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大陸英雄戦記  作者: 悪一
戦争をなくすための戦争
453/496

第三次ガトネ=ドルギエ会戦 その4

 9月22日の朝。


 シレジア王国軍が勝利を確信し攻勢をかける準備をする中で、東大陸帝国皇帝にして軍司令官たるセルゲイ・ロマノフもまた、勝利を半ば確信していた。


「まさかこれほどまでに上手くいくとは、思いませんでしたよ」

「何、それほど大したことはしていない」

「大したことはない……ほんとうに?」


 疑義を申し立てるのは、セルゲイの友人にして副官のミハエル・クロイツァー。

 眉間に皺を寄せて詰め寄る彼の表情は、セルゲイの戦術に感心するよりもまず呆れ果てるように見える。


 実際、その通りのなのだが。


「そうだとも」


 彼がした事と言えば、皇帝の身にありながら最前線で指揮を執り、敵に降伏の使者を数度送り、使者と面会するたびに狼狽する、自分はこんなことするつもりはなかったのに周りがやれと言うから、などと宣うなど、確かに大したことはしていない。本人にとっては、だが。


「よくもまぁ、あんな嘘がつけるものですよ」

「戦争なんて嘘ついてなんぼさ」

「それはそうかもしれませんが……。ですが、どうしてこうもシレジアとやらは、陛下の嘘に騙されてしまったのやら」


 クロイツァーにしてみれば、セルゲイの趣味の悪い悪戯をシレジア王国軍が本気にして、今現在も自らが優勢であると自己暗示をかけているようにしか見えない。


 冷静に考えれば、これが罠である、そこまでいかずとも罠である可能性があると考えるのではないか。


 しかしその点を考慮に入れないセルゲイではない。

 嘘を吐くことに関しては、そして嘘を信じ込ませることに関しては、セルゲイはクロイツァーやシレジア王国軍首脳部より一枚上手だったのである。


「簡単な話だよクロイツァー。シレジア王国とやらは俺らとやり合う前に何をしていた?」

「……私たちと戦争する前……まさか!」


 この時、やっと彼は気付いた。


 シレジアは親帝国派の叛乱軍と暫く内戦に興じていた。王国軍は叛乱軍を早期のうちに下し国内を平定させたが、それは親帝国派の人間を全て討ち滅ぼしたという意味ではない。


 むしろ叛乱が成功しなかった時、苦しい時に備えて、隠れ親帝国派を王国軍内部、それも上層部に忍ばせておくことくらい容易に想像できる。それに内戦によって国内の防諜が疎かになるのは自明の理であり、故にシレジア王国軍はその毒を取り除くことが出来ぬまま戦うことを強いられたのだ。


 王国軍上層部に親帝国派が巣食ったまま帝国との戦いに身を投じなければならなくなった場合、自然とこの毒が意味を成してくる。


 例えば「皇帝セルゲイは無能者である」と流言をばら撒いて議論を誘導させ、帝国に有利な状況下で決戦に挑ませるなどの策が考えられるだろう。

 今はまさに、その状況だ。


「ま、そういうことだな。奴ら王国軍が、内戦の勝利によって国内に敵なしと考えるのは自由だが、俺らには奴らに現実ってものを教える義務がある。そうだろう、クロイツァー?」


 だからこそ、セルゲイは半ば勝利を確信しているのだ。


 クロイツァーは何も答えず、戦場を見やる。

 丘を奪取された帝国軍は、傍から見れば、少なくとも王国軍から見れば劣勢なのだろう。


 だがそこに、セルゲイの罠が潜んでいることに気付いているのは、この戦場に何人いるのやら。


「――陛下、敵が左翼に攻勢を仕掛けてきました!」


 そして予想通りの報告が参謀よりなされた時、セルゲイは微動だにしなかった。


「やはりな。左翼は防御に徹し敵の攻撃を防げ」

「畏まりました。中央と右翼は左翼の支援を――」

「無用だ」

「は? しかし左翼は数は少なく、それに対して敵は多く――」


 参謀は首を傾げ、やや慌てて状況を説明する。

 だがセルゲイは変わらず、戦場を俯瞰した。


「支援は不要だ。左翼は地形によってある程度はもつだろう。その内奴らはやきもきして増援を繰り出すだろうな」

「しかしそうなれば――」

「そうなれば?」


 セルゲイが聞き返した。ここまで来ると、参謀はわけがわからぬと疑問符を空中に浮かべることしかできない。


 だからセルゲイは言ったのだ。


「そうなれば、俺らの勝ちだ」


 と。




 11時30分。


 戦況は、セルゲイ・ロマノフの予想通りとなった。

 王国軍総司令官ローゼンシュトック元帥はそのことも知らず、こう着する戦況に辟易していた。


「右翼は何をやっている! さっさと敵左翼を蹴散らせないのか!」


 この時、シレジア王国軍は前日までの戦いと違って苦戦を強いられていた。


 帝国軍左翼の抵抗が思ったよりも頑強で、未だ突破できずにいたのである。敵右翼・中央は布陣が厚く陽動が精一杯で、敵左翼を突破できるかが、今会戦の趨勢を決定するものだと確信していた。


