全にノックアウト。その場で蹲り、動かなくなってしまった。
死んではいないと思うが、死ぬほど痛い思いをしてるだろう。
周りの取り巻きも状況を完全に呑み込めずにいるようだ。俺の事なんてたぶん頭にないな。
仕方ない先輩たちだ。思い出させてやろう。
俺はハゲの右隣にいる、いかにも下っ端雰囲気を醸し出してる男の後頭部に至近距離で水球を放った。
命中の瞬間「ドゴン」と綺麗な音がした。これだけ近いと威力が凄まじいので脳震盪起こして失神するだろう。最悪頭蓋骨が割れてるかもしれないが、その程度なら医務室に行きゃ治るでしょ。この世界の治癒魔術がどの程度のものか知らないけど。
「後ろにも気を配った方が良いですよ!」
俺がそう言うと、残りの敵の注意が一斉にこちらに向いた。混乱してるってのもあるだろうけど、単純だなお前ら。
「こっちも気をつけなさい!」
さらにマリノフスカさんが声を荒げる。その声に反応した割とイケメンの一人がマリノフスカさんに向き直……れなかった。
振り向いてる最中に彼女が棒を野球のバットみたいにフルスイングしたのである。おかげでその男は顔面に攻撃を受けてしまった。
ほら、アレだよ。顔面セーフだ問題ない。
戦闘開始十数秒にして決着はついた。リーダー格のハゲとその仲間たち2人が戦闘不能になり、残りの2人はビビッてどっかに逃げてしまった。
マリノフスカさんは追撃しようとしたが、止めておいた。これ以上は過剰防衛だし、逆撃を食らってしまう可能性もある。
俺が制止すると、彼女は一瞬不満気な表情をしたものの、納得したのか足元で顔面を両手で覆って呻き声を上げている男の腹を蹴った。容赦ないな。
ともあれ、俺らは勝ったのだ。上手くいってよかった。




