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大陸英雄戦記  作者: 悪一
悪夢の続き
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逃避行の先に

「殿下のご様子は?」

「……疲れているようで、今はぐっすり寝ている」


 野営用の天幕から出てきたマヤ自身も、疲れ切った様子で答えた。そのあまりの顔に、彼女――ランドフスキ男爵の令嬢であり、エミリア王女やマヤらの数少ない同士であり友人であったイリア・ランドフスカも驚いていた。

 彼女もそんな顔をするのかと。

 マヤとイリアは旧知の仲ではあるが、マヤがそんな顔をすることもあるのだと。

 

「そう……。マヤも折を見て休んでね。酷い顔をしてるよ」

「そんなに酷いか?」

「うん。今にでも倒れそう」


 生憎、この逃避行に鏡などという貴重品はなかったためにマヤは自身がどんな顔をしているのかはわからない。

 しかしイリアにしてみれば、マヤの顔には死人と区別がつかないほどには生気を失っていると感じられていた。


「だが、私にはやることがある。殿下を安全な場所に避難させるのは陛下から与えられた命令でもあり、私の個人的な使命でもある」

「そうは言ってもまだ先は長いんだよ。それこそ、君がここで倒れたら殿下の不安が増すだけ……、今は私もヘンリク先輩もいるし。私たちに任せてよ」

「それもそうだが……。そう言えば、そのヘンリク殿は何処へ? 姿が見えないよう……と言うより、野営地自体少し騒がしい様子だが」


 マヤの指摘に、イリアはバツの悪そうに答える。


「面目ない話。数名の脱走兵が出たからヘンリク先輩の部隊から捜索部隊を出したら、その捜索部隊が丸ごと脱走したのよ。1個小隊まるまる消えたわけ」

「…………」

「捜索部隊の捜索は、先輩の判断で行わないことにした。これ以上の脱走を防ぐことを主眼に置くってさ」

「だが、止められないだろう。今、私たちには彼らを留めておくだけの求心力がない」


 マヤのその発言に否定の言葉を出そうとしたイリアだったが、寸前でそれを止めた。イリア自身、それが事実であることを知っているからである。

 そしてどんな慰めの言葉も、意味をなさないほどに状況は深刻であるとも。


 現在、エミリア・シレジア王女を中心とした王都シロンスク脱出部隊は、シロンスクの市民、並びに周辺集落の住民を合わせて数万の軍勢が列をなしている。

 その中の大半は、武器を持たぬ一般市民であり、女子供、老人も多い。武器を持って戦えるだけの人間は、多く数えても全体の2割程度しかいないだろう。


 当然彼らは長距離の移動に慣れておらず、多くの家財道具を馬や牛に牽かせている。

 食糧品、医薬品は常に不足しており、衛生状態は極めて劣悪であり、そしてそれらは秩序の崩壊を招いている。

 かろうじて、王女という存在と、共に脱出を図る王都防衛師団及び近衛師団の秩序維持活動が最悪の状況を回避しているが、逆に言えばそれだけが救いである。


 それでもなお、マヤは粉骨砕身の限りで友であるエミリアを安全な場所に避難させようとしている。その様子に、イリアは多少の違和感を覚えた。


 イリアは思う。そう言えば、自分は殿下とマヤの関係を全て理解しているわけではないと。彼女らの馴れ初めや、互いに結ばれている絆の意味を知らない。そして今現在、マヤが何を想っているのかも。


「……ねぇ、マヤ。陛下から、何を言われたの?」

「…………」


 途端、マヤの顔が暗くなった。

 彼女からは、陛下から承った「勅命」の仔細を知らない。聞くところによれば、エミリア王女はフランツ陛下と会うこともなく王都脱出を迫られているとも。


 親子仲は悪くなかったはず。

 たとえ時間が差し迫っていたとしても、最後の別れを言うくらいの余裕はあったはずなのに。


 それらの疑問に、マヤは何も答えなかった。




---




 当時、王都シロンスクの賢人宮は大混乱だった。軍のほとんどが東大陸帝国軍に振り向けられており、王都に残っているのは少数の治安維持用の部隊のみ。とてもリヴォニア貴族連合軍の全面侵略に耐えられる数と質を持っていなかった。


