起立、着席
どうしてこう、平和というものは長く続かないのだろう。2年と少しで再戦というのは納得がいかない。
しかし俺はしがない一軍人である。戦争なんて時代がそうさせている、としか言いようがないのだから、せいぜいたかだか数十年の平和の為に戦うとしよう。
大陸暦639年8月1日。
連日連夜に亘る情報収集と大小さまざまな対策会議が行われては次第に統合され、現在ではシレジア王国軍総合作戦本部において名だたる将官出席の下で会議が開催される。
今回はその第一回目。
会議の司会を取るのはシレジア王国軍第Ⅱ軍司令官ヘルマン・ヨギヘス大将。
「情報によれば、既に東大陸帝国軍は動員を開始しており、その規模は前回の春戦争と同じ40個師団と推測される。詳しい情報については――参謀副長のワレサ大佐より説明がある。では大佐、頼むよ」
「ハッ」
危急の時期ということもあり、俺の身分は通称「ヨギヘス軍」の参謀副長となる。ヨギヘス軍の参謀長がタルノフスキ少将だから、彼の一個下と言うわけだ。
「現在、帝国に潜入させている諜報員からの情報によりますと――」
以下、帝国軍の詳細。
規模は40個師団。後方部隊も合わせた総動員数は約60万人。
これらの部隊を10個師団ずつ4つに分け、それぞれを第Ⅰ軍、第Ⅱ軍、第Ⅲ軍、第Ⅳ軍と呼称。
シレジア征伐軍総司令官兼第Ⅰ軍総司令官:皇帝セルゲイ・ロマノフ元帥
シレジア征伐軍副司令官兼第Ⅱ軍総司令官:デニス・シュレメーテフ上級大将
第Ⅲ軍総司令官:アンドリー・コロリョフ大将
第Ⅳ軍総司令官:ウラジミール・シロコフ大将
兵站軍総指揮官:ワディム・クトゥーゾフ中将
「……やはり皇帝自らが出征してくるか」
誰かが呟く。
東大陸帝国がシレジア侵攻を策動している時点でこの情報が流れてきた故に、その言葉に驚きはなかった。
「はい。信頼できる情報筋からの情報ですので、まず間違いありません。国内外に向け、自らが戦場に出向き指揮を執るということの声明を出しています」
「なるほど。とすれば、好機だな」
そして喜びに似た声。それと共に、勇猛な声がいくつもあがった。
「帝国の新体制は彼の皇帝セルゲイの手腕によるものが大きい。彼を失えば、帝国はシレジア征伐どころではない。それどころか、彼は後継者となる子供もいない。なんとしても討ち取るべきだ」
「そうだ。そうすればカールスバート、オストマルクに続いて東大陸帝国という反シレジア同盟の盟主も打ち倒せる。国防上の理念に適っているではないか」
「情報収集はなんとしても皇帝の位置を割り出すことにある!」
「そうだ!」
「勝機は我らに!」
勝機は我らに、と叫ぶ奴が正気になっているとは思えない過信のオンパレードである。
今回の会議の席では俺にも発言権はたっぷりあるので、ひとことふたことくらいは申し上げておこう。
「失礼ながら、小官の私見を述べさせてもらってもよろしいでしょうか」
「構わん。貴官の言は信用に足る」
「ありがとうございます、ヨギヘス閣下」
私見というのは言うまでもない。
皇帝セルゲイ・ロマノフが自ら出向くこと自体が、陽動ではないかと言うことだ。
「……陽動?」
「はい。彼の皇帝は確かに『皇帝』であり、軍人ではありません。しかし皇帝セルゲイは帝国軍において従軍し、実際に戦場に立っていることも確認しています」
情報によれば、彼は色々な戦場に出向いている。
公式記録にも残っており、諜報員からも情報が来ている。武勲も上げている。
そんな彼が何も考えずノコノコと戦場を往来するだろうか。いや、ない。
「しかし、それは本当に彼の正確な武勲なのかはわからんぞ。確かに武勲はあげているが、王侯貴族というのは得てして部下の武勲を横取りして自分の戦果とすることがある」
「そうだ。春戦争時、帝国軍少将だったというが、皇族故の処置と考えるのが普通だ。それに皇族将軍と言うのは大抵の場合能力に問題が――」
と、誰かが反論しようとした時点で、俺はついカッとなって食い気味に言い返してしまった。
「エミリア殿下にも、同じことを言いますか?」
「……そ、それは……」
エミリア殿下の軍事的才覚はシレジア王国軍の将官ならだれもが知るところである。春戦争においても総合作戦本部高等参事官という身分で従軍し、越権行為だとか、皇族の我が儘だとか、そういう外聞も気にせずその才覚を発揮し続け、シレジアを勝利に導いた。
それを目の前でまざまざと見せつけられた将官や佐官は、この場にもいるだろうに。
ったく、なんて恩知らずな連中であるか……。
「ワレサ大佐。その辺にしてやれ。顔が怖いぞ」
そしてヨギヘス閣下から、静かに言われた。
確かに冷静さを失っていたかもしれない。俺らしくもないな。
「……失礼しました」
「なに。構わん。だがまぁ、ワレサ大佐の言いたいことも、彼らの言うこともよくわかる。だから今回の場合は、セルゲイ・ロマノフが皇帝であることは忘れた方がいい。その前提で作戦を練ろう。それでいいかな?」
「異存はありません」
「よろしい。では大佐、続きを」
「ハッ」
こうやって感情に流されるあたり、まだ子供なのだろうか。外見年齢というか肉体年齢は確かにまだ18歳の子供なのだけれど。
でも中身含めると18歳と243ヶ月のはず……ってあれ? もしかして俺、成長してない?
