強襲
シレジア王国北西部、同国最大にして唯一の軍港のあるグダンスクは、シレジア王国の海洋貿易の拠点として発達してきた。
かつてシレジアの国力が今よりも強大だったとき、ここには多くの軍艦が並んでいた。
だがシレジアの衰退、そしてカロル・シレジアによる内戦の結果、シレジア王国の海軍は保有艦艇2隻のみとなり、ほぼ壊滅的状況となった。
さらに東大陸帝国による二度目の戦争によって陸軍戦力までもが東に移動し、グダンスクはほぼ無防備の状態となっていた。
その状況を、侵略者が見逃すはずがないのである。
グダンスク失陥の報は、11月1日には王都シロンスクにいる王女エミリア・シレジアの下に届いた。
「そんな……」
報告役のマヤ・クラクフスカは、主人の顔がみるみるうちに青くなっていく様を見ることしかできなかった。
慰める、なんてことはできない。それほどまでに状況はシレジアに不利なのである。
「殿下、ただちにグダンスク方面の迎撃に出ませんと、王都が危険です」
「わかっています。でも……そのための戦力が……」
戦力がない。
帝国軍は国境から陸路で進撃し、そのためにシレジアの主戦力は東の国境付近に展開していた。それを呼び戻すまでに、いったい何日かかるだろう?
その間に帝国軍は橋頭保を固め、進撃してくるだろう。巨大な港を有するグダンスクであれば海路による補給線の確保が容易だ。
対してシレジア軍はその海上補給路の遮断なんてできない。グダンスクを半包囲し奪還作戦を行う戦力的余裕もない。
よしんば主戦力を呼び戻せても、国境を超えた東大陸帝国軍がそのシレジア王国軍を追走することは間違いないし、その途上にある都市は次々と彼の国の手に落ちるだろう。
その都市に住む国民を疎開させる時間的余裕なんてあるはずもない。
「……しかしグダンスク方面を無視すれば、彼らはヴィストゥラ川を遡上してきます。ブロンベルクを経由し、一気に王都を落とすでしょう」
「そうなれば、我々は白旗を上げるしかなくなりますね……」
背に腹は代えられない。
エミリアは苦渋の決断を下すしかなかった。そうしなければ、針の穴の如く小さな勝利への道筋もふさがってしまうのだから。
「…………ヴィストゥラ川以東のシレジア王国領を全て放棄。その際、物資は全て焼き払ってください。……国民の疎開は、やりません」
国家の存亡の為に国民を見捨てるという決断を、エミリアはせざるを得なかった。
そしてそれは、たとえ成功したとしても、国民に大きな負担と憎悪を産ませることになる。
「……殿下」
「大丈夫です、マヤ。私はまだ、大丈夫……」
そう呟くエミリアの瞳には、生気が失われつつあった。
決断に伴う事務的処理も遅々として進まない。
「殿下、そろそろお休みください。先はまだ長いのです」
「大丈夫です。私は……」
「大丈夫なわけないでしょう。ここで殿下が倒れてしまっては意味がありません!」
マヤはエミリアに近寄り、彼女からペンを取り上げる。
如何に不敬と罵られようが、そうしなければエミリアの命に係わると直感的に判断したためである。
「……私が倒れ、国が残るのであれば私はそれを喜んでしますのに」
ふと、エミリアが口にした。
それが心から望んでいることは、マヤにもわかった。だが、
「殿下がよくても、私が困ります。ユゼフくんも困るでしょう」
「……そうかもしれません。いえ、きっとそうでしょう。私が倒れたことで仕事が増えると、嘆くかもしれません」
「彼はそこまで薄情じゃないですよ」
昔なじみの友人たちの話。
彼らのことを話すと、エミリアは少し楽しそうに笑顔を見せる。
「ユゼフさんなら、この状況をどう見るでしょうか」
この不利な、極めて不利な状況をどう見るだろうか。
いつでもどこでも、彼はあらゆる不利を覆してきた。そして妙に楽しそうに、その不利を覆してみせた。
戦力優勢で戦争がしたいと彼が言うたび、不利な状況下に置かれる。
きっと呪われているに違いない。
エミリアはそう思うと、ユゼフに少し怒りが湧いてきた。
「でも、きっとなんとかしてくれるのかも。奇抜で珍妙な作戦を思いつくのかもしれません」
「なら我らにもきっと勝機はあるでしょう。彼がいる限り。それに同盟国の軍団もそろそろ彼らの下に辿りつく頃。期待しましょう」
「えぇ。では仕事を――」
「いえ、お休みください。続きは私がやります」
間髪入れずに書類を取り上げるマヤ。
それに頬を膨らませるエミリアだが、すぐに空気を抜いて、
「ありがとう。少し、休みます」
そう言って、彼女は宰相執務室から出た。
部屋に一人残されたマヤは、誰に向けるでもなく呟く。
「…………でも心の中では気付いているはずだ。私も、殿下も、ユゼフくんも。彼で以てしても、もう無理なのだろうと」




