割れ目
「よくもここまでいいようにやられたもんだな」
壊滅状態にある前線への補給路。
敗走するシレジア王国軍を追い前線へ展開したシロコフ大将率いる東大陸帝国軍第Ⅳ軍は、王国軍の分厚い防御陣と神出鬼没の騎兵隊に翻弄されてしまい、足止めを余儀なくされた。
補給部隊は物資より前に屍を積み上げ、護衛を強化しても騎兵隊は捕まらないどころか返り討ちに遭い、皇帝セルゲイ・ロマノフに救援を求めたのが10月24日のことである。
その時には既に、シレジア王国軍精鋭近衛騎兵連隊によってかなりの痛手を負っているとき。シロコフ大将の進退にも響く惨敗さに、セルゲイは溜め息を吐いた。
別にシロコフが無能、というわけではない。
ただでさえ地の利を得られない侵略戦争に冗長となった補給線を完全に防御することなど不可能という事実をセルゲイを含めて忘れていた、あるいはシレジア王国軍の手際を侮っていたことに起因するのだから。
「しかしこれで、状況はまずくなりましたな……。シレジア王国軍は態勢を立て直し、戦力を集めて反撃に出るでしょう」
司令部の誰かがそう話す。
優勢と信じていたが故に、ひとつ躓くと途端に不安感が増大する。
この時帝国軍はアテニ湖水地方にセルゲイが直接率いる第Ⅰ軍と、シロコフが率いる第Ⅳ軍、合計20万の兵力を展開していた。
それ以外にも第Ⅱ軍と第Ⅲ軍がそれぞれ10万、全て合計して40万の兵力となるはずだが、それでも帝国軍が弱気になっていたのは相手がシレジア軍だからである。
シロコフ大将の報告によればシレジア軍は前線に数万の部隊を貼りつかせており、そこに第三次ガトネ=ドルギエ会戦の敗残兵が合流し、さらにはオストマルク帝国やカールスバート復古王国が介入して来れば、如何に東大陸帝国といえども降りは免れない。
補給線の寸断、敵兵力の増強。
自分が優位に立っていると思った矢先のこの事態に、帝国軍諸将は慎重とならざるを得ないのだ。
ただひとりを除いて。
「なにが状況だ。俺が状況だ」
傲慢に、あるいは豪気に、セルゲイは鼻を鳴らし、確かな自信を持ちつつ、彼はそう言ったのである。
「陛下、それでは説明不足です。もう少し詳しく言ってくださると幸いです」
「ん? 説明も何も、それについては戦争前に話したことだ。それを思い出せ」
二度説明することはごめんだ。
そう言わんばかりの発言である。
戦争前に説明した事。
事前の作戦計画で話したこと。そして誰かが思い出したのか、はたと発言する。
「……第Ⅲ軍所属のラドシェンコ中将の軍団が、予定通りであればそろそろグダンスクにつく頃ですな」
「そういうことだ。忘れずに覚えていてくれて光栄だよ」
確かに事前説明はされていた。
アテニ湖水地方から長躯して出撃、ひたすら西に突き進む部隊の目的地は、シレジア王国唯一の軍港にして最大の港町であるグダンスク。その地を占拠するという大任を受理したのは第Ⅲ軍隷下のラドシェンコ中将の軍団。
だがアテニ湖水地方とグダンスクはあまりにも遠い。補給上の不利は免れない。
占領しても長続きはしないというのが本音である。
しかしそれを問題としない、もうひとつの手が、セルゲイの脳内にある。
そしてその手は、既に実行されている。命令無視などをしていない限りは。
「目の前のシレジア軍には悪いが、ここは無駄骨を折ってもらう。確かに我々は戦術上の不利を甘受しているが、間もなく奴らは戦略上の敗北を喫することになるだろうからな」
セルゲイのその自信たっぷりな発言は、数日後に現実のものとなる。
10月30日、10時30分。
東大陸帝国艦隊が多数の輸送船を伴って、グダンスクを襲撃したのである。




