プウォツク防衛戦 その2
帝国軍が王国軍の布陣するプウォツクに付近に到達した時、驚愕しただろうに違いない。
何故なら帝国軍は数日前に王国軍の斥候部隊に遭遇し、敵が強固な構えを見せて迎撃してくるに違いないと読んでいたのに、いざ来てみたら全くの無防備、と言っていいほどの有り様だったからである。
渡河を防ぐために橋を落としたりせず、斥候を放っているわけでもなく、かと言って戦力を集中し防御陣地を築いているわけでもない。ただ単にプウォツクの街に駐留しているだけに見える王国軍の実態に、帝国軍第Ⅳ軍の先陣を切るミハルコフ中将率いる軍団は、脚を止めてしまう。
「……どういうことなのだ? それともこれは何かの罠か?」
あからさま過ぎる敵の失態を罠と思ってしまうのは、軍人として当たり前である。しかしそれこそが罠であり、それによって時間を稼ごうとしているのではないか……とも、思ってしまう。
不自由な二択に迫られたミハルコフ中将にできることは、せいぜい偵察部隊を大量に編成し各所に放つことである。だがそれも、冬という状況下ではどの程度までできるかが怪しい。
「閣下、ここで足を止めることこそ敵の思うつぼ。敵に何か企みがあるにせよ、ないにせよ、まず一戦やりあってから見極めた方がよろしいかと存じ上げます」
「しかしそれでまんまと敵の罠にはまって甚大な損害を被ったらどうするのだ。この天気とこの気温、容易に補充は効かんのだぞ?」
「それは敵とて同じこと! ならば、数に勝る我らが相対的に有利なはずです!」
軍団の参謀たちは激しく口論するが、結論は導き出せない。
強行偵察をかけるか、敵の出方を待つか。論議はそこに行きつくのだがそこから先が進まない。
たとえ結論が出たとしても、またその後が続かないだろう。
攻めるにしてもどう攻める?
守るにしてもいつまで守る?
終わりないように思われた議論は、12月18日の作戦会議の席上で、鶴の一声で決定された。
ただその一声はミハルコフ中将の声ではなかった。
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12月16日。
王国軍発見の報が、帝国軍第Ⅳ軍司令官ウラジミール・シロコフ大将の下にもたらされた。
報告書には王国軍の布陣と、先陣を率いるミハルコフ中将の苦悩の様子も書かれていた。
「あいつもまだまだだな。戦の定跡をよく知っているが、奇手には弱い」
その報告書を読んだシロコフ大将はそう言って微笑する。彼のことをよく知っているからこそ、彼の身上がよく理解できるのだ。
「しかしこの王国軍の指揮官、戦力が少ないというのに……、なかなか豪胆だな。こういう者こそ、軍隊の中には必要なのだ……。そう思わないか、参謀?」
「は? いえ、このような状況下で陣地も築かず橋を落とさない人間が軍隊に必要だとは思いませんが……」
シロコフの言葉に、突然話しかけられた作戦参謀は二重の意味で困惑した。
突然話を振られたこと、そしてなにも準備していないような人間がどうして軍隊に必要なのか、閣下は何を言っているのだろう、という困惑である。
参謀のその至極真っ当な答えに、シロコフは安堵したのか、はたまた失望したのか、溜め息を吐いた。表情は笑っているが、その真意を掴むことはできない。
「君もか」
「は?」
短い問いの意味に、参謀は答えを見いだせない。そもそも、問いであるかどうかもわからないが。
「まぁいい。わからない、というのなら教えよう。今ミハルコフが対峙している敵の指揮官は優秀だよ。これが最善の手かどうかは私にも判別できないが……時間を稼ぎ、何かをしでかす準備を整えるという事に関してだけで言えば、最善の手かもしれない」
「……どういうことです?」
「あからさまに罠だとわかるような手を見せびらかせれたら、警戒して足を止めるだろう? それで進軍速度が落ちれば、準備時間が稼げる。それに選択肢が多く提示されているという状況は、案外指揮官には辛くてね。答えがひとつであれば迷わずそれを選べるのに、複数あったら『考える時間』が必要だろう?」
「…………なるほど。得心が行きました。つまるところ、敵はわざと我々に複数の手段を提示して試しているというわけですか」
「試している、か。それを企図しているかわからんが……まぁ、似たような物だな」
そう言って、再びシロコフは地図を眺める。
川に挟まれ対峙する帝国軍と王国軍。橋は落とされておらず、また川面は凍結しているため軽装の歩兵程度なら川面の上を歩けるかもしれない(こればっかりは現地に行かないとわからないが……)。
渡河をせずとも、遠距離の魔術戦に徹して敵の戦力と士気を削ぐ作戦も考えられる。だが敵が陣地を巧妙に構築していたら魔力の無駄な浪費で終わるだろう。冬で補給が滞りがちな中、無駄な出費を抑えたいと考える帝国軍にとっては悩みどころ。
シロコフは悩んだ。ミハルコフと同じくらい悩んだ。
しかし同時に、不思議な感覚に襲われるところがミハルコフと異なる点である。
「……楽しいな。私が先陣を切ればよかった」
「何を言っているのですか、閣下?」
「冗談だよ」
無論、それは冗談ではなかった。
敵の意図を読み、あるいは深読みし、提示された選択肢の中から帝国軍取るべき最善手を考えることが、シロコフにとってどうしようもなく楽しいのである。
地図を眺めること1時間余り。
シロコフは、ミハルコフよりもはやく結論を導き出した。即断即決こそ指揮官に要求される器量であるが、流石にこの時は考えすぎたかもしれない。
「……伝令!」
「ハッ」
「ミハルコフ中将に連絡。『敵軍に対して一戦交え、その真意を確かめよ』とな」
「はっ。直ちに連絡致します!」
伝令役の下士官はすぐに騎乗し、他の仲間と共に前線へと急ぐ。
彼らの背中を眺めながら、シロコフは大きく息を吐きひとりごちる。
「……先日の自分の決断を後悔するよ。どうして俺は全軍の進軍を……せめて俺自身が先陣を切ると決断しなかったのか。敵が優秀な指揮官であることは、湖水地方の戦いで知っていたのに」
と。




