帝国の威信
11月3日 オストマルク帝国帝都エスターブルク
諜報を専門とする機関、帝国情報省。その情報省を統括し、この国で最も情報に精通し、この国で最も情報を操る身でいるはずの情報大臣、ローマン・フォン・リンツ伯爵にとって、愛娘が調達してきたその情報はまさに「寝耳に水」であった。
「どうします、閣下?」
「……シレジアから帰ってきたと思えば間髪入れずいきなり凶報を伝えてくるとは、教育を間違えたかな?」
「では親子らしく『お父様、久しぶりにお会いできて光栄です』と言って抱き着けばよろしいですか?」
「それをされたら余計にどういう顔すればいいかわからん」
嘆息して、リンツ伯は皮肉のセンスが向上している娘、フィーネを見つめた。
この世を舐めきっていたつい数年前までの彼女の顔はもはやなく、今となっては優秀な情報武官であり、他方では優秀な「女」である。
「それでお父様、如何なさるのですか?」
「そうだな。結婚式は豪華な方がいいだろう。彼の叙爵式も兼ねてるからな」
「特に案がないのなら私シレジアに『帰って』よろしいでしょうか?」
「おいおい。そりゃあないだろう」
母国オストマルクにいるのに「シレジアに帰る」というのは貴族の娘として如何なものだろうか。折角優秀な男を取り込んだのに母国に貢献せず帰ってこないとなると、流石にリンツ伯としては困る。
「冗談です」
「冗談に聞こえなかったぞ?」
「お父様が戯言に夢中になるなら本気になったかもしれません。私は彼の事を愛しているので」
二度目の嘆息を吐いたのは、やはりリンツ伯である。
フィーネと、フィーネの言う「彼」がそういう仲になることはリンツ伯の計画のうちだったが、どうやら上手くいきすぎてしまったようだ。
これなら、いっそフィーネに恋愛感情というものがなかった方がよかったと思う次第でもある。
「ま、私としてもこれ以上愛娘との関係をこじらせたくはない。本題に移ろう」
その言葉を聞いたフィーネは「最初からそうしてください」という台詞を内心に留まらせ、実の父にして上司である彼の発言を待つ。
「フィーネ。お前はつい先日までシレジアにいたはずだな?」
「そうです、閣下」
「で、なぜ『この情報』をシレジアで手に入れた。こういう仕事は、お前のいる第一部からではなく第二部か第三部から寄越される類のものなのだが?」
リンツ伯は情報の中身より、情報の出所に目を向けた。
フィーネの情報収集能力と情報処理・分析能力は最早疑う余地のないレベルにまで達している。それこそ「彼」と出会ったばかりの頃ならばまだしも、今はこうして国家に対して十分に貢献できる域までには成長している。
だからこそ、中身より出所を重視した。納得いく出所であれば、もはや彼女が持ってきた情報の真偽を疑う余地はほとんどない。
オストマルク帝国情報省は四つの部門に分かれている。
対外諜報活動を旨とする第一部。
対内諜報活動を旨とする第二部。
第一部と第二部が集めた情報を処理・分析する第三部。
そしてそれらの情報を基に具体的な行動に移す第四部。
フィーネ・フォン・リンツが属するは第一部。その中でもフィーネはシレジア専門の諜報活動を行っている。彼女の持つ独特なコネを使って。
だからこそリンツ伯は疑うのだ。
「なぜ、シレジアで活動しているお前が、我が帝国にて高貴なる身分の者の情報を子細に得ることが出来たのだ?」
と。
フィーネが動乱のシレジアより見つけた情報の断片は、彼女の持つ処理能力と分析力によって混沌の色をした巨大な玉石となった。
その玉石の名は――、
「『ヴァルター皇子殿下の計画』は、シレジアで始まったのです」
「…………」
ヴァルター皇子。
全名はヴァルター・アウグスティーン・ダミアン・フォン・ロマノフ=ヘルメスベルガー。
