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大陸英雄戦記  作者: 悪一
戦争をなくすための戦争
452/496

第三次ガトネ=ドルギエ会戦 その3

 9月20日。


 シレジア王国軍将兵にとって、俄かには信じ難い使者がやってきた。


「……今なんと言った?」

「ですから、皇帝陛下はシレジア王国と和議を結ぼうとお考えです」


 まだ戦争初日だというのに、大国の指導者にして大軍の指揮官たる皇帝セルゲイ・ロマノフの使者が「和議」を提案してきたのである。


 歴戦の勇士たるシレジア王国軍将兵は、この報せにあっけにとられた。

 どうしてこうなったのか、明確な答えを持ち合わせている者など一人もいない。故に、推測するしかなかった。

 使者への返事は一旦保留となり、緊急の会議が開かれたのはその日の昼。


「やはりセルゲイは戦争の素人なのではないか? 調子に乗って前線に来て、苦戦したあげく『降参』しようとしているのでは?」

「だがまだ初日だ。明らかにあちらが有利なのに、使者を送り出すのは意味が分からん。なにか罠を仕掛けようとしているのではないか……」

「罠? 罠、と言うが敵は我が方の4倍の兵力を有しているのだぞ? 罠を仕掛ける道理がないではないか!」


 侃侃諤諤の議論は出口の見えない迷宮の如く、将官らを悩ませた。


 罠であるのか、そうではなく自分たちが戦前予想していた通りに、皇帝は戦争の素人だったのでは。


 そのような疑問、あるいは猜疑心がシレジア王国軍の高級将校から下は輜重兵までに蔓延しはじめた。ある者は楽観論を、ある者は悲観論を叫ぶ。


 一時間程の議論の後、司令官ローゼンシュトック元帥は


「罠か、そうでないかは判断できない。ここは使者には御帰りになっていただき、当初予定通り攻勢作戦に移る」


 と、決断した。

 つまり、何も変わらず、ということである。


 しかしローゼンシュトックには、これを見極める方法を知っていた。罠であれば、この攻勢に対して何らかの反撃をしてくるだろう。そうでないにしても、頑強に抵抗してみせるだろう、と。


 そう判断する理由はふたつ。


 ひとつは先の参謀が言った通り、数の上では帝国軍が優勢だからである。地の利はないが、数的優勢なれば攻勢をたやすくはねのけることはできる。


 もうひとつは、帝国軍が現在陣取っている場所である。

 その場所とは、ガトネ=ドルギエ平原を一望できる丘の上である。


 丘、というのは戦場において最も重視されるべき地形である。

 戦場全体を見渡し戦況を容易に把握できるだけでなく、敵にしてみれば丘を落とすために斜面を登らなければならず、故に突撃の衝撃力が弱まってしまうからだ。


 もし罠であれば、この重要な丘をやすやすと放棄はしないだろう。むしろ丘への攻勢が強まったところで、伏兵が王国軍攻勢部隊を包囲しようとするはずである。


 では、もし罠でない場合はどうだろうか。

 罠ではなく本当に「皇帝は遥か格下のシレジア王国に対し負けを認めようとしている」ということになる。

 敵にどういった事情があれど、このようなことがあれば兵の士気は下がって当然である。そんな君主のために戦う道理など、下級兵士や士官などにはない。


 となると、丘は案外あっさりとれるだろう。


 ローゼンシュトックはそう考えた。


 であれば対策は簡単だ。


「司令部直属の騎兵連隊を索敵に回せ。我が軍の包囲を画策しているかもしれん。慎重に部隊を前進させ、敵が陣取るあの丘を攻め落とす!」


 14時30分。


 朝から始めるはずだったシレジア王国軍の攻勢作戦は、若干の遅れがあったものの始まった。


 攻勢に参加する前面兵力は3個師団、約3万。その他、攻勢部隊の側面を援護しつつ索敵に奔走する騎兵連隊が遊弋していた。


 帝国軍の一連の動きを罠だと考える、ローゼンシュトック元帥以下高級士官は丘を巡る戦いは相当苦戦するだろうと考えていた。それゆえの慎重な布陣であった。


「進め! 進め! 奴らに、我が王国の槍の恐ろしさを見せつけてやれ!」

「突撃せよ! 敵に休む暇を与えず完膚なきまでに叩きのめせ!」


 シレジア王国軍は勇猛果敢に斜面を登り突撃。

 勇壮なる戦列が、軽快な音楽と共に敵防御陣地へ迫る。


 上級魔術の発動光が天にまばゆく輝き、軍靴の足音が地を唸らせる。


 しかし丘上に陣取った東大陸帝国軍が築いた強固な防御陣地は、シレジア王国軍の攻勢を挫き、その第一波攻撃は当然の如く跳ね返されるものだと誰もが考えていた。


 だが、事は彼らの予想に反した方向へと突き進む。


 30分後。

 伝令の兵がローゼンシュトック元帥の下へ駆け足で、そして満面の笑顔で報告しに来た。


「ドンブロスキ准将の旅団が敵陣地へ肉薄、突破することに成功しました!」

「――何!? 敵は!?」


 ローゼンシュトックが驚くのも無理はない。

 警戒していた伏兵の報告もなく、騎兵隊は暇を持て余す。一方で丘への攻勢作戦は難なく成功したと言うではないか。


「敵は既に丘を放棄、若干の抵抗はありますが、既に敵は壊乱状態にあります。現在、チャルトリスキ師団麾下の騎兵連隊が、敵を追撃しております!」


 そこにあったのは理想的な攻勢であった。

 敵陣地を突破し、騎兵が追撃をかけ戦果を拡張する。敵は丘の上に陣取っていたはずなのに、これほどまでに清々しく成功することなどあり得ない、と誰もが考え得ることである。


