負けたけど
「……負けた?」
「あぁ、負けた。友軍主力は既に敗走中、ローゼンシュトック元帥も負傷し指揮系統が混乱している」
着任挨拶をしようかと思ったら早々に友軍部隊壊滅の報をタルノフスキ参謀長閣下から聞くことになった俺、ユゼフ・ワレサであります。
どうやら事前の悪い予想は大当たりだったようで、皇帝セルゲイ・ロマノフは並々ならぬ軍才を持っているらしい。
「それで、残存部隊は?」
「我々ヨギヘス軍団2個師団、同盟国カールスバートからのレレク軍団2個師団、そしてあとはローゼンシュトック迎撃軍の敗残部隊がいくらあるか、と言ったところだ。戦場の外に遁走してどこに行ったかわからん連中がいくらいるかもわからん」
「……なるほど」
部隊半壊だとして5個師団、そこから脱走兵を差し引いて4個師団程度とすると、残余8個師団となるわけか。これで東大陸帝国軍40個師団を相手取らなければならない。
しかも相手は緒戦の勝利に湧きたち士気も上がっている。対するこちらの士気は下がっているだろう。
「とにかく、ローゼンシュトック軍と合流し部隊の再編制を行わなければならんし、カールスバートのレレク軍団はまだ戦場に到着できていない。当分は我々2個師団だけで相手をしなければならないぞ」
「……楽しい未来図ですね」
「全くだ」
当初の目論みだった短期決戦は完全に破綻しただけでなく戦力も半減してしまったわけだ。どうしたものか……。
「ワレサ大佐。来ていたのか」
「――! ヨギヘス閣下、到着遅れ申し訳ありません!」
タルノフスキ中将と話していたところに、ヨギヘス大将閣下がこちらにやってきた。敬礼をし合って、互いの報告をする。
「手土産に、近衛師団第3騎兵連隊を連れてきました。指揮官は一応私ですが、実戦指揮はサラ・マリノフスカ中佐に任せると思います」
「頼もしい限りだ。精鋭にして常勝の騎兵連隊があれば、未来は明るいな」
「全くです」
ぶっちゃけ、サラが負ける所なんて想像がつかないのは確かだし。
でも相手が相手だ。油断せずに行こう。
ヨギヘス大将にサラを引き合わせ挨拶をさせる。サラ自身の戦術眼はともかくとして、多少なりともここで上官の覚えめでたくさせて大佐に昇進させてしまおう。
じゃじゃ馬暴れ馬のサラさん仕込みの騎兵連隊の指揮はサラさんに任せた方がいいでしょう常識的に考えて。
「第3騎兵連隊副連隊長サラ・マリノフスカ中佐です」
「ヨギヘスだ。噂に違わぬ美少女士官だ。これを部下につけるワレサ大佐が羨ましい。どうだ、いっそ私の部下にならないか?」
いやなにナンパしてるんですか閣下。
「ありがたいですが、私は既に心も体も指揮権もユゼフのものになっていますから」
と、良い笑顔で堂々と言うサラさん。
やめろ、ちょっと恥ずかしいから。
サラの言葉を聞いたヨギヘス閣下は、羨ましい限りと言わんばかりに肩を竦めると、
「ではワレサ大佐の面倒を頼むよ」
「はい!」
はいじゃないが。階級で言えば俺が面倒見る立場なんだけど、
「時にワレサ大佐。貴官の事だ。こうなった時の対策くらいあるんだろう?」
「……買被りすぎです」
「否定はしない、ということはあるんだね?」
「…………一応」
味方が負けた時の対策なんて無駄になった方が良かったんだけどなぁ……。
ヨギヘス大将とタルノフスキ中将が揃って俺の発言を待っているところを見ると、やはり言わなければならないらしい。あまりスマートなやり方ではないんだけれども。
「我が軍団は敗残のローゼンシュトック軍団を収容後に後退、その際に周辺町村の物資を焼き払うことを進言致します」
「ちょ、ちょっとユゼフ!?」
俺の進言に驚いたサラが上官を目の前にして素の反応を見せた。
タルノフスキ中将が制止しなければたぶんそのまま問い詰めたところだろう。
一方、ヨギヘス大将は意図を察したのか深く頷いた。
「焦土作戦というわけだな。それで、それを行う理由は?」
たぶん、ヨギヘス大将も理由はわかっているだろう。説明させるために質問している。
「はい。まず、彼我の戦力差が巨大であるためまともにやり合っては負けるだけです。それにここは平地で戦力差が表れやすい上に戦略上の要衝というわけではありません。であれば、ここに居座る理由はないでしょう」
「もっともだな。続けろ」
「……敵は我が国を侵略せんと兵を進める侵略軍です。そして相手は大軍であります。であればこそ、兵站上の問題を抱えることは必定です」
後方からの兵站輸送というのは案外難しい。
距離が長ければ長くなるほど効率が落ちて、大軍を養うことが出来なくなるからだ。
そう言う時、特に侵略軍が行うのは現地調達。金銭による売買だったり、あるいは武力による略奪だったりするわけだが、それも全ては「現地に物資がある」ことが前提になる。
「そのために、予想進路上の物資を全て引き払い、持ち運べぬものは全て焼き払います」
「少々勿体ない気もするがな。特に、麦の収穫は終えたばかり、あるいはこれからというところもあるだろう」
「敵に奪われるよりマシかと」
俺も今世農家出身だからわかるが、丹精込めて育てた農作物を焼くのは不本意だ。けど、ここは涙を呑んで実行するしかない。
「では住民はどうする? 私としては、そのままにすべきだと思うが」