シレジア王国王女エミリア・シレジアの自称婚約者であり、先のシレジア内戦を引き起こした者の名である。
彼はシレジア王国の内戦終結後、直ちに帝国へ帰還を果たす。
エミリア王女との婚約は、内戦の終結と親東大陸帝国派であるカロル大公の亡命と共になかったことにされ、今は王宮の中で罪を謝すことも罰を受けることもなく臣民の税を使って平穏無事な生活を送っている。
あんなことをやっておいて、無罪放免なのは、彼がこの国でも高貴なる身分にいたことが原因で、いかなリンツ伯爵と言えども手を出すことはできなかった。
だが、フィーネの持ち帰った情報によれば、理由は他にもある。
「シレジア王国内戦においてカロル大公と共に王国に反旗を翻した貴族や将軍などの関係者に対し聴取を行い、必要とあれば王国の治安警察局と協力し家宅捜索を行いました」
「それで、この証拠が出てきたと?」
「……いえ、直接的な証拠を残すほどの無能はさすがにいませんでした」
その妙な言葉選びに、リンツ伯はピンと来た。
なるほど、秘密警察に身を置くものとしての才能はあるのだと、リンツ伯は再確認したのである。
「決め手は?」
「商人からの証書……いえ、手形と言えばいいでしょうか。愛しの彼のおかげで空手形になったようですが」
「なんの手形かな?」
「内戦に協力してくれたお礼の品を、ヴァルター皇子がシレジアの叛乱者たちに送っていました。装飾の施された純銀製の食器類ですね」
「それが根拠の種になるのか?」
これだけであれば、やや語弊がある言い方をすれば何も問題はない。
ヴァルター皇子はシレジアの叛乱者と手を組んでいたということに他ならないのだから。
しかしフィーネは、リンツ伯爵家の下に生まれたものの宿命である「しつこさ」を持ち合わせていたのである。
「その取引を仲介していたシレジアの業者は、どうやら東大陸帝国軍とも良い関係にある、と言われたら疑いますでしょう?」
「なるほど。読めてきたな」
おそらくその業者はただの仲介人ではなかった、ということだ。
商売の仲介だけではなく、悪巧みの仲介も行っていた。そしてそいつは、東大陸帝国とも仲がいいと来れば、疑うなというほうが無理だ。
そこまで至る道は確かにか細い。並の者なら見逃す証拠を、フィーネは確かに掴んだ。
あとはフィーネが推測し、手繰り寄せたか細い糸を補強するように新しい糸を手に入れる。きっかけとなった証書が不要となるくらいにまで、証拠は補強された。
「ですが、何分あの国は今大変な時期にあり、証拠を集めるのに時間がかかりました」
「いや、よくやった方だよ。これでこちらも動きやすくなった」
リンツ伯の言葉に、フィーネはニコりともしない。
フィーネはオストマルク帝国と皇帝に忠誠を誓う、情報武官である。だからこそ執念で掴んだ情報であるが、その一方で、別の熱い思いが彼女の中で錯綜する。
この情報がリンツ伯にもたらされることによる「不利益」が、確かにあるのだ。
オストマルク帝国、もとい、リンツ伯が理想とするオストマルク帝国にとっては「利益」の方が大きい。
だがフィーネの思う不利益と利益のバランスは、この時、拮抗していた。
「だが……これでユゼフくんには悪い事をしてしまったな。彼にまた負担をかける結果となるか……」
「……はい」
フィーネは顔を伏せ、目を閉じる。
はるか遠方にて戦う愛しの人を思い、謝り、祈った。
(……ユゼフ大佐。私が貴方の下へ直接謝罪に行くまで、どうか無事でいてください)
なぜなら、フィーネのもたらした情報は、オストマルク帝国の根底を覆すほどの重大もの。情報省や軍部がシレジアの戦争になど構っていられない程に価値のある情報だったのだから。
夢にフィーネさんが出てきて「出番ください。じゃないとあのこと喋ります」と脅してきたので書きました




