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大陸英雄戦記  作者: 悪一
戦争をなくすための戦争
472/496

戦術、戦略、そして政治

 シレジアと東大陸帝国における戦争、シレジア呼称「秋戦争」において、その戦争の中盤に起きたことは今でも議論の的である。

 大陸暦639年末から翌640年にかけて、帝国軍は不思議な「反乱分子」に頭を悩ませることとなったことがその発端だ。


 1個乃至2個の騎兵小隊の帝国騎兵が、当時戦線が構築されていたプウォツクの後方、つまり補給線上で小規模だが組織的且つ継続的な略奪行為が行われていたのである。


 この時の帝国軍の占領地における統治行為は「シレジア王国以上に公正」と言われるほどに穏便なものであった。しかしこの不思議な「反乱分子」出現以降、上記の評価は一転して「無理な冬季攻勢がたたり物資不足に陥った帝国軍が化けの皮を自ら剥いだ」と変わった。


 この事件に関して、皇帝セルゲイ・ロマノフ自身が討伐部隊を組織し、信頼できる副官ミハイル・クロイツァーにその指揮権を渡して「反乱分子」の掃滅を図ったと言われる。


 だがそのような帝国軍上層部の命令も、占領地に住む旧王国民からすれば、「公正な施政を見せられたあとの略奪行為」という、言わば「上げて落とされた」という行為を見せつけられたので、帝国軍への感情は「最初から略奪行為を繰り返す侵略軍」よりも批判的になった。


 連続した略奪行為は、最前線でも影響が出た。

 物資が不足し始めたということよりも、旧王国民からの信頼が得られず、そのことによって帝国軍に協力する者が減ってしまったことの方が大きい。

 帝国軍は補給や工作、情報収集においては、その公正な統治によって旧王国民からの信頼を得て、その信頼で以って旧王国民に協力させるという制度を導入していただけに、この影響は大きいのである。


 こうしてプウォツク方面においては、シレジア王国軍にとっては予想外で、そして良い方向に向かい、こう着状態となるのである。


 だがこの「反乱分子」に関して、近年の歴史研究家の意見は分かれている。


 シレジア王国側の歴史家たちは口をそろえてこう言う。「帝国軍の自滅である」と。

 対して東大陸帝国側の歴史家たちはそれに対して同じような反論をする。「あれはシレジア王国の陰謀である」と。


 どちらの意見が正しいかは、今となってはわからない。


 しかしながら、この「反乱分子」が戦争に与えた影響は、当事者が思っている以上に深刻だったということは間違いない。

 なぜなら――



---




 大陸暦640年1月1日。


 帝国軍シレジア侵攻軍総司令官にして、東大陸帝国皇帝であるセルゲイ・ロマノフは新年をシレジア王国で迎え、そして新年の祝いを作戦会議の席上で開いた。

 もっとも、その祝賀会には酒も肉も何もなかったのだが。


「……以上で報告を終わります」


 セルゲイが彼の肉親よりも信頼している男、ミハイル・クロイツァーからの苦々しい報告を聴き、セルゲイもまた同じような顔をする。


「全く、とんだ新年だ」

「申し訳ありません。どうやら『反乱分子』の練度は極めて高いらしく、並の騎兵隊では居場所を掴むことができません。……2週間という貴重な時間を使って成果がこれしかない以上、言い訳になりますが」

「そういうことが素直に言えるところがお前の良いところだよ、クロイツァー」


 褒められているのか、そうでないのか。褒められているにしても素直に喜べる状況ではない。

 つまるところ、帝国軍の冬季攻勢作戦は失敗したというほかないのだから。


 そしてそれが、シレジア王国軍の手によることも、このとき帝国は知っていた。少なくともこの二人は。


「プウォツク方面に展開している帝国軍の騎兵隊から行方が知れていない部隊を洗い出しましたが、目撃情報のある『反乱分子』との情報とは合致しませんでした。このことから見て、この『反乱分子』はシレジア王国軍のゲリラ部隊であることは間違いないでしょう」

「だろうな。クロイツァーが率いる部隊でも居場所を掴めないような精鋭部隊がこんなちんけな略奪を起こすもんか。シレジア王国軍の……近衛騎兵連隊あたりかな?」

「確かにあそこであれば、練度は十分ですが……」

「何かあるのか?」

「いえ、近衛であれば王女乃至国王の護衛が任務のはず。近衛騎兵連隊がこのようなゲリラの真似事をするなんて、部隊はともかくとして主人は良しとするのかと」


 クロイツァーもセルゲイの護衛として傍にいることが多い。今回のように部隊を率いる方が稀である。そんな彼の心境は、同じ境遇であるはずの王国軍近衛騎兵の気持ちがよくわかった。


