帝都攻囲戦 その幕間
戦争において必要なものは何か。
まずは敵を打ち破る戦闘部隊。
それを支える十分な兵站。
明確な戦略。
戦争を遂行しコントロールする政治。
ここまでは、一般人にもわかる話だ。けれど、もっと重要なものがある。
「それはつまり?」
兵站の専門家で、軍隊に必要なものを用意することに関して我が軍一の才能を持つラデックは首を傾げたので、俺はドヤ顔で告げた。
「大義」
「…………ドヤ顔うぜえ」
なんでぇ?
ラデックとの心の距離が数キロ離れた気がする。物理的な距離は数十センチほどだが。
「こほん。今回、我らシレジア軍の大義は『友邦オストマルク帝国の支援』だ。裏に切実な事情はあれど、これに間違いはない」
こうして用意された大義は味方の士気を上げるために使われる。そしてできれば、敵方の士気を削ぎたいところだ。
「自国の危機だっていうのに他国に行っている余裕はない、って兵からの不満はよく聞くが? 大抵こういう大義名分って、侵略するときによく使われるじゃないか」
「……まぁ、他に選択肢がないし。馬鹿正直に『助けたらうちの国を救ってくれると思うんで!』とは言えないだろ?」
「言えねぇなぁ」
「こういう『大義』は結構重要なんだ。これは時代をさかのぼっても、そして下ってもたぶん重要。大義のない軍隊は、言うなれば『政治の欠けた軍隊』とか『兵站が貧弱な軍隊』くらい弱くなるんだよ」
だから国が、大義を作りづらい侵略戦争をするときに適当な大義を作ってしまうのは大問題なのである。「植民地化された周辺地域を列強から解放する正義の戦争」とか「相手がこちらに戦争をする準備をしているので先制的自衛権の行使」とか「大量破壊兵器を保有しているという噂がある」とか、色々頭をひねって作らないといけないわけで。
「いい脚本家を雇った方がいいということか」
「演じる身はつらいところだけどね」
「……で、そんなことをわざわざ話すってことは、相手方の『大義』とやらが問題になるわけだな?」
「話が早くて助かるよ」
「それ以外ねえだろ」
今、俺たちの目の前で繰り広げられている戦闘。
こちらはせいぜい2万、相手は5万。しかもこちらは混成部隊で、練度は高いとは言えない。一方相手は、クーデター軍とは言え元は正規軍だ。
いろいろと小細工しているから多少もっているけれど、地の利も望めない以上消耗戦となるとこちらは不利だ。時の女神は相手に情熱的なラブコールをしている。
「というわけで、我々は戦の女神で壮絶なちゃぶ台返しをしようと思って」
「……ちゃぶ台?」
「こほん。ローテーブル返しをしようかと」
相手の大義は「新皇帝による真に強大なる帝国を再興し、大陸新秩序を構築する」らしい。その邪魔をするシレジア王国軍が、全大陸の大敵と見做される。
この大義の問題は「新皇帝」である。
今回、新皇帝はクーデターによって皇帝位を先帝より簒奪した。しかし簒奪は、正しくやらねば大変なことになる。
皇帝という地位を奪い取るとき、重要なのは「権力」の奪取ではない。「権威」の奪取である。
「この大義、フィーネさんからの情報を基にした推測だけど、貴族はまだしも下士官や下級兵士たちの動揺が無視できないほど大きいんだ」
「つまり?」
「あのヴァルターとかいうクソ新皇帝、いったい誰と結婚するつもりだったか覚えてるか?」
「……あー」
ラデックが全てを察し天を仰ぐ。
ヴァルター新皇帝は、皇太子時代にシレジア王国第一王女エミリアと結婚しようとしていた。別にそれは問題ないはずなのだが、直後に起きたシレジア内戦や、東大陸帝国の侵略と来て有耶無耶――というより、ほぼ婚約破棄となった。
その直後に、ヴァルター皇太子主導によるクーデターである。
急変する事態が、2度も3度も短期間で連続して起きないことはさすがに臣民も理解できる。理解できていないのがクーデターを主導していた人物というのだからおかしな話である。
「エミリア殿下と婚約して、そして内戦が起きて侵略されてオストマルクでクーデター起こして自身が新皇帝となる……どう考えてもまともじゃない」
どこかの誰かのおかげか知らないが、新皇帝ヴァルターは急ぎ過ぎた。
民心というのは女心よりも動きが鈍いものだから。
事態の急変についていけない民衆で構成されている軍隊には、もうヴァルターの掲げた「大義」は通用しなくなっている。
今戦っているオストマルク帝国軍の動きが妙に鈍く感じるのはそのためである。
「だから俺たちの手で、最後の梯子を外そうというわけさ。その手段の鍵となるのが『権威』さ」
「…………ユゼフが味方でよかったよ」
「おっと。この計画の半分くらいはフィーネさんとこの家の人が立てたやつだからね! 勘違いしないでよね!」
「半分お前かよ」
ラデックとの物理的距離がまた数十センチ離れた。
「ま、そういうわけで作戦の肝は俺たちじゃない。俺たちは、クーデター軍をできるだけ帝都から引き離して警備体制を緩くして、真の実行部隊を支援することさ」
「2万人規模の陽動作戦か。聞いたことないな」
「しかも本隊は、多くて十数名と言ったところだからね」
如何な鬼の情報大臣といえど、この状況下で多くの人間を動かすことはできないだろう。だから、こちらも仕事をさぼるわけにはいかない。
「さて、これが陽動だとバレないようこちらもちゃんと踊らないとね。じゃないと脚本家に申し訳ない。ラデック、どう?」
「それはどっちの脚本家なんだ? ……部隊の再編はできてる。難しい話が嫌いなマリノフスカ嬢も、準備万端だとさ」
「よし。では欺瞞攻撃だ。近衛騎兵は右側面より敵軍を急襲、戦列が乱れたところで第4師団を――」
こちらは為すべきことは為している。
だからそちらは頼みますよ、フィーネさん。
◇ ◇
ユゼフが心の中で、フィーネの健闘を祈っているその頃。
当の本人はオストマルク帝国の宮殿において、予想外の、だがある意味では予想内の人物と相対して、持っていた剣をその人物に向けていた。
予想はできていてしまっていた。
自分が情報省の人間として培ってきた、類まれなる情報分析能力が証明できたことを、今フィーネ・フォン・リンツは喜べていない。
「なぜここにいるんですか。答えによっては、強硬手段に出ざるを得ません」
「ふふーん。それは……フィーネちゃんが良く知っていることだと思うよ?」
フィーネは、この不敵な笑みが嫌いである。
幼い時から彼女は、この笑顔に踊らされ続けていた。
高まる感情をどうにかして押し殺して、フィーネは告げる。
「そこを退いてください、クラウディアお姉様」
と。




