プウォツク防衛戦 その1
暖炉の火によって薪が割れる音がこだまする会議室。
そこは異様な雰囲気に包まれている。原因は帝国軍――ではない。特別ゲスト、エミリア殿下である。
オブザーバーとして作戦会議に参加しているエミリア殿下の隣に座り、逐次状況を説明することとなった俺。
そして王族が参加しているとあって妙な緊張感に包まれる作戦会議室である。当の本人は気付いているのか気付いていないのか、状況をよく質問してきているのだが。
ガチガチに緊張している進行役の士官が、帝国軍の侵攻部隊と接触した騎兵偵察隊は、敵の斥候と接触しただけで逃げ帰ってしまったことを報告した。
完全に不意な遭遇だったために慌ててしまった……というのが部隊長の言い分だったが、それ以外にも練度の低下が響いているような気がする。
「それで、敵の軍勢は不明という事ですか」
報告を聞いたエミリア殿下は静かに溜め息を吐く。気持ちはわからなくもない。
これが数年前であれば、敵の斥候を追いかけるなり敵の斥候を捕虜にして問い詰めるなりのことをしてくれただろう。
けれど、入隊半年の部隊長率いる斥候部隊にそれを期待するのは流石に無理だったらしい。
「とは言え、この気温です。無理に大軍勢を率いて……というのは無理でしょうし、様子見を兼ねて恐らく3個師団程度だと思います」
「でもそれは『今のところは』ですよね?」
「……まぁ、それでも後続が合流して無理強いをするというのはないとは思いますが」
希望的観測ではない。兵站の負荷がかかる冬季に、強固に固めた拠点を攻める理由が帝国軍には存在しないのである。簡単に攻め落とせそうなら押してみて、無理そうだったら嫌がらせ程度にとどめる。
そうすれば、国力が落ちているシレジアに対して有効というわけだし、あるいは別戦線の戦力を手薄に出来るかもしれないという打算もあるだろう。
「ともあれ、やることはひとつだ。現有戦力で以って現地点を死守することにある」
と、ヨギヘス閣下のわかりやすいひとこと。作戦目標は簡潔に、が軍事の基本だしね。
「基本方針は、この天候と河川を用いた拠点防衛という事になる。この冬の寒さという点を除けば、これは先の内戦におけるトルン防衛戦と状況は似ているから、何人かは気が楽だろう」
ヨギヘス閣下はそういうけれども、楽だと考えている人間が果たしてこの中にいるだろうか。
むしろ閣下自身がそう思っていないかもしれない。閣下はいつもの陽気な雰囲気を一切纏わせず、真剣な面持ちだ。殿下が出席しているというのも大きいだろうが、王国側の不利をよく理解しているからこそ、ふざけてはいられないという事。
「――そういうわけだ、ワレサ大佐。本来ならここで各人で議論をと言いたいところが時間がない。それに貴官は何か策を弄しているようだから、先に聞かせてくれないかな?」
あ、これいつものヨギヘス閣下だ。変にハードルを挙げるのはやめてほしい。
ほら、横でくすくすと殿下が可愛らしく笑っているじゃあないか。
「策と呼べるほど大層な策は持ち合わせておりませんよ……」
「それを判断するのは君じゃない。存分に言いたまえ」
「はぁ……」
こうして半ば無理矢理言わされた作戦案は、この前承認された敵の補給線を攪乱する作戦と、もうひとつある。その案は各参謀やヨギヘス閣下の修正をくわえつつもほぼ草案通りに承認された。
殿下は当然と言わんばかりに頷き、閣下も当然とばかりに納得していたけれど、俺を無意味に持ち上げないでほしい。ずっこけた時が怖いから。
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12月14日。帝国軍の詳しい軍勢がもたらされたのはこの日。
「帝国軍の戦力は約2万5000。2個の通常師団と、1個騎兵旅団だそうだ」
