帝都攻囲戦 その4
貴族は誇り高い。
誇りを胸に生きている。誇りがなくなれば、それは死と同義である。
……と、本気で思っている貴族が多数派のはずである。
なのだが、周りの貴族を見ていると本当にそうなのかと首をかしげたくなることがある。
たとえば。
かなり前のことになるが、フィーネさんに「貴族の誇りってなんですかね」と聞いたことがある。半分冗談交じりであるけれど。
その時の回答がこちら。
「あぁ、便利ですよね。誇り。情報収集の道具に」
まったく参考にならない意見である。まぁ彼女らしいと言えば彼女らしいし、リンツ家らしいと言えばらしいと言える。
では他の貴族ではどうか。
たとえばサラ。あいつも一応騎士階級の出であり、最下級であるが貴族である。
……が、こっちは聞かなくても分かる。たぶん「誇りで飯が食えるかぁ!」に類する言葉を吐くと思う。
マヤさんには聞いたことがある。ただ、それについては内戦勃発に前後して、であったために、出てきた言葉はこんな感じだった。
「時に胸に秘め、時に頭上に掲げるもの……だが、実際は大したことはなかったな」
貴族の誇りなんてものは、今この時点でクラクフスカ家には存在しないのだろうか。
最後にエミリア殿下。
「殿下」と呼ばれる以上貴族というか王族であるが、似たようなものだ。その時のエミリア殿下の言葉が、たぶん一番マシな回答だと思う。
「誇りですか? そうですね……誇りというのは、実績が伴って初めてその効力が発揮されるもの。実績が伴わぬ誇りは、ゴミみたいなものでしょう。さっさと捨てた方が身のためですね」
かつてただの我儘王女だったらしいエミリア殿下は、今はこうして実績を伴った誇り高き王女である。
……さてなんでこんなことを話しているのかと言えば、今俺が相対しているオストマルク帝国クーデター軍は、とてつもなく貴族の誇りを大切にする人間たちだったということで、みんなの言葉を思い出していたわけである。
じゃあ目の前にいる軍隊は、果たして誰の意見に近かったかわかるかな?
たぶんエミリア殿下の言葉に近かっただろう。ただし、後ろ半分だけだ。
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帝国クーデター軍の状況をひとことで表すなら、「圧倒的優位」だったろう。
冬も終わりかけた2月下旬。
その寒さの中でも、エスターブルクでは激戦が繰り広げられていた。
クーデター軍は帝都エスターブルクを占領し、包囲する敵――シレジア王国軍に対して有利な籠城戦を敢行した。
数的にも有利、時間もクーデター軍に味方する。現状維持をするだけで、シレジア王国は勝手に滅亡するのだから。
負ける要素は全くないと言える。
……逆に言えば、貴族の誇りにかけて「勝ち戦で如何に戦果を挙げられるか」を主眼に置くものが出てくる。
そう言った状況下では、司令官級の人間が手綱をしっかりと握ることによって自制ができる。
が、今このクーデター軍を指揮しているのは、皇帝を自称するヴァルターとその周囲に立つお抱えの貴族たち。
ハッキリ言って、そんなしっかりと手綱を握ってくれる人なんていなかった。いたとしても、ごく少数だっただろう。
ユゼフ・ワレサはそこを突いた。
単純明快な作戦だ。相手に「これは勝ち戦である」と錯覚させ続けることが、この貴族の誇りを胸に抱く自称軍隊を打ち破る方法だと。
牽制と陽動。
籠城する敵に対しての正面攻撃は愚の骨頂。それを承知でユゼフはそれを繰り返した。相手が錯覚し続けるまで。
そこに隊内で情報が錯綜する。
無能の指揮官が上についたせいで戦果が挙げられない、家の名に泥がつく――。
そんな恐ろしい言葉が。
「閣下、敵は籠城する我らに対して攻めあぐね、何度も正面攻撃を仕掛けては撃退されるを繰り返しております! これはチャンスですぞ!」