「……追撃は程々にするよう、チャルトリスキ少将に連絡せよ。罠かもしれん」


 なお罠を警戒するローゼンシュトック元帥。だが、彼の参謀や報告役の伝令はすぐに噛みついた。


「しかし閣下、罠にしてもそうでないにしても、敵の戦力を削っておくことに越したことはありません。ここは予備兵力も投入し追撃を強化すべきではないでしょうか?」

「前線では敵の罠と思しき軍隊は見えませんでした。それは丘の上を陣取った我が軍の士官全員の一致した意見であります!」


 丘の上を取り、戦場を俯瞰し、敵軍の布陣を完璧に見極めたシレジア王国軍前線部隊は、この時勝利を確信しえていた。


 セルゲイ・ロマノフは無能者である。


 そう、時期尚早な結論さえ導き出していた。


「……いや、ダメだ。攻勢部隊も疲弊していよう。それに敵の方が数的有利であることを忘れるな。逆撃を被ったら意味がない」

「しかし閣下!」

「二度同じことを言わせるな。前線部隊には丘の上を確実に確保するよう陣地の構築に専念しろ、と伝えろ。ここで僅かな戦果欲しさに貴重な戦力を失うわけにはいかん」

「…………畏まりました。そのように伝達致します」


 こうして、ガトネ=ドルギエ会戦二日目も、王国軍優勢で終結を迎えた。

 だがその代償として、ローゼンシュトックの慎重な、あるいは慎重すぎる姿勢に、部下が苛立ちを覚えていたのである。


 その日の夕刻。

 再び軍議が開かれようとしていたその時、またしても予想外の来客者がやってきた。


「――先日仰ったとおり、皇帝セルゲイ陛下は王国との友好を望んでいられます」


 それは、二度目の降伏の使者だった。



 軍議の場は、当然荒れた。


 ローゼンシュトックの慎重な態度に対する非難は当然として、この使者に対する返答も、である。


「使者に構うことなどせずとも良い! 使者の首を送りつけて、セルゲイ・ロマノフの首を刈り取るのみ! そもそも我が軍の当初の作戦は、皇帝を討ち取って今後の平穏とすることだったはずである! であれば、ここは攻勢あるのみ!」

「何を言っている! ここで和議を結べば全て丸く収まるではないか。確かに事情はよくわからんし、ここで討ち取れば最も良いだろうが、そう事が上手く運べる保障も――」

「そんな弱気だから、昨日も、そして今日も敵を取り逃したのではないのか!?」


 どうするべきか、というのは悩ましい。


 東大陸帝国軍との戦いは、下馬評をひっくり返し王国軍有利に進めている。ガトネ=ドルギエ平原において流れた血の量は帝国軍が圧倒的であり、翻って王国軍のそれは少ない。


 敵は二度も降伏の使者を送ってきている。どう考えても敵は士気が低いということだ。


 議論は平行線のまま、ローゼンシュトック元帥以下慎重派の士官が使者を受け入れ、具体的な協議を開始することを決定した。


 この決定は当然の如く主戦派を憤らせたが、彼らにも納得する条件がローゼンシュトック元帥の口から語られた。


「もしこれが罠であれば、使者は恐らく時間稼ぎ。後続の増援を待とうとしているに違いない。だとするならば、交渉の席は中身の少ない、何ら益のないものになるだろう。しかしそうでないのであれば、最早議論の余地はない。地の利も士気の差もこちらにあるのだからな」


 ローゼンシュトックのその言葉に、主戦派、慎重派共に一応の納得をした。そして両派の士官から4名を選抜し、使者として帝国軍と休戦交渉をすることになったのである。


 この交渉次第で、王国軍の進退が決する。




 そして翌日の9月21日は、戦いもなく交渉だけで終わった。

 両軍ともに戦端は開かず、暫しの休息を享受した。ある兵士の手記によれば、帝国軍と王国軍が秘密裏にあって、各々が持参している嗜好品の交換会が開かれていたとされる。


 だがそんな短い平和な時間は、シレジア王国軍の使者が五体満足で司令部に戻ってきたことによって終わりを告げる。

 シレジア側の使者となった者曰く、


「皇帝セルゲイは戦意に乏しく、士気はなく、軍才もなく、交渉の席ではただただ狼狽するばかりでありました。あれは最早『皇帝』とは言えません」


 と。

 皇帝セルゲイ・ロマノフは部下に責任を押し付け、自分はこんな戦争を望んでいなかった、とまで自白したのだと言う。

 休戦交渉も、彼が求めるところ「白紙和平、戦前回帰。即時退却も視野に入れる」であり、王国軍にとっては十分すぎる回答。


「……元帥閣下、最早、議論の余地はない。ですよね?」


 主戦派の誰かが言った。


 ローゼンシュトックが言ったように、皇帝セルゲイ・ロマノフが罠を張ったなどという事実は全くないと、誰もが、そう誰もが、ローゼンシュトックさえも、考えなかった。


 最早、ここで剣を鞘に収める正当な理由などない。ここでセルゲイを討ち取る、ないし帝国軍部隊を徹底的に叩いてセルゲイの政治的権威を地に落とす。


 これしかなかった。


「明日、帝国軍に対し全面攻勢に移る。索敵と連絡を密にし、敵軍の布陣と配置を明確にせよ。ここで仕留めるぞ!」


 ローゼンシュトックはもう迷わなかった。

 東大陸帝国軍は最早敵ではない。シレジア王国軍の栄光ある名誉がまた一つ増えるであろうと、この時誰もが確信しえたことである。



 そして、運命の9月22日を迎えたのである。

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