 しかし王国軍右翼戦力4万に対して敵左翼は僅か1万。

 いくら連日連戦が続いているからと言って、優勢にある状況下士気は高いはずである。なのに突破できない状況に、ローゼンシュトックは僅かに苛立ちを覚えていた。


「地形に阻まれ、数の優勢が思うように生かされていません。突破は不可能ではありませんが、このままだと戦力を消耗するばかりでございます」

「ではどうするか? 一旦後退し、態勢を立て直すか?」


 ローゼンシュトックは一応そのように聞いてみたが、この時すでに自分で答えを決めていた。あり得ない、と。

 そして彼の参謀もまた、彼と同じ考えを口にした。


「いえ、我が軍が有利なのは変わりありません。ここは増援を出すべきです」

「増援か。では丘上を取っている奴らを動かそう。上手くいけば半包囲できるはずだ」

「異議はございません。そのように取り計らいます」


 12時30分。

 丘上を取っていた王国軍1個師団が、帝国軍左翼に向け転身。加えて王国軍左翼部隊は、帝国軍右翼部隊が左翼防衛に回らないよう陽動作戦を実行する。


 王国軍右翼に限ってみれば、帝国軍との戦力差は5対1と、普通に考えれば負ける余地のない戦いとなっていた。


「――進め、進め! ここを突破すれば、皇帝セルゲイの首をこの槍先に掲げることも不可能ではない! 進め!」


 王国軍は高らかな鬨声を上げて前進し、帝国軍はその圧力の前に後退を余儀なくされる。だが帝国軍左翼もやられっぱなしではない。


 彼らは王国軍増援に側背を撃たれないよう機動的に陣形を転換。塹壕ではなく、歩兵の足に頼った機動的な防御戦によって王国軍の攻勢を柔軟に流し受けていた。


 それでもなお、彼我の戦力差は圧倒的であり、帝国軍左翼の壊滅は時間の問題……かと、思われた。


 だがその時、王国軍は既に敗北への下り坂を転がっていたのである。

 15時、帝国軍左翼を突破せんと進撃を続ける王国軍右翼部隊の側背より、帝国軍が襲い掛かってきたのである。


「何!? や、やつら、いったいどこから来たのだ!?」


 王国軍将兵は狼狽し、それに影響され指揮系統は崩壊する。いったいどうしてそうなったのかと誰もが疑問に思うが、それに答えらえるのはこの場にはいない。


 答えを持っているのは、王国軍司令部、あるいは帝国皇帝セルゲイ・ロマノフのみ。


 遡って13時15分。

 王国軍が右翼増援の為に、丘上の兵力を動かした時のことである。


 帝国軍総司令官にして皇帝セルゲイが、自らの勝利を確信した。


「今だ! 中央部隊は空隙となった王国軍中央を突破しろ! 司令部直属の予備戦力も投入だ!」


 王国軍は、致命的な失敗を犯した。

 帝国軍左翼部隊を突破しようと躍起になった余り、中央の戦力を薄くしてしまったのである。


「皇帝陛下万歳!」

「帝国よ、永遠なれ!」


 将兵たちが雄叫びをあげながら前へ、勝利へと進む。この時王国軍中央、丘上を守る部隊は1万しかおらず、さらに自分たちが勝利を確信していたがゆえに、突然の帝国軍の反撃に狼狽したのだ。


「踏ん張れ! 如何に敵が多くとも、ここは死ぬ気で護るのだ!」

「進め! ここを取れば勝利はすぐそこだ!」


 両軍兵士の叫びが、丘に木霊する。


 魔術発動光が空を照らし、金属音がぶつかり、人の赤い血が丘を染め上げる。


 皇帝の御前であるということ、そして劣勢からの大逆転が自分たちの手によってなされると言う現実が、帝国軍将兵の士気を最大限にまで高めた時、シレジア王国軍の勝利は潰えた。


 2時間余りの攻防の末、帝国軍がシレジア王国軍中央の突破に成功し、丘上を奪取したのである。


 戦場を見やり、戦場を俯瞰し、敵の動きを余すことなく伝える丘は、再び帝国軍の手に戻ったのである。


 そして丘から見て右にあるのは、今まさに突破されそうに見える勇猛果敢な味方の姿と、自分たちに対し脇腹を晒している王国軍の哀れな姿である。


「ダルオング軍団は当地を死守、残りは敵左翼を叩く! ――吶喊!」

「応!」



 9月22日、15時40分。

 第三次ガトネ=ドルギエ会戦の戦いは終わり、その後は、帝国軍による苛烈極まる包囲殲滅、追撃戦と言う名の一方的な蹂躙が始まったのである。


 帝国軍の損害は1万だったのに対して、王国軍の損害は約4万8000。総司令官ローゼンシュトック元帥が負傷したため、さらに陣形も何もなく壊乱したことにより、数字以上の損害を王国軍は被ってしまったのである。


 これらの情報が、後方に控えていたユゼフ・ワレサの耳に入るのは、翌9月23日のことであった。

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