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大陸英雄戦記  作者: 悪一
戦争をなくすための戦争
448/496

戦の前

 シレジア=東大陸帝国国境の、東大陸帝国側に50キロメートルの地帯。そこはエーレスンド条約に基づいて設置された、非武装緩衝地帯である。


 エーレスンド条約は当時としてはかなり珍しい条約である。


 領土割譲なし、賠償金なし。

 シレジアは勝ったくせに要求が少なかった事に関しては、当事国以外の国からは不思議に思われた。


 それはあまり調子に乗ると条約自体がお流れになって、再侵略される可能性があったこと、そして生産力の低い領土を貰っても維持費がかかるだけで意味がないことを、シレジア側が知っていたからだ。


 だからこその非武装緩衝地帯。

 帝国侵攻の防波堤となる上に、その維持費用は帝国持ち。シレジア王国の武官が当地に駐在することも認められ、彼らは大使館職員並の待遇でもって受け入れられた。


 これだけでも、帝国にとって不利益をもたらす存在であることはわかるだろう。



 だが、時に大陸暦639年秋。

 条約締結から2年と経たずして、その意義は完全に失われた。



『発 帝国非武装緩衝地帯駐在武官

 宛 王国軍東部方面司令部


 9月10日。帝国軍が多大なる兵力で以って越境セリ』




 この東大陸帝国による再侵略戦争は、シレジア王国軍によって割と早い段階で、前戦争の名称「春戦争」に引っ掛けて「秋戦争」と命名された。

 それは春戦争のような、シレジア王国による奇跡的な勝利を願ったものなのかもしれない。


 だが春戦争と違い、後世の歴史家たちはその名称を多用はしなかった。




---




「……早いな」


 帝国軍が非武装緩衝地帯を侵犯してきた、と言う情報がもたらされたのは9月12日。

 それを聞いたときのマヤさんの呟きが、これである。


 早いのだ。

 皇帝セルゲイが戦争を決めてから僅か1ヶ月半である。春戦争が4ヶ月以上の準備期間の後に開戦したことを思えば、これは異常な早さだ。


 いや、1ヶ月半で準備したのではないだろう。

 恐らく、彼らは相当前から準備していたのだ。エーレスンド条約締結前後から始めていた、と見ても良い。


「そう考えると1ヶ月半は順当な結果。そういうわけかな、ユゼフくん」


 マヤさんは、俺と同じ結論に至ったらしい。

 今現在、俺は王国宰相府でマヤさんとエミリア殿下と面会している。


 条約締結直後から数えても2年弱。それまでの間、当該地域の統治している東大陸帝国はシレジア王国の武官に気付かれないように念入りに準備をしていたとしても、不思議ではない。

 無論それを感知するための駐在武官であったのだが、どうやらそれに関しては向こうが上手だったようだ。


 非武装緩衝地帯駐在の武官たちからの情報を、彼女たちに見せるために。

 再侵略を受けることはわかっていた。無論、こんなに早く再侵略してくるなんて条約締結時は思いもしなかったけれど、とにかくその非武装緩衝地帯を設定した意味が早速出ている。


「位置と規模は?」

「武官たちから寄せられてきた情報の第一報によれば、北部ですね」

「……それは、確か君の事前予想の通りだね?」


 そういうことである。

 しかし事前予想を裏切ってだいぶ早く侵攻してきたことがこの際は重要である。なにせこちらの準備が整っていないのだ。


「セルゲイとしては、まさにそれこそを狙っていた。ということでしょうね」


 と、殿下は事の次第を理解した。

 防衛側に準備不足を強要させることは、戦略的に重要である。


 シレジア王国軍は現在動員をかけたばかりである。既に数だけは10個師団と集まっているが、これを訓練させて並以上の練度に持っていくことは出来ないかもしれない。


「総合作戦本部はそれでも、当初予定の作戦を続ける気なのですか?」

「……そうですね」


 セルゲイ・ロマノフを戦場で討つという、短期決戦。

 それ以外勝機が見えないのは確かではあるのだが、しかし……。


 と、そこで扉がノックされる。

 エミリア殿下の許可を経て入室してきたのは、宰相府書記官の人だった。


「ご歓談中失礼します。フィーネ・フォン・リンツ中尉なる人物が殿下との面会を求めて来ていますが、通してよろしいでしょうか?」

「構いません。こちらに通して下さい」

「ハッ、直ちに」


 銀髪の美少女こと、フィーネさんがやってきた。

 暫く彼女の事を見かけていなかったがそれもそのはず、彼女はオストマルク帝国に戻っていたのである。それは随分前に俺が要請を出したせいだが、そろそろ結果がでたということだろうか。