「大佐?」
「あぁ、いえ、すみません。続けます」
精神年齢48歳という事実からとりあえず目を背けるとしよう。
その後も帝国軍の子細な情報を、諜報員や公開情報を下に列記していく。
曰く、帝国軍には新戦術を用意しているらしい。
曰く、帝国軍には騎兵だけで構成された師団があるらしい。
曰く、帝国軍の兵站網は前回の比ではない程に強化されているらしい。
その他、各将官クラスの性格や好みの戦術、果てには家庭事情もできるだけ提示した。
「……すごい情報収集能力だが、それはいったい戦場に関係あるのか?」
「もしかしたらあるやもしれません」
いや、自分で言っといてなんだけど、家庭事情はたぶんないと思う。第Ⅲ軍司令官コロリョフ大将の愛人の数が二桁ってところとかさ。
そして肝心なのが、敵の侵攻作戦の概要。
これについては流石に軍機であり公開されるはずもなく、諜報員もその情報を掴むことができなかった。
しかしエールスンド条約で設定された非武装緩衝地域において、侵攻の為と思われる物資が集積されつつあるポイントは容易に把握できた。
そこから導き出される、敵の作戦は――
「敵の主攻は、恐らく北部。アテニ湖水地方です」
「……なに? 南部ではないのか? てっきりクラクフを攻めるのかと思ったが……」
驚きの声が再びあがる。
そうなのだ。さすがに俺もこれには驚いた。
帝国に亡命したのがクラクフスキ公爵であること、そしてクラクフがシレジア最大の経済都市であることを考慮すると、真っ先にクラクフを攻め落とすのがセオリーだろう。
だが皇帝セルゲイ、あるいは帝国の作戦立案者はひねくれものらしい。攻めにくく守りやすい地形、かつて春戦争において帝国軍が大敗を喫した、アテニ湖水地方に攻めてくるのだから。
「前回の雪辱戦、ということだろうか?」
「もし皇帝が感情を優先するのであればそうだろう。だが、彼を普通の指揮官としてとらえるのであれば、これは少し理解に苦しむな」
「となるとやはり彼は――」
あぁ、ダメだ。悪い方向に話が行っている。
無理もないか。皇帝が出しゃばって前線に来て、それを討てれば数十年のシレジアの平和が約束されたようなものになるのだから。
だが油断は禁物。どんな罠があることやらわからない。
それに肝心なことがひとつある。
「――我々には、戦力がありません。現在エミリア・シレジア宰相閣下が総動員令の発令を検討なさっていますが、それでも開戦までに用意出来る戦力は10個師団程。しかも練度は低く、40個師団の猛攻は支えきれないでしょう」
アテニ湖水地方の地形効果に頼っても、均衡がせいぜい。
となると総戦力に勝る帝国軍が有利だ。消耗からの回復に優れ、次々と戦力を送り出してこれる。
「となると短期に敵の主戦力乃至指揮統制を撃滅するか、長期的な消耗戦に引き摺り込んで敵を撤退に追い込むかしかないな」
「短期決戦となると、やはり皇帝セルゲイの討伐か」
「あぁ、そして消耗戦となると――」
と、そこで黙った。
言わずもがな、である。それは「焦土戦術」だ。戦争の為とは言え、自国の領地を焼きたがる奴はいない。
短期決戦か、長期消耗戦か。
ふたつにひとつ。分かりやすい。
春戦争のように練度と機動力と地形効果に頼った大規模な各個撃破は望めないだろう。あの時と比較すると、帝国軍の質は向上し、王国軍は質・量ともに落ちているのだから。
「……具体的な方法論はさておくとして、方向性を決めてから作戦を考えた方が良さそうだ」
と、ヨギヘス閣下。
その言葉に一同が賛同の意を示す。
「では決を採る。短期決戦を主張する者は起立を。長期的な消耗戦を主張する者はそのまま着席してくれ」
そのままヨギヘス閣下の議事で多数決が採られた。その結果は――、
