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大陸英雄戦記  作者: 悪一
戦争をなくすための戦争
450/496

第三次ガトネ=ドルギエ会戦 その1

 シレジア王国北東部、アテニ湖水地方。

 この場所は、シレジア王国にとって、そして東大陸帝国にとっては因縁の場所である。


 春戦争においてこの場所は奇しくも両国の決戦の場となり、多くの血が流された。

 結果的には東大陸帝国の敗北となったわけだが、国力に占める損害の割合はシレジア王国が上であり、その後もシレジア王国は数々の戦争と内戦を経験し国力を疲弊していった。


 そんな折、二度目のアテニ湖水地方での決戦。


 東大陸帝国第60代皇帝セルゲイ・ロマノフが直々に率いる数十万の軍勢は、今まさに因縁の地に足を踏み入れようとしている。


 これを迎え撃つは、シレジア王国軍ヤン・マレク・ローゼンシュトック元帥率いる軍団。


 彼我の戦力差は正面戦力に限ってみても4:1。


 地の利に勝り、数の利に劣るシレジア王国軍の戦術は、地の利を生かした各個撃破が最良であると誰もが信じる所である。だがしかし、面前に皇帝がいるとなると、話は別。


 それが凶と出るか吉と出るかは、誰も知る由のないことである。




---



 9月19日。

 東大陸帝国軍は、国境地帯に位置する王国軍タルタク砦を苦も無く陥落させることに成功した。


 シレジア王国軍がそもそも守る気がなかったためであるが、皇帝セルゲイは幸先がいいとしてこれを歓迎した。


「……油断に繋がりませんか?」

「無論、そうさせないように適度に兜の緒を締めさせるさ」


 副官たるクロイツァー少将の言にも動じることなく、余裕の笑みを浮かべて答えるセルゲイ。

 彼の脳裏には既に「この会戦の後」のことを考えていたのである。


 勝った場合、負けた場合、そして惨敗し自分が間抜けにも死んでしまった場合。

 あらゆる可能性を熟慮して軍を動かしている。


 一方、タルタク砦を予定通り失陥した王国軍の反応はある種鈍く、ある種敏感であった。


「砦方面へ向かわせた斥候によれば、事前の情報通り先鋒は皇帝セルゲイが率いる直属の軍団。数はおよそ8個師団とのことだ」

「……8個師団だけ、という表現は些かおかしいが、それだけか?」

「それだけだ。伏兵の類は確認されていない」


 皇帝は、シレジア王国迎撃軍の正面部隊とほぼ同数の戦力で以って先陣を切ってきた。

 その事実はすぐさま王国軍将官の胸を鷲掴みにする。


「これぞ好機。大神ペルーンは我らに対し勝利の美酒を飲む機会を与えてくださったに違いない!」

「敵の増援が来る前に、ここで叩くべきだ!」


 彼らの士気は旺盛であった。


 シレジア王国にとって勝利するチャンスは皇帝を捕縛ないし討ち取ること。しかし数の差は絶望的なまで開いている。

 にも拘らず、皇帝がのこのこと前線にやってきた。


 そのことに多少の不安を覚える者も、当然いる。これが罠ではないか、ということだ。


「いくらなんでも都合がよすぎる。ここは罠を疑ってしかるべきではありませんか?」

「しかし『これは罠だ』と逡巡している間にも後続が到着する可能性があるのだ。ここは一刻も早く攻勢に出るべきだ」

「だが敵の全容がわからんことには……」

「全容を把握している時間的余裕もない。ちんたらしている暇は我々にはないのだ」

「左様。それに罠というのは考えにくいことだ。ここは我らの土地である。事前に何か罠を仕掛けている暇などないはずだが?」


 懐疑論と、それに対する反論。

 多くの将官は思い思いの発言をするのであるのだが、そのどれもが証拠のない推測にすぎない。


 となれば、事前の作戦通りに動くのが筋となる。少なくとも事前の作戦を止めるべき理由がない。武人の勘という不確実性の高い概念を戦略の基幹に据える訳にもいかないのだから。


