いざオストマルクへ
シロコフは北へと転進する。
廃村跡を改造し、即席の要塞として王国軍を迎え撃つためである。
帝国軍が数で勝る以上、持久戦を選択することは間違いではない。さらに廃村周辺はなだらかな平地が続いており、索敵しやすいため伏兵の存在を考慮しなくていい。
王国軍にとってはとてつもなく不利な戦場である。むしろ、最初からここで戦えばよかったと悔やむばかりであった。
ここで万全の態勢を整え、勝利の余勢をかって打って出てくるシレジア王国軍を迎撃できれば、先の負け戦などどうにでもなる。その、はずであった。
しかし王国軍が来る前に、帝国軍が簡易要塞を築き上げる前に、総司令部――つまり皇帝セルゲイから伝令が来たのである。
内容は簡潔明瞭。
「……撤退しろ、だと!?」
「はい。勅令にございます」
「バカな。私に敗北の屈辱を受けたまま後ろに下がれというのか!」
「それが陛下の意思にございます。陛下はシロコフ大将に、撤退に関する責は問わぬと申しておりますし、負けの責も減免すると申しておりました」
「……そこまでして、私を下がらせたいか」
シロコフがいる廃村から、さらに北。
湖沼地帯に展開している帝国軍本隊と総司令部は、各戦域からの報告を精査し、皇帝に報告していた。
「よろしいのですか、陛下」
「よろしいとも。今は無暗に戦力を低下させる時ではないからな」
皇帝セルゲイは、側近の男であるミヒャエル・クロイツァーに仰々しく答えた。
「我々は数の上では勝っている。であれば、無理攻めして勝ちにこだわる必要はない。持久戦で我ら帝国軍に叶う者がいるか?」
「兵站が無事であれば、の話ですが」
「その点も心配いらん。グダンスクを確保し、シレジア王国軍をシレジア北東部から追放した以上、補給路はほぼ完全な形で確保できている。もしこれで足りないと言うのなら、ラスキノあたりを踏み潰して、あそこの港湾を使っても良い」
「それもそうです。しかし彼らは今、シレジアを見捨てて我らに恭順しています。独立派の存在がやや鬱陶しいですが、それは今後の外交交渉で……」
「あぁ、戦わず彼らを我が国に併呑――いや復帰させることができる。毎回こうだと良いのだが。シレジア王国は分からず屋だな」
「自分の国が亡ぶのです。どんな国でも、多少は抵抗するものでしょう」
「そうだな。その台詞、ラスキノの奴らにも言ってやれ」
ハッハッハッ、と笑う皇帝セルゲイ。彼にはまさに大国しての強者の余裕があった。
その余裕の笑みの裏には、もう一つ意味があることをクロイツァーは知っている。それが明らかにされるとき、世界はどのように変わるだろうか、とても興味がある。
「言わずとも、じきに理解しますよ」
「だな」
ふたりは笑い、地図を見やる。
シレジア王国と言う、最高の立地に再び笑みを浮かべながら。
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「間違いない?」
「間違いありません。陣地構築作業も完全に放棄した模様で、廃村には人っ子一人見当たりません」
「どういう……ことだ……?」
帝国軍がいなくなったという情報を聞いた時、正直、耳を疑った。
これが難聴系主人公ですか?
「それって追撃のチャンスってこと?」
脇から報告を聞いていたサラはそんなことを言う。騎兵隊を率いる身としては、そりゃ追撃を試みたいところだろう。
けど、まぁ、そう簡単に行くとは思えない。
「相手の将軍がそんなことをさせてくれるほど無能だったらいいんだけど、残念ながら敵の将軍が無能であることに期待して作戦を実行するのは無能の極みだ。やめておこう」
「ま、それもそうね。戦ってみた印象としては、敵も馬鹿じゃないってことがわかったし」
ユゼフには劣るけど、と付け加えるサラ。
すぐそういうことをしれっと言っちゃうあたり流石サラだけれども、ちょいと恥ずかしいのでここは難聴系主人公になろう。
「しかし意外だな。帝国軍が廃村に移動したと聞いたときは、てっきり持久戦に移行するものだと思っていたんだけど、さっさと撤退しちゃうなんて……」
「勝ちに拘らない奴が指揮官ってこと?」
「どうだろう。それにしては、途中までは陣地構築してたわけだし……」
となると、結論はひとつ。
戦いたかったけれど、さらに上から撤退命令が出されたという事だろう。
数万を動かす軍団のさらに上となると、これはもう総司令官からの命令、つまり皇帝セルゲイからの勅令と考えていい。
だけど、皇帝自らが撤退命令って、下手をすれば自分の権威や部下からの信頼を失墜させることにもつながる危険な行為だ。奴らの意思決定過程がどうあったかはわからないけれど、これはいい機会なのでは……?
「ユゼフ?」
いや、敵のミスを前提とするのは危険な事だ。何か策を巡らせた結果と考えた方がいい。
一番考えられることは「どうせ勝っているのだから小さな戦術的勝利に固執する理由がない」と言ったところか。つまり戦略的な勝利は既に掴んでいるも同然ということ。
これは……まぁ、そうだろうな。オストマルクを事実上行動不能にしている現在、シレジアは孤立無援。万に一つも勝機がない。
「ユゼフってば」
敵が戦略的勝利を確信して、戦術的勝利を放棄しているというのならやり様がある。
俺の好きなキャラの台詞に「戦術的勝利の積み重ねが戦略的勝利に繋がるとは限らない」と言うのがある。けど今は、戦術的勝利の積み重ねを戦略的勝利への布石とすることに賭けよう。
彼らの戦略的勝利条件が整うのは、雪が融け泥が乾き、行軍に負担がかからなくなる4月以降とみて間違いない。ならば、3月末までにオストマルクを復活させれば問題ない。
そのために必要な戦術的勝利のひとつは、帝国軍が用意してくれた。
つまりさっきの戦い。これで帝国軍が、戦略的勝利の為に戦術的勝利を放棄したことでシレジアが時間的猶予を得られた。
やはりここは当初予定通り……いや、当初よりももっといい条件で、次の段階に――
「ユゼフってば、聞いてるの!?」
ベシッ、という音と、懐かしい痛みと共に俺はよろける。
気付いたら、サラが俺の額に思いきりデコピンした模様である。
久しぶりだよ、この感覚。
「もう、無視しないでよ。さっきから話しかけてるのに……」
「ごめん、考え事してた」
「それがユゼフの仕事とは言え……まぁいいわ。で、結局私達はどうするわけ? 何か考え事してたみたいだけど、変更はあるの?」
「あぁ……いや、ないね。追撃戦はしないってだけ。いよいよ作戦第二段階というわけさ」
「よし来た」
サラはガッツポーズする。
反撃の狼煙を挙げるのは、いつだって気持ちいいものだ。
「俺はヨギヘス元帥とかイリア先輩とかに会って、指揮系統やら作戦やらを詰めてくる。サラはラデックに言って補給計画と行軍計画の策定を急がせてほしい」
「了解。こっちも準備しとくわね」
「頼むよ」
さて、と。
久しぶりに、フィーネさんに会いに行くかな。