「そうだ。所詮相手は田舎者のシレジア王国軍である! 誰に喧嘩を売っているかを思い知らせてやりましょうぞ!」
もはや、ヴァルター殿下は勿論のこと、高級・中級士官には制御できない暴力装置と化したクーデター軍は、あっさりと、さも当然と、崩壊の道しるべを示した。
まず動いたのはとある子爵の部隊。
決して高くないその位をさらに押し上げようと、待機命令を破って突撃する。
「愚者に教育するのは文明人の役目である!」
とは、その子爵の言葉。
「あんな小倅に戦果を全部持って行かれてたまるか! 俺たちも動くぞ!」
とは、とある侯爵の言葉。
「待て、ここで動くのは得策ではない! 索敵を密にし、追撃するのならば連携し――」
とは、とある高級士官の言葉。
かくしてクーデター軍は巣穴から出た。
とは言えその数は籠城軍の2割、約1万。全体兵力5万のクーデター軍にとっては、たかが2割である。たとえその1万が消滅してもなお、敵対するシレジア王国軍2万を圧倒できる。
そして無策に突撃した愚か者の貴族が痛い目に遭うことによって、かえって軍規粛正を促してクーデター軍をより強固にするかもしれない、という打算が一部士官にはあった。
……が、それは数時間後に舞い込んできた情報によりあっけなく破壊される。
「報告! タルバンド閣下の部隊は敵軍を撃破、デリボア丘まで後退させることに成功した模様です! その際、敵の輸送馬車34両の奪取・破壊にも成功しました!」
大戦果を挙げてしまったのは、先ほどの「とある子爵」の部隊だった。
こうなると、攻勢に反対した士官は一斉に「臆病者」の烙印を押されることになる。
「臆病者のせいで勝機を逸してはならない!」
誰かが叫んだ。誰であったか。貴族だっただろうか、それとも作戦に協力する商人だっただろうか。今となっては不明である。
だが、その叫びは「貴族の誇り」を擽った。
「オストマルク貴族の誇りとは、臆病者の誇りにあらず!」
実績なき者の語る「貴族の誇り」とはなんと虚しいものなのか。エミリア・シレジアの思う「捨てた方がいい誇り」はまさにここに吹き溜まりとなって存在していた。
それでも、これが罠だと主張する者は少数ながらいた。
だがその主張は津波のごとく押し寄せる主戦論を前にして呆気なく洗い流され、いつしかその「貴族の誇り」は「帝国の誇り」と名を変え、新皇帝ヴァルターの下にも届く。
「司令官。兵を前進させ、愚かなるシレジア王国軍を殲滅せよ。捕虜などいらぬ、全て殺してしまえ。これは勅令である」
手に入れたばかりの権力を振るってみたかったのではないか、と後にフィーネ・フォン・リンツはそう解釈した。無論、それが正解なのかはわからない。
だがその権力に抗うことができる者はいない。それがどんな人間であっても、この国においては「勅令」は絶対的な効果を持つ。
新皇帝のお墨付きを得たクーデター軍。
そして慎重論を唱えていた指揮官は「皇帝護衛部隊指揮官」に配置転換……という名の事実上の更迭と相成った。
手足を糸で操られ頭のない人形。
それをオストマルク帝国クーデター軍と読む。
大陸暦640年2月28日。
クーデター軍新総司令官ヴェルデミュンデ元帥号令の下、帝都防衛のための一部部隊を残して、オストマルク帝国クーデター軍4万5000が一斉に動き出す。
「――皇帝陛下の権威と威光をシレジアの愚者たちに知らしめて見せよ。総員、前進!」
そしてそれとほぼ時を同じくして、デリボアの丘に陣取るシレジア王国軍2万を実質的に指揮する、どうにも頼りない見た目をしている一人の士官が、仲間たちにこう告げた。
「えーとまぁ、敵の総大将は個人的な恨み……敬愛するエミリア殿下を泣かせた今世紀最大のクソ野郎です。思い切りぶん殴ってやりましょう」
オストマルク帝国史上最大の内戦「一月政変」における最大の戦い、デリボアの戦いはこうして幕を開けたのである。