と、ここでヨギヘス大将からの鬼畜発言。
いや鬼畜ではあるが戦術・戦略的には正しい行為だろう。
東大陸帝国軍がシレジアの征服を目論む以上、住民の虐殺はしない。してしまえば、その土地の生産力は減少しうまみがなくなるばかりか、国民感情が悪化して反帝国運動が跋扈するだけだ。
だから帝国軍としては住民を虐殺せず懐柔し、善良な軍隊として振る舞うことだろう。
その帝国軍の心理を逆手に取り、現地住民の物資だけを奪って置いてけぼりにして、帝国軍に物資を住民へと渡させて兵站への負担を強要する。
ただでさえ侵略途中で兵站が不安になる中そんなことをすれば、致命的なことになるのではないか。
それに軍事訓練を受けていない住民の、しかも家財道具や財産を持っての移動となると足が遅くなる。機動力命の軍隊にとってこれは足枷にしかならない。
こちらの機動力を守る意味でも、敵に負担をかける意味でも、住民を残しておいた方がいい。ヨギヘス大将はそう言っているのだ。
でも……。
「私としては、住民も疎開させるべきかと」
「……なんだと?」
予想外だ、という反応を見せる閣下。
別に住民を取り残すことに罪悪感を抱いているのが主要な理由と言うわけじゃない。無論、それもあるが……。
「二つ理由があります。まず第一に、帝国軍は我がシレジア王国軍主力を壊滅させたことで、侵攻速度を落とすのではないかと言うことです」
報告によれば、敵軍は40個師団を4つに分けている。そしてアテニ湖水地方で戦ったのは先鋒の10個師団だけということ。
つまり後続の30個師団はまだ戦場に到着しておらず、機先を制するために10個師団だけが突出してきたと見るべきだろう。
こちらの主力が壊滅した今、帝国軍は最早急ぐ理由はなくなった。じっくりと戦力と兵站が整うのを待ってから侵攻を再開してもいいだろう。
その時間的猶予があれば、敗残兵の収容と再編、住民の疎開はある程度できるはずだ。
「ですが当然、アテニ湖水地方に近い地域、つまり帝国軍主力の位置に近い地域の疎開までは無理です。その地域に関しては、帝国軍に世話を頼むことになります」
「なるほど。第二の理由は?」
「二つ目は、より後方の地域における住民感情の悪化を懸念しています。私たちは緒戦に負けている以上、もし閣下の提言した行為を行えば、住民が『王国軍は自分たちを守ってくれないんだ』と思ってしまうでしょう。そうなれば、後方の士気が瓦解し帝国軍に与する者が続発すると思われます」
まさに前門の虎、後門の狼である。しかも狼が王国民であるからして面倒なことになる。
だからこそ、住民の疎開はした方がいい。
「ふむ……なるほどな。確かに貴官の言う通りだろう。それに、住民を見捨てることは夢見も悪いか」
「左様です」
「わかった。ではワレサ大佐の作戦案を了承する。ローゼンシュトック元帥が負傷した今、ここは独断専行でやるしかないな。ただ、問題がひとつある」
「えぇ」
それは、敵主力の侵攻が止まっても、敵の先鋒が偵察を兼ねて急伸する可能性が極めて高いと言うことだ。
もし彼らがこちらの動きを察知したならば、兵站の苦慮を気にせず突撃し疎開作業最中のヨギヘス軍団さえも壊滅するかもしれない。
住民の疎開をさせながらこの脅威に対応する戦力は、残念ながらヨギヘス軍団にはない。
「だからこそ、閣下、我が第3騎兵連隊にお任せください」
「……何?」
こんな時の為の、精鋭の騎兵連隊。
「私たちが敵先鋒偵察部隊を食い止めます。その間に、閣下は疎開の作業を進めてください」
「……敵は恐らく数個師団で急進してくるぞ。勝てるのか、たった一個連隊で」
「無理です。一個連隊では一個師団にも勝てません」
たとえサラの騎兵連隊でも、たぶん無理。
「しかし、足止め程度なら何とかなります」
「…………」
ヨギヘス大将とタルノフスキ中将は互いの目を見合わせて、そしてなにやらボソボソと相談している。そして数十秒後、答えが出たらしい。
「わかった。貴官に任せる。第3騎兵連隊と……それについでだ、ケプラ准将の旅団も貴官に預ける。彼にはこちらか、貴官の指示に従うように命令しておこう」
「……ありがとうございます、閣下」
そう言って、ヨギヘス大将はその場から去って準備を始めた。
その背中を目で追っている最中、サラが近づいてきた。
「ねぇユゼフ。何言ってるかわかんなかったけど、大丈夫なの?」
「常勝不敗のサラにしては殊勝だね?」
「何言ってんのよ。私のユゼフが負ける訳ないじゃないの! ただ、あまり損害が大きくなる作戦は嫌よ?」
「わかってるって。だから損害は少なく戦果は大きく、に努めるよ」
「……なら、腕が鳴るわね」
言って、サラが腰に手を当てて胸を張った。
「敵数個師団をたった1個騎兵連隊で蹴散らす、これぞ我が近衛騎兵連隊が待ち望んでいた状況ってやつよ!」
「頼もしい限りだ」
「こっちもね。ユゼフと私が組んで、負けるわけないもの」
俺もそんな気がするよ。
サラと組んで負ける未来なんてありえっこないさ。
「よし、となれば、まずは下ごしらえだ。ラデックと相談して、準備を始めるよ、サラ」
「えぇ!」
状況は絶望的だが、なぜか負ける気はしない戦いの始まりだ。