「お久しぶりです、フィーネさん。お元気でしたか?」

「まずまずですね。エミリア殿下は相変わらずお綺麗で嫉妬してしまいます」

「それはこちらの台詞ですよ。どうぞおかけになってください」


 シレジア王国に駐在するオストマルクの武官にして外務大臣クーデンホーフ侯爵の孫にして情報大臣リンツ伯爵の娘である彼女。

 そんなフィーネさんに、この間お願いしたことがある。


「――って、ちょっと狭いんですが」


 なぜかフィーネさんは広々とした三人掛けソファなのに俺に密着するように腰掛けるのである。

 が、フィーネさんは真顔で、


「私は平気ですよ」


 と言ってのけた。

 うん、俺が狭い思いをしていると言うこと、わかっててそれ言ってるよね……。


 まぁいいや。本題に入ろう。


「それで、首尾はどうでしたか?」

「まだなんとも言えませんが、ヘルメスベルガー公爵は了承しそうですね」


 それは西の隣国、リヴォニア貴族連合に対する外交圧力だ。

 春戦争がそうだったように、東大陸帝国の侵略に対して我々は全戦力を東に振り向ける必要がある。しかしその場合、がら空きになった西側から大挙して空き巣がやってくる、という可能性があるのだ。


 なにせリヴォニア貴族連合は反シレジア同盟の一角で、シレジア王国に対して並々ならぬ恨み辛みを持っていた国だ。


「ヘルメスベルガー公爵は元老院筆頭貴族の一家。拒否権を発動すれば彼らは動けない。彼らは内戦にも介入しなかったですからね。これは暫く安心でしょう」


 と、フィーネさんは言ってカップに入っていた珈琲を飲み、そして一瞬眉を顰めた。どうやら、彼女は珈琲を泥水と認識する人間のようだ。


 外交取引が成功したと言うことは喜ぶべきこと。西の守りを気にしなくていいのは良い。


 だが問題は戦後の事か。これを出汁にオストマルクだけでなくリヴォニアからもなんか要求されるだろう。今からそれを考えるのが億劫だ。


「まぁ、それは勝ってから考えましょう。負けてしまえば意味がありませんから」


 と、殿下。

 まったくもってその通り。今は勝つことだけを考えよう。


 ここからは戦略的な会議となる。王国軍総合作戦本部の決定は短期決戦によって皇帝を討ち取る、乃至、撤退に追い込んでその権威を失墜させることにあるのは説明した通り。


 既に陣容は決定されており、王国軍総司令官はローゼンシュトック元帥。兵力は7個師団。これを予想進撃路たる北東部アテニ湖水地方で迎撃する。


 問題はまだ準備が整っていないことだ。


「帝国軍は恐らく、一週間から十日ほどでアテニ湖水地方に到着するはずです。しかし迎撃軍はその時までに湖水地方に到着していないだろうし、できたとしても準備が整っていない段階で迎撃する羽目になります」


