名誉ある死、屈辱的な生
2月26日。
解放された帝都エスターブルクの中央行政区画で、俺は久しぶりに彼らと再会した。できれば再会したくはない人間と。
「ユゼフくん、また世話になったね。この恩、大きすぎて返せそうにないよ」
「いずれ返していただきますよ、リンツ伯」
ローマン・フォン・リンツ伯爵。オストマルク帝国で最も敵に回してはいけない男である。
「フィーネだけではもはや足りないか。ご所望なら、クラウディアもつけようか?」
「それはご勘弁ください」
「なに、遠慮することはない。あいつも君のことは気に入っているからね。なんなら、そっちが正妻でも私は何ら問題ないよ?」
私が問題にしているのはそこじゃない。
この人の言動と言うのはいつも予想できないものだ。そして腹で何を考えているのか、企んでいるのかも全て予想できるはずもない。
オストマルク帝国情報省は、情報戦において世界最強クラス。それを統括する人間の腹の内など、わかる方がおかしいというものだが……。
「本当ならクーデンホーフ侯も、クラウディアも君に会わせたかったんだがね。やることが多くてな」
「ご心中、お察しいたします」
敗残兵たちの処理、解放した帝都の処理、捕虜の処理。やるべきことは多いが、それはシレジア王国軍が主導すべきことではない。あくまでこれは帝国内部の戦い。
面倒な後処理は全て帝国に任せてしまおう。俺たちにもやるべき仕事はある。
「私の方は部隊を纏めて、急ぎ祖国へ帰らねばなりません。なにせ並々ならぬ戦況、明日にでも東大陸帝国が攻勢に出てシロンスク陥落となるかもしれませんからね」
「そうだな。情勢と言うのは常に移ろい行くもの。急いだほうがいいだろう。……お互いにな」
俺たちがここまでやってきた意味を、リンツ伯はちゃんとわかっているようで安心している。
シレジア王国軍は、別にボランティアでやってきたわけじゃない。オストマルク帝国を安定化させ、東大陸帝国という共通の敵をシレジア王国から排除するためである。
既にウィストゥラ川東岸地域を制圧されているシレジア王国に残されている時間は少ない。むしろ、まだこの程度で済んでいることが驚きなのである。
「それでは、少々名残惜しいですが失礼させていただきます」
「あぁ。気を付けてな。それと、死なないように」
「善処いたします」
リンツ伯の下から離れ、ラデックやサラたちの下へと合流しようとした。その時、彼女にばったりと会った。
……ばったりと、ではないかもしれない。どうも、俺とリンツ伯の会話が終わるのを待って、ばったりと会ったことにしたい彼女の策謀が見え隠れしていた。
「フィーネさん、今回の作戦、ありがとうございます」
「……いえ」
フィーネさんは俺の言葉を素直に受け取らず、目を背けた。
何か内に秘めていて、それを打ち明けるかどうか迷っている。そんな目の逸らし方である。もう長い付き合いになるから、表情の変化に乏しい彼女と言えどもある程度予測はできるものだ。
ただ、それをこちらから深く聞いてもいいものなのかと迷う。
俺と彼女では、課せられている責務も、持っている情報も、守らなければならない対象も違うのだから。
オストマルク帝国は寛大な国家に見えて、その内実はとても冷徹なリアリストだ。国家としてはそれが正しく、むしろシレジア王国が少しロマンチシズムに堕ちているのかもしれない。
嫌な予感はある。予感と言うより、予測に近いが。
もしフィーネさんが何かを知り、何かを見て、そして決断を迷っているというのなら、俺は同じ職業軍人としてこう言おう。
「……フィーネさん。もしあなたが敵から名誉ある死と、屈辱的な生、その二択を迫られたらどうしますか?」
「えっ? それは、その、どういう……?」
「まぁ、答えなんてありませんよ。ちょっとした知的好奇心と言う奴です」
「はぁ……」
混乱するフィーネさんだったが、少し悩んだ後、こう答えてくれた。
「……名誉ある死、でしょうか。屈辱に塗れて生き永らえる、そんな私の姿は想像できません」
「なるほど。確かに、私にもフィーネさんがそうなる姿は想像できません。逆に私は、名誉ある死を受け入れる自分なんて想像が出来ないので、屈辱的な生を受け入れますね」
俺が殉教者や殉職者として命を捧げる姿が想像できるだろうか。俺には無理だった。
「ユゼフ大佐らしいです」
「えぇ。私たちは、生まれた場所、生きていた場所、背負うべき責務も、何もかも違いますので」
「…………」
フィーネさんはまた困ったような顔をしていたが、気にせず続ける。
「ではフィーネさん、あなたの『国家』は、どちらを選択すべきだと思いますか?」
「……それは」
彼女は口をつぐんだ。
国家は、名誉ある死と屈辱的な生、どちらを受け入れるべきか。
それはもう言うまでもない。
俺とフィーネさんは何もかも違う。
シレジア王国とオストマルク帝国も、やはり違う。
けれど「国家」が担う命題は、それがどんな国家だろうと同じだ。そしてそれを自主的に実行でいない国家に代わって遂行する存在が、俺たちみたいな存在なのである。
「私は殉教者にはなれません。けれど私は為すべきを為します。フィーネさんも、きっと同じだと思いますよ」
伝わっただろうか。
見当違いの助言だったりしないだろうか。この期に及んで不安に駆られてしまい恰好がつかないところが俺らしいと言えばらしいが。
「…………はい。大丈夫です」
フィーネさんは頷き、こちらを見つめてくる。数秒ほど目を合わせた後に、彼女は言った。
「大佐――いえ、私のユゼフさん。どうかご無事で」
「えぇ。お互いに」
この物語はフィクションです。
大国が小国に適当な大義も作らず攻め込むわけなないじゃないですか




