帝都攻囲戦 その6
情勢が変わったのは、2月16日のことだった。
帝都を守護し、帝国へと侵入してきたシレジア王国軍と対峙するオストマルク帝国軍(クーデター軍)が、それを見たのである。
その情報は瞬く間に全軍を駆け抜け、司令部の耳にまで届くことになる。
「なっ、まさか、それは本当なのか!?」
「間違いありません! 既に前線は混乱状態にあり、統制もままなりません!」
5万の軍隊が、5万の烏合の衆に変わる。
何を見たのか、それは説明せずともわかる。帝国軍人ならば、それを見ればわからざるを得ない。帝国軍司令官シュヴァイガー元帥の目には、ハッキリとそれ――そのお方が映る。
「フェルディナント陛下……なぜ、そこに!?」
フェルディナント・ヴェンツェル・アルノルト・フォン・ロマノフ=ヘルメスベルガー。
現在皇帝を自称するヴァルター・アウグスティーン・ダミアン・フォン・ロマノフ=ヘルメスベルガーの手によって廃位された男である。
つまるところ前皇帝である。
しかし前皇帝と言えど、普通、自国軍と相対している敵のど真ん中にいるはずもない。その先帝陛下が、シレジア王国軍と共にいるとなれば、部隊が混乱するのは当然と言える。
そしてその先帝陛下が直々にこう宣言するのだから、事態に拍車がかかる。
「我が愚息、ヴァルターは我が帝国の真なる敵である。彼奴の手により余は皇帝位を不当に簒奪され、帝国に不利益をもたらし、愛する臣民の血を平然と流す存在である。余の愛する臣民諸君、武器を向けるべき相手を間違えるな!」
自分たちが正義だと思っていた軍隊、忠誠心の対象となる皇帝が、実は皇帝位を簒奪する不届き者でしかなく、正義も何もないのだと先帝は言う。
このことは、やはり当然のことだが自称皇帝陛下も突然のことで反応が遅れ、公式声明が出るのも、命令を下すのも遅かった。
その間にも、帝国軍の間には「自分たちこそが帝国に歯向かう国賊なのではないのか」という不安が充満していくことになる。
それが全軍に広がれば、士気統制がどうと言っている場合ではなくなる。
「騙されるな! あれが本物の陛下なわけあるか、先帝陛下は帝都の宮殿に――」
「しかし閣下! 宮殿には既に敵軍が侵入し先帝陛下を『救出』したとの噂も――」
「そんなことは、ただの噂にすぎん!」
噂は噂。上層部も、ヴァルター皇帝もこの時はそう思っていた。
しかしながら、彼らは前線で戦う兵士たちの気持ちを終ぞ理解できなかった。彼らにとって、噂だけで十分なのである。
「俺たち、国賊になっちまうのか?」
「あぁ。もしそうなれば一族郎党皆殺しでも文句は言えないぞ」
「い、今からでも遅くない。逃げよう。今ならまだ間に合うはずだ!」
そして末端兵士の気持ちをよく理解できていたのは、誰にとっての皮肉なことなのか、帝国情報省の人間だったことは言うまでもなく、情報省の工作員は彼らの気持ちを存分に利用し、弄んだ。
帝国軍に広がる不安と、士気統制の瓦解。
それを見逃すほど、目の前の敵は無能ではないことは誰もが知っている。
「全部隊、前進せよ」
「ユゼフ。ただ前進するだけか?」
「あぁ。一種の示威行動……でもそれで充分さ。今や帝国軍は腐った納屋だ。ドアをひと蹴りすれば、納屋全体が崩壊する」
ユゼフ・ワレサの言葉通り、先帝フェルディナントと共に前進する王国軍2万を、帝国軍5万は受け止められなかった。穴の開いた堤防のように決壊した帝国軍は、散発的な抵抗を示したものの、ほとんどの兵士、下士官は我先にと逃げていく。
「サラ。近衛騎兵は逃亡した部隊を追わなくていい」
「じゃあ、私はなにをすればいいわけ?」
「敵司令部周辺の部隊は士気統制が整っているみたいだ。彼らを蹴飛ばしてくれると助かる」
頑強な抵抗を見せていた、総司令官シュヴァイガー元帥が指揮する司令部直属の部隊。数は3000ほどだったが、よく動き、よく粘り、よく戦って見せた。
善戦、と言ってもいいだろう。
それがシュヴァイガー元帥という人間の能力の高さであり、そして彼の限界でもあった。
そこをサラが率いる近衛師団第3騎兵連隊が先陣を切って突撃する。
「敵は所詮少数! 力の差を見せつけてやりなさい!」
燃えるような赤髪の美女が、鬨声を上げながら突撃する。そして当然のようにその美女が先頭だった。
知らぬ者が見ればハラハラする場面だが、彼女を知る者はそれが当然だと納得し、彼女をよく知る者はそれについてはもう諦めている。
全てが終わったのは、第3騎兵連隊が吶喊してから僅か十数分後のこと。
シュヴァイガー元帥は降伏し、虜囚の身となった。長きにわたる帝都攻囲戦は、帝国軍の士気崩壊により呆気なく終了した。
この戦いは後世、オストマルク戦史上最も不可解な戦いと言われることとなる。
勿論、そんな評価はこの時代を生きている人間にとってはどうでもいいことである。
ロシアくんのせいでこのお話は受難でした。許せねえ