 よくわかったからこそ、疑問である。

 そしてそれを答えるのは、その主人。つまりは今回の場合、皇帝セルゲイ。


「なら答えは単純。王女が直接命令したか、それとも王女が信頼する奴が命令したかさ」


 その言葉に、クロイツァーは一つの疑問を解消すると同時に、一つの疑問を浮かばせた。


「……王女?」

「何かおかしいかな?」

「いえ、国王の部隊の方である可能性はないのかと」

「ありえないね」


 セルゲイは即答した。


 クロイツァーの言う通り、この王国には近衛騎兵連隊は3つある。国王を守る第一、今は亡命中の大公を護る第二、そして王女を護る第三。


 その中でセルゲイが第三騎兵連隊に絞った理由は、明瞭だ。


「かつでの春戦争で我らと対峙したのは第三騎兵連隊だった。情報によれば、近衛騎兵連隊の中で最も練度の高い部隊であるそうだし、そう考えない方が不自然じゃないかな?」

「……しかし王女は今、王都シロンスクにいるという情報もあります。王女を放って、シロンスクから離れたプウォツク方面に展開するとは……」

「ではもうひとつの可能性だな。王女が信頼する奴が指揮をしている。もしくは、作戦を提案した。指揮している奴はそれに賛同した、という感じかな」

「王女からの絶大な信頼を得ている人物、ですか」

「そうだ」


 そして二人は、過去の記憶を発掘する作業に移る。

 ここで二人が同時に同じ行為に及んだのは、二人が知っている人物を思い出そうとしているから。つまり彼らはほぼ同時に、その「王女から絶大な信頼を得ている人物」をほぼ特定した。


「クロイツァー、覚えているか? あの条約会議のことを」

「えぇ、確か平民の……」

「あぁ。メイトリックスとかいうやつだ」


 くつくつと笑うセルゲイ。いつ思い出しても、その名前は笑えるのだという。ついでに、彼に階級を与えるなら「大佐」がちょうどいいとも。

 そのセンスはクロイツァーはよくわからなかったが、セルゲイは「わからなくて大丈夫さ」と言った。


「つまり、プウォツクには『大佐』さんがいるということですね。そして国務省や観戦武官からの情報によれば、彼はとてつもなく優秀な男であるとも」

「あぁ。オストマルクの侯爵様が自分の部下にしようとし、伯爵様に至っては娘を差し出そうとしているらしい。シレジアには似合わない男というわけさ」

「陛下に比肩する男かもしれませんね」

「だとすれば、……欲しいと思わないか?」


 ニタリ、と笑う。

 強大になりすぎた自分と肩を並べるほどの男がどんな人物か、興味がある。


「……まさかとは思いますが陛下。また、ご自身を最前線に置くことはおやめくださいますか?」

「ダメか?」

「ダメです」


 子供のような我が儘を、母親のように諌めた。


「ま、今回はお前に免じて無理はしない。それに……ちょっと残念でもあるんだよ」

「残念?」

「あぁ」


 嘆息して、司令部の外に移る景色を見やる。

 何を残念がっているのか、彼にはわからなかった。それを察したのか、それとも語りたいのか、あるいは誰に言うつもりでもないのか、セルゲイは語った。


「『反乱分子』が今やっていることは、時間稼ぎだ。春が来て態勢を整えるための、ただの時間稼ぎだ」

「……彼の国の状況を思えば、妥当な判断では?」

「そうかもしれない。だが、この時間稼ぎにはひとつ弱点がある。なんだかわかるか?」

「…………わかりません」


 正直に答えた。

 クロイツァーも戦術眼を鍛えているが、セルゲイにはまだまだ及ばない。そしてセルゲイが認める「彼」にも、恐らく及ばないことも。


「この時間稼ぎには、戦略的な、あるいは政治的な道筋が何も立っていないことだ。春が訪れたところで、シレジア王国軍は態勢を立て直せる。だが立て直せるだけで反撃の道筋を見出せていない。こちらが折れるか、オストマルクが参戦するかをただ祈るだけの状況になっている」


 ハッキリと言った。「かもしれない」とか、そういう予想ではない。

 恐らくこれは、未来予知であろうとクロイツァーは確信している。そしてここまでわかっていて、何もしないセルゲイではない。


 そもそも、シレジア王国に、セルゲイが認める彼に「戦略的」「政治的」な解決方法を全て断った上でこの戦争をしているのだから、セルゲイが「弱点」を語ることがそもそもおかしいのである。


「……だから残念だ。一発大逆転というのは現実には存在しないが、もしかしたらあるのかもしれないと、内心期待していたからな」

「酷な話ではないですかね、それは。彼にとって」

「そうかもしれないな」


 セルゲイはそう言って、壁にかかる地図と、カレンダーを見つめる。


 シレジア王国の東には、自らが治める東大陸帝国が。

 シレジア王国の南には、彼らの友好国であるオストマルク帝国とカールスバート王国が。

 そしてシレジア王国の西には、未だに態度を決めかねているリヴォニア貴族連合がある。


 各国、各々の国益に沿って行動した結果、動乱の地域であるにもかかわず1vs1の戦争が続いている。だがそれも、時間の問題である。


「クロイツァー」

「ハッ」

「……軍事大臣レディゲル侯爵からの連絡は、確か2月の予定だったな」

「左様です」

「なら、そろそろ始めないと間に合わないかもしれないな」

「春に最終攻勢となると、確かにそうですね。2月までに準備を完了させたいところです」

「ではそうしてくれ。作戦計画に、変更はない」

「畏まりました。直ちにかかります」


 クロイツァーは敬礼して、作戦会議室から出る。

 部屋には皇帝のみ。


 そして再び彼は、窓の外を見る。窓の外、地平線の向こうには、きっと『反乱分子』を率いる彼がいる。


「……暫くは、時間稼ぎに付き合ってやろう。なぁ、ユゼフ・ワレサとやら」


 口角を上げて、彼は静かに宣誓した。

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