帝都攻囲戦 その1
ひとつの事実として、帝都エスターブルクに立てこもるオストマルク帝国軍は一枚岩ではない。
新皇帝ヴァルター・アウグスティーン・ダミアン・フォン・ロマノフ=ヘルメスベルガーを擁立するクーデター派と、それに反発する者、有利な方につきたいと静観する者、色々混ざり合って、それを「ひとつの軍隊」と呼称しているのが現状だ。
だから情報省がシレジア王国軍に情報提供した時、帝国軍の実戦力を本当は5万なのに「実質2万」と評したわけである。
つまり実戦力の2万から引いた3万という数字こそが、この戦いの鍵を握る存在と言える。なぜなら、その3万という数字は、エスターブルクを解放せんと迫るシレジア王国軍よりも多いのだから。
「だからこそ、我々は一丸となってこの危機を乗り越えるべきなのである」
帝国軍クーデター派の首謀者のひとり、軍事面においてヴァルターを支援するのは帝国軍大将、いや、今回の功績を持って元帥への二階級特進を果たしたヨゼフ・フォン・シュヴァイガーがこの帝国軍帝都防衛軍団と言う名のクーデター軍を指揮している。
彼は根からの民族主義者であり、かつ出世に貪欲であり、そして近年権限拡大著しい情報省を嫌っている男である。そんな彼が、内務省高等警察局とヴァルターのクーデター計画に乗らない理由はない。
しかしとて、シュヴァイガー元帥が決して無能と言うわけではない。皇帝と貴族が特権を持ち、ある程度の人事裁量自由権を持っているとしても、オストマルク帝国軍は無能を大将に昇進させることはない。
彼もその例外ではなく、多少のコネを使ってはいたが、自身の能力で大将まで上り詰めた男でもある。
そのことは当然情報省とフィーネ・フォン・リンツは知っているし、それを経由してユゼフ・ワレサも知っている。
「我々がすべきは隊内の秩序維持。特に仲間割れを防ぐことにある。敵にしてみれば、工作を行う余地が十分あると言うことでもある。しかも今回はあの悪名高き情報省の残党が敵に通じているという話。必ず分断工作を行ってくるはずだ」
シュヴァイガーの憂慮はもっともなところである。
実際に、軍隊内の士気は著しく低い。味方のはずのシュヴァイガーよりも、敵とみなされているシレジア王国軍の方が信頼がおけると考える者は少なくない。
……特に、ラスキノ独立戦争や、あるいは第七次戦争においてシレジア王国軍、特にユゼフたちと共に肩を並べて戦った者からすればである。
故に、既にこんなうわさが流れている。
こちらに向かっているシレジア王国軍は、精鋭、無敵の軍隊で、帝国軍5万を余裕で返り討ちにできるほどの才を持つ男女がいる。
…………果たして当事者がこの噂を知ったら、どう反応するのだろうか。今はまだ、彼らはその噂を知らない。
「閣下。内憂ばかり御気になさるのは危険です。敵は既に我らの手の届くところにあり、これへの対処をしなければなりません」
「まさに、参謀長の言うところは正しい。だからこそ、内憂と外患を同時に相手しなければならない」
「……不可能なように思えますが」
参謀長は眉をひそめる。
内憂外患というのは、精神面と物質面におけるある種の二正面作戦である。兵力が分散され、いつその牙が剥かれるのかという恐怖が、軍団を翻弄する。
そしてその危険を排除するのは、ある意味においては通常の二正面作戦より難しい。
そのことがわからない参謀長ではなかったし、シュヴァイガーもまた、それを知っている。
「我々は、部下の忠誠心を見定めつつ、敵と相対さねばならない」
「可能ですか?」
「可能だと思いたいね」
シュヴァイガーは鼻で軽く笑った。少し自嘲気味に。
自分の元帥としての初めての戦いが、こうも華やかさに欠けるものとなったことに対しての笑いであった。
「参謀長。まず君の意見を聞きたい」