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作戦会議後の15時40分。
王国宰相府、応接室。
「それで、どちらになったのですか?」
仕事を一段落終えたエミリア殿下とコーヒーを飲みながら、今日の会議の結果を伝えた。
「――短期決戦に、つまり皇帝セルゲイを戦場にて倒し、国防上の安全を確保するとのことです」
「……まぁ、妥当でしょうね」
俺の言葉に、殿下は頷きつつコーヒーカップに視線を落とした。
「内戦が終わったばかりで国土に傷がついている状況下、進んで焦土戦術を取りたがる者は少ないでしょう。私も何も知らずにその席に参加していたら、たぶん起立したと思います」
殿下はそう言いつつ、どこか悲しそうな、諦めたような顔をしていた。その顔の意味するところは、もしかしたら俺と同じなのかもしれない。
「でも成功すれば、数十年の平和が来ます。反シレジア同盟は事実上リヴォニアだけとなり、後は外交努力さえ怠らなければ、その平和な期間が伸ばせるでしょう」
と、そう殿下は言ったものの、やはりなぜか感情がこもっていない。
その理由は、直後の質問でわかった。
「それで、ユゼフさんはどちらを選んだんですか?」
「……私は、座りましたよ」
肩を竦めてそう言うと、殿下はやや笑って
「つまり自らの祖国を焼くことに賛成なさったのですね」
と言った。
悪意のある言い方はやめてください。まさにその通りなのだけれども。
エミリア殿下はそのまま説明を求める目をしてきたので、コーヒーで口を湿らせ説明した。と言っても、こっちもこっちで理性的な理由があるわけじゃない。
「私は、あの場で起立した諸将のように、セルゲイをただの皇帝将軍である、というようには見えなかったのです」
「見えな〝かった〟ということは、カステレットのときのことですか?」
「そうです」
カステレット砦で、何回か間近でセルゲイ・ロマノフを見たことがある。
特に印象に残っているのは、殿下に求婚したときのことだろう。
それを話したら、殿下も同じく頷いた。
「同感です。ユゼフさんより多くあの方に会っていますが、彼は政戦両略に長けた天才という印象を受けましたよ」
曰く、非武装緩衝地帯の設定の意図も一瞬で見極めたということ。
政治的・外交的・軍事的な利点が多い素晴らしい提案だ、と殿下は俺を過大評価しつつもそれを一瞬で理解したセルゲイにも同様に評価した。
「それに私は春戦争で直に彼と戦いました。だから、わかります。彼は唯者じゃないと」
「……わかるんですか?」
「えぇ。女のカンですけどね」
なんかエミリア殿下がサラさんみたいなことを……。
「それで、短期決戦と言うことが決まったのなら、具体的な作戦案も出来上がったんですか?」
「はい。こちらになります」
そう言って俺はカバンの中の資料を出す。
資料を渡しながら、俺はここに来た本題をエミリア殿下に話すことになる。
「これが作戦概要ですが、絶対的な戦力が足りません。軍部としてはさらなる戦力強化のため、宰相閣下には――」
「総動員令、ですね」
「左様です」
総動員令。
老いも若きも、予備兵も新兵も、男はみんな戦場へ行け。そういう命令だ。
「……あまり気が乗りませんが、仕方ありませんね」
そう言って殿下は、既に机上に用意されていた総動員令執行書にサインをした。あとは担当事務官に渡せば、命令は執行される。
「これで我が国は戦時体制に移行しました。今日から、戦争です」
「開戦時期を考えると、さしずめ秋戦争と言ったところですか」
「我々に命名の権利があれば、の話ですけどね」
そう言った殿下の口ぶりは、とても冗談には聞こえなかった。
まるでこの時点で、もう負けを悟っていたかのように。
どっちが勝つか楽しみですね(フラグばら撒きながら)