「1個騎兵旅団? それはまた大胆ですね……」
通常、1個師団あたり1個騎兵連隊約3000騎がついているものだ。
つまり今このプウォツクには、単純計算で帝国軍騎兵隊が1万1000騎いるということになる。無論、そうじゃないかもしれないけれど。
「騎兵隊は通常の歩兵隊より兵站の負荷が高い。それなのに、戦力の半分を騎兵隊にするとは……帝国軍は豪気だよ」
「全くです。羨ましい限りで……」
冬にそんなことやれる余裕はいったいどこから湧いてくるのだろうか。
「しかしわかりませんね。都市攻略戦であれば騎兵隊は無用の長物なはずですが……」
「あいつらも何か策を用意している、と貴官は言いたいのかね?」
「はい。具体的には何かわかりませんが、何かの策でこちらの主力を平原に誘引して莫大な騎兵戦力で追い回す……などが考えられます」
「だがこちらが戦力劣勢である以上、敵も我々がプウォツクに引き籠って出てこないことは考えられるだろう。どんな策で我々を釣り出そうというのだろうね?」
「……わかりません」
頭を捻って考えてみるが、やはりわからない。
川面は凍っているとは言え、騎馬が通れるほど頑丈な表面かと言えばそうでもない。
橋はあるけれど、1万の騎兵隊で突撃しても集中砲火を浴びるだけで意味はない。
何を考えているのだろうか。ただの騎兵隊、というわけではないように思える。
「……敵騎兵隊の動きを注視する必要がありますね」
「そうだな。なんならこちらも騎兵隊をぶつけるか?」
「やめておきましょう。それこそが敵の意図やもしれません。今回は、序盤は様子見です」
「だが様子見ばかりじゃダメだろ? 君の作戦のためにも」
その通り。やられっぱなしというのは論外。防衛戦だろうが、主導権は絶対に手放してはいけないのだ。
「閣下、プウォツク周辺の橋は破壊せずにそのまま残しておくことを提案します」
「普通は逆だがな。理由は?」
「一種の心理戦です。敵に多くの選択肢を与えて揺さぶるのです」
ヨギヘス閣下の言う通り、普通は橋は壊して進撃路を断つものだ。
だがあえて橋を残す。
選択肢は多ければ多いほど良い、というわけじゃない。むしろその選択肢の多さが、かえって敵の思考力や判断速度を鈍らせる要因になる。
つまり「渡河作戦で行こうと思ったのに橋が残ってる。危険の大きい渡河作戦ではなく橋を使って普通に渡ろうか、いやでも罠があるかも……」と敵に考えさせるのである。
考えさせた分だけ、こちらには時間的余裕ができ、そして敵には隙が生まれる。
「こちらは何らかのアクションをしつづけて、敵に多くの情報と選択肢を与えてみましょう。敵の上層部の思考をパンクさせるのです」
「こっちが何を考えているのかわからない、どうすればいいのだ! ――と、敵が考えてくれれば御の字かということかな? 少々危険な面もあるとは思うがね」
確かに少々リスクがあるが、挽回できる程度のリスクであるとも考えている。
それに橋を壊すのは、ぶっちゃけ後でもできる。上級魔術で一発だ。だけれど橋をかけるのは、一朝一夕で出来るもんじゃない。
防衛し切って反撃をするときのことを考えても、橋を残しておくべきだと考えたのだ。
「なるほど。面白く、そして悪魔的だな」
失礼な。
「よろしい、君の意見を採用しよう。これで敵が踊ってくれたら見もの、踊り疲れてくれたら大万歳、もし踊ってくれなければ……」
そこで言葉が一旦途切れる。
周囲にいた人々、特にタルノフスキ参謀長なんかは首を傾げ、こう尋ねた。
「……踊ってくれなければ?」
「簡単さ」
フッと悪い笑みを浮かべて、ヨギヘス閣下は言い放つ。
「無理矢理踊らせてやるさ。俺たちの掌の上でな」
人の事言えないですよ、大将閣下。