「ハッ。我が方は5万を擁する大部隊であります。他方敵は僅か2万。であるのならば、基礎に立つのであれば都市に立てこもる必要はなく、平原における決戦でこの数の利を生かすべきでしょう。如何に敵に優秀な将であってもこの差は埋められないでしょう。我が方の勝利に疑いようはなく、さすれば、隊内の士気向上、そして反発する者達の気が変わることもあり得ます」
「そうだな。参謀長の言う通りである。普通ならば、そうするのだろう」
シュヴァイガーが満足したようにうなずく。参謀長も、自身の意見が間違っていないことにほっとする。
けれど、その案を採用する、という言葉が司令官から発せられることはなかった。
「そう、普通の相手であればそれで十分だ。だが敵は、あの悪名高き情報省が手を組む奴らだ。敵は悪魔だと思った方がいい」
「悪魔……ですか」
「あぁそうだ。悪魔相手に、普通の手は通じない」
「……では元帥閣下は、どのようにお考えで?」
「君とは全く逆の手で行こうと思っている。――籠城戦だ」
参謀長は言葉を失う。
戦術的な観点から見れば、籠城戦を行うメリットは全くない。むしろ大軍を閉じ込めるが故に数の利を活かせず、また戦術的機動性も失われる。
虎が強いからと言って、牢に閉じ込めては意味がないのだ。
「貴官が何を言いたいかは理解している」
シュヴァイガーは、意見を述べようとする参謀長を手で制した。
「私が籠城戦を考えているのは、ひとえに内憂の排除にある。籠城戦は知っての通り、受動的な戦いを余儀なくされる。その士気と兵站を常に維持していくこともまた大変な事だ。しかしそんな状況下だからこそ、反発者は自身の存在を声高に叫ぶのだ」
彼の言う通り、籠城戦は通常戦とは異なる。
敵を待ち構えると言うことには、敵に突撃することよりも勇気が必要な事もある。特にこのような状況下だと、「司令官は無能、臆病者である」と声高に叫ぶ者もいるだろう。
だがそれを叫ぶ者こそが、間者であり、そして信頼のおけぬ者である。
彼らを炙り出すのは大変だ。けれど彼らが自分から声を上げてくれれば、これほどまで簡単な事はない。そしてそれは、内憂の取締に長けていた内務省高等警察局の力を借りれば、容易に達成できる。
「そしてもう一つ。我々はシレジアと戦争を始める。だがシレジアは今どこと戦っている? 東大陸帝国だ。彼らは今、冬場にあって進撃を停止しているが、春になれば再開するだろう」
「つまり、我が軍は戦略的な有利にあるのだから動く必要はないということですか?」
「そうだ。待っていれば、敵はいずれ自滅する。その機会を待ってから、シレジアの大馬鹿者たちを吹っ飛ばす。内憂と外患を同時に殲滅できる、良い手だと私は思っているよ」
確かに、シュヴァイガーの案には理があり、利もある。
……問題が、全くないわけでもない。
「戦術的な有利――平原決戦を捨てるのは、少し勿体ないような気もしますが」
「そうだな。私も元帥としての初陣は華々しい決戦を期待していたのだが、あてが外れてしまった」
肩を竦め、笑うシュヴァイガー。参謀長は反応しづらい。
「参謀長。我々は今、1度だって負けてはならない。それはわかるな?」
「……はい。無論です」
それは内憂外患を抱える軍隊共通のもの。一度敗北すれば、待っているのは士気の崩壊と壮絶な内輪揉めだ。
「万が一にも、平原での戦いに敗れてみろ。私は帝国一のお笑いものさ」
「…………」
このとき、参謀長は理解した。
彼は怖いのである。歴史上の悪役兼お笑いものとなるかもしれない、決戦を怖がっている。シュヴァイガーは今までの会話で参謀長に、自分がいかに物を考えて行動しているかをアピールしていた。
実際参謀長は、彼を有能な男であると安心していた。
――しかしこの瞬間から、シュヴァイガーへの参謀長の信頼と評価は失墜する。
結局のところ、籠城戦という選択は「シュヴァイガーが自らの責務から逃げた」という印象を、よりにもよって彼の傍にいる男に持たせてしまったのである。
……そしてその印象が、この戦いにおいて最も重要な要素となることを、参謀長は直感で理解した。