 誰もが慌てふためき、貴族の中には絶望のあまりに自ら毒を仰いだ者もいたという。


 そんな混乱の中で、マヤはひとり国王フランツの執務室に呼び出されたわけである。


「失礼します、陛下」

「あぁ。よく来てくれた、マヤ殿。早速で悪いが時間がない。手短に伝えるよ」


 挨拶も礼儀もそこそこに、フランツはマヤを出迎えた。


 マヤは、この国王フランツが苦手だった。

 苦手と言うより、嫌いだった。


 彼が、弟の大公カロルほどの政治手腕や冷徹さを持てていたら。あるいはもっと前、彼が一端の近侍と関係を持ってさえいなかったら、と。

 その場合、シレジアはもっとマシな運命を送っていたのではないかと。


 勿論、そうなればエミリア・シレジアという存在はこの世にはなかったことになる。マヤにとって唯一無二と言える存在、それをこの世に生まれさせたことだけが、国王フランツ唯一の善政だったのではないかと思ってしまう。


 しかし、心の中ではどう思っていようとも今は関係のない話。


 マヤは、この男から飛び出る言葉を待った。それ次第で、王国の存亡、そしてエミリア王女の未来が変わるのだから。


「マヤ・クラクフスカ。貴殿に命じる。我が娘、エミリア・シレジアを貴殿の命に代えてでも安全な場所まで避難させよ。これは私からの最後の勅命である」

「…………」


 マヤは、黙って首を垂れる。

 もとより、命令されずともマヤはそうするつもりだった。

 たとえフランツが自身の命や名誉惜しさに娘を帝国や連合に差し出すつもりだったとしても、それを為すつもりだった。


「ふっ、やはり恰好はつかんか。今日までの状況は、ほとんど私が招いたものだというのにな」


 フランツのその言葉に、マヤはつい顔を上げた。

 マヤ自身も、今日までの状況を作り出した人間の一人だ。正確に言えばクラクフスキ公爵家が、だが。クラクフスキ公爵家の叛乱、それに続く公爵家及び大公の帝国亡命、そして帝国軍の全面侵攻。

 彼女には公爵家の娘として、その責任の一端を担っていたはずなのに。


「私は良き王でも、良き父でもなかった。歴史は私を暗愚な王と罵るだろうし、劣悪な父だと蔑むだろう。だから……というわけでもないが、私は最後の責務だけは全うしたい」

「……陛下、それは」

「別に私は死ぬつもりはないし、連合の奴らも私を殺すつもりもないだろう。どこか遠くに飛ばされて、名ばかりの貴族位を貰って、死んだような生活をするとは思うがね」


 フランツの顔には、焦りの表情も、怒りの表情もない。あるのは悲しみの表情だった。そしてそれは自身がこれから置かれる状況を思ってのことではなく、一人娘の成長を見ることが出来なくなることへの哀愁だったのではないかと、マヤは思う。


「マヤ殿。エミリアには好きなようにさせよ。何をするでも、何者になるでも構わない。私の仇討をするもよし、私のことを忘れて悠々自適に過ごしてもよし。エミリアに任せ、そして君はそれを支えてほしいのだ」


 その言葉に、マヤは感情の高ぶりを必死に抑えた。


「陛下、あえて申し上げます。……陛下のその判断は、エミリア殿下をもっと苦しませることにはなりませんか。殿下に、国を見捨て、父をも見捨てさせるなど」

「そうだろうな、あの子は聡明だし、こんな私でも父と思ってくれている。許してくれないだろう。……だが、これは私の最後の勅命(わがまま)だ。嫌とは言わせん」

「……せめて、せめてそれは殿下に直接仰られるべきでしょう」

「それはダメだ。私は意志の弱い人間だということは君も知っているだろう。そんな私が最後にエミリアと会ったら、情が勝って覚悟が揺らいでしまう」

「…………」


 よくもこれで、国王、そして父親が務まったものだとマヤは感心した。


「……私で、よろしいのですか。私は裏切り者の娘です。陛下のご信頼を裏切るかもしれません」

「その言葉で以って、信頼の証となり得るだろう? 君はエミリアの最高の友であると、私は信じている。……もし、君が裏切ったら私に人を見る目がなかったことが再確認されることになる」


 マヤは思う。

 自分のこと、そしてエミリアのことを。


 ある意味において、これは代償であり報いなのだと。

 なればこそ、自分は国王フランツの我が儘に従わざるを得ないのだと


「――勅命、謹んでお受けいたします。我が命に代えてでも、エミリア殿下をお守りいたします」



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