 だが準備が整うのを待って時間をかければ帝国軍も当地に橋頭保を築きあげるだろう。そうなると、王国軍が企図した短期決戦思想は早くも失敗する。


「となると、短期決戦を諦め持久戦を取るか、お互いが準備不足のまま決戦に挑むか、二者択一となるわけか」


 と、マヤさんはそう言って天を仰いだ。

 この時点で我々は不利な状況に陥っていると言うことだ。楽しい未来図ですな。


「冗談を言っている場合じゃないですよ。それに悲報ばかりではありませんし」


 殿下はそう言って、マヤさんに指示してある紙をこちらに差し出した。


 それは正式な外交文書であった。


「カールスバート王国からの正式な文書です。曰く『我が国は貴国に2個師団を貸与する用意がある』と、カレル陛下が仰っております」

「……ありがたい話です」


 同盟国から2個師団とは言え、兵を送ってくれた。東大陸帝国相手には何個師団あっても足りないので、これは本当に助かる。


「既にカールスバート王国軍の受け入れを承認し、現在レレク中将の指揮でシレジア王国入りを果たしております」

「レレク中将ですか、共和国内戦――いえ、王政復古戦争の時に世話になった方ですね」

「えぇ。能力人望共に問題ありません。問題なのは、カールスバートとアテニ湖水地方がほぼ反対方向にあるせいで緒戦には間に合わないことですが」

「戦略予備として有用ですよ」


 これで王国軍は12個師団を保有するに至ったか。数字だけ見ればまぁ、なんとかなりそうと思えるものである。ただ内情は新兵と外国軍ばかりなのだけれど……。


 ここはもっと頼りになる同盟国から兵力の貸与がないかなー? チラッ。


「……残念ながら、我が帝国にそれを行う余裕はありません」


 俺の視線を察したらしいフィーネさんから現実的なコメントが帰ってきた。

 なんでだ。兵力国力共に劣るカールスバートから兵力貸与があってオストマルクからないのはおかしいんじゃないだろうか。


 と、思ったらそうことは簡単ではないらしい。


「カールスバート王国は国王が国家を直接統治する絶対王政ですからすぐに決められます。対して我々は各貴族、民族感情を考慮して決定しないといけませんので」

「政治的に無理、ってことですか」

「個人的には10個師団くらい送ってあげてもいいのですが、こればかりは。それに……」


 と言ってから、フィーネさんは言葉を詰まらせた。


 続きの言葉を皆で待っていたが、彼女は最後までそれを話すことはなく「いえ、なんでもありません」と言葉を〆てしまった。


「……どうしたんですか?」

「なにもありませんよ?」

「言ってくださいよ。私とフィーネさんの仲じゃないですか」

「…………そうですね。ユゼフ大佐は私の婚約者――」

「違います」


 恋仲であっても婚約者じゃないです。


「殆ど一緒に聞こえるが……」


 マヤさんの冷静な呟きはともかく、これは意地みたいなもんだ。

 まぁ、それはいいとして。


「すみません。今の所、報告できません。事態がどう動くかわからない上に、帝国臣民の生命に関わる問題ですのでおいそれと言えないのです」

「そんなに窮迫した事態が……?」


 政治的に軍隊を動かせない理由。他国、あるいは皇宮からの圧力、もしくはもっと恐ろしいなにかがあるのかもしれない。

 いずれにせよ、今回もオストマルクは頼れない、ということか。


「わかりました。では、オストマルクには情報と、願わくば物資面での援助をお願いしたいのですが」


 エミリア殿下は兵力については早々に諦めて、それ以外の点での支援を要請した。


「それであれば、安んじて御受けいたします」


 事前に決まっていたのであろう。フィーネさんは即答した。

 あとは勝つだけか。


「……ところで大佐」

「なんですフィーネさん」

「どうしてユゼフ大佐がここにいるのですか? ひと月せずうちに戦端が開かれるというのに……」


 あぁ、そのことか。

 なに、そんなに複雑な事情はないよ。


「私は終始短期決戦に反対していた立場なので、総合作戦本部の幹部連中に嫌われたんですよ。ヨギヘス大将以下2個師団も戦略予備として後方待機。私は王都で残務処理をしてから後から合流なんです」

「なるほど……」


 ついでに言えば、エミリア殿下も今回は前線に参加しない。

 無論エミリア殿下は渋ったが、この人は今や宰相閣下でもある。前線には出られない。それに……、


「それに、短期決戦を望んでいないユゼフさんの個人的な知り合いで王族の私が前線に居て作戦を曲げられたら困る、という思惑もあるのでしょう」


 と、エミリア殿下自身が告白して、なにやらこちらに視線を送ってきた。いや、うん、ごめんなさい。いつもご迷惑をおかけしております……。

 心の中で謝っていたら、殿下は俺の心を読んだらしく、優しく言葉をかけてくれた。


「別に恨んでませんよ」

「……本当に?」

「えぇ。ちょっと残念なだけです」


 それあんまり変わってないような……。


「それはそれとして、ユゼフさん」

「……なんでしょうか」


 また怒られるのだろうか。


「サラさんについてなのですが」

「サラが? ……え、あいつまた何かしたんですか?」

「してませんよ。今回の戦争に関して、彼女……というか、近衛師団第3騎兵連隊についてなのですが」


 サラ・マリノフスカが副連隊長をしている近衛師団第3騎兵連隊は、サラーズブートキャンプの成果あって王国軍最精鋭の騎兵連隊となった。

 本来の職務はエミリア・シレジア王女殿下の護衛である。


 今回の戦争ではエミリア殿下は前線に参加しないため、王都に留まることになるのか……と思っていたが、どうやらそうではない様子。


「王女たる私と軍務尚書とで協議し、第3騎兵連隊をヨギヘス大将の軍団に配属しました。そしてユゼフさんに、その指揮を任せたいのです」

「は……?」

「つまり、第3騎兵連隊はユゼフ・ワレサ大佐が連隊長となって、サラ・マリノフスカ中佐が直属の部下になるということですね」


 おいィ?


「あの、私がロクに馬に乗れないってこと知ってますよね……?」

「知ってますよ。だから実戦指揮は副連隊長たるサラさんが執ればいいのです」


 お、おう。そういう理屈なのね。

 まさか副参謀長兼騎兵連隊長となる日が来るとは思わなんだ。いくら人手に余裕がないとはいえ……。


「ユゼフさんは騎兵連隊と共にヨギヘス閣下と合流し、そのことを伝えてください」

「……畏まりました」


 ほんと、この戦争どうなるんだろうか。いろんな意味で。



 その後、いくつかの確認事項を相互に共有して、俺の残務処理は終わった。あとはサラと騎兵連隊を率いて前線に赴くだけか。


「フィーネさんはどうするんですか?」

「私はまた本国に戻らねばなりません。戦勝の報告は帝都で聞くことになるでしょう」

「まだ勝つと決まったわけじゃないですよ」


 今回はフィーネさんが帯同するわけではないというのは、それはそれで寂しい気も……。


「そうですね。もしかしたら、これが最後かもしれませんね」


 彼女がそう言うと、そっと手を掴んで指を絡ませてきた。フィーネさんって、サラさんとは別の意味で結構積極的よね。


「……あまりそういうのをやると、サラさんに怒られるんですけどね」

「なら、彼女を呼べば問題はない、ということですか」


 ……。


「えっ?」

恋人*2と夜伽を済ませてから戦地に赴く男の鑑

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