「敵に罠があるにせよ、ないにせよ。ここは一戦すべきであろう」


 ローゼンシュトック元帥はそう判断し、罠の存在に一応留意しつつ全軍に前進を下令した。



 そして12時30分。

 かつて春戦争において二度の会戦が行われたガトネ=ドルギエにおいて、シレジア王国軍と帝国軍が三度みたび相見えた。


「帝国軍8個師団、ガトネ=ドルギエの湖畔沿いに展開中です!」


 斥候からの情報を精査するローゼンシュトック元帥の顔が曇る。帝国軍の位置取りが問題だったのだ。


「……両翼に湖畔と森林か。厄介だな」

「これでは敵の側背につくのは難しいと思われます。ここは一旦後退する、あるいはそう見せかけて平野部に敵を引き摺り込んではいかがでしょうか?」

「そうだな。並の将官であれば引っ掛かるとは思えぬが、いい機会だ。これで皇帝の力量がわかる」


 ローゼンシュトックは、参謀の意見を聞き入れた。

 戦術的な有効性は勿論の事、セルゲイの実力を測る意味でも、この攻撃が必要だったのである。


「――前衛部隊、攻撃開始!」


 13時00分。ローゼンシュトック元帥率いる王国軍8個師団が攻撃を開始。


「迎撃せよ」


 そして直後に、皇帝セルゲイも簡素な命令を発した。


 後世「第三次ガトネ=ドルギエ会戦」と呼称される決戦は、なんの変哲もない無難な戦いから始まった。


 上級魔術・中級魔術による牽制、槍兵部隊による白兵戦、剣兵隊による切り込みと騎兵隊による攪乱。両軍共に相手の出方を探ったため、無難な戦いとなったのである。


「第154歩兵中隊、左翼に回り込め!」

「第44騎兵連隊は右翼から来る敵師団を牽制せよ。ただし深追いはするな!」


 無難な戦いと言えど、一度開かれた戦端は流血を伴うものである。

 最も両国の因縁を考えればまだまだ大人しい部類ではあるが、開戦から数時間しても両軍の死者が\を合計しても三桁で収まっていることが異常と言えた。


 前衛部隊同士の小競り合いと、本隊同士の虚虚実実の戦いはおよそ3時間にも亘って繰り広げられた。


 そしてその戦いにおいて最初に行動に出たのは、シレジア王国軍である。


「よし。一旦後退。敵を平野部に誘い込む。せいぜい負けたフリをしてほしい」


 参謀の意見通り、ローゼンシュトック元帥は疑似退却を試みた。

 もし対面する帝国軍の指揮官が並以上の才能があるのであれば、追うことはしないだろう。あからさまに地の利を捨てることになる上に、敵の十字攻撃の只中に陥ることは目に見えている。


 しかしもし並以下の将帥であれば――


「帝国軍の一部隊が追撃を開始!」

「前衛は一個騎兵連隊、突っ込んできます!」


 その近視眼故に、追撃を仕掛けてくるだろう。

 この帝国軍の判断に、王国軍は早くも勝利を確信したに違いない。


「敵追撃部隊に対する攻撃は前衛部隊の受動的な迎撃にのみ許可する。それ以外の部隊は、敵本隊が前進してくるまで待て」


 あくまでもこちらが壊乱しているように見せる。そのためには突出してきた帝国軍の一部隊になぞ構うはずもない。王国軍は辛抱した。


 しかしその受動的な迎撃は、たとえ追撃してきたのが帝国軍の一部隊だとしても損害が膨れるものだった。


「前衛ポラツキー准将の旅団が敵の集中攻撃を受けて壊滅の危機に陥っています。如何に戦力の差があるにしてもこのままでは突破される危険があります。如何なさいますか!?」

「前衛の軍団に任せる。だが左右両翼の部隊は動く必要はない。敵は少数、突破できるはずもなし。突破できたとしても長くは続かん。ここは堪えろ」

「ハッ!」


 シレジア王国軍にとって、この時は忍耐の時間だったのだろうか。

 少なくともローゼンシュトックにはそう感じた。本来であれば鎧袖一触で薙ぎ払える敵先鋒を、本隊到来まで持ち堪えなくてはならないと言う戦術上の制限の前にして自らを縛っていたのだから。


 だがその甲斐あって、16時15分、ついに敵本隊が動いた。


 その帝国軍本隊の攻勢は「なし崩し的」という言葉が似合うかもしれない。

 秩序だった攻勢ではなく、一部が飛び出したために止むを得ず全軍が動いてしまった。士気が高い故に起きてしまった現象である。


 その帝国軍のミスを、王国軍が見逃すはずもない。


「全軍に伝達。急進し敵部隊の追撃意思を挫いて反攻に移れ!」

「了解!」


 ここで皇帝セルゲイを倒せようが倒せまいが、第三次ガトネ=ドルギエ会戦は、王国軍優勢のまま終局の時を迎える。と、王国軍は誰しもが考えた。


 だがそれも、儚い一時の白昼夢であったことなど、誰も知りようがない。


 帝国軍の将帥を除けば、であるが。

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