まだ平和なこの国で
「うーん、やっぱりエミリアはこっちの方が似合うと思うわね」
「そうでしょうか? 確かにサラさんの選んだ服は可愛いですが、少し子供っぽいような……」
「おとなしめなのはそっちだけど……うーん、ちょっと違うかなー」
傍目から見るとあの二人は、仲の良い十代女子の会話にしか見えない。
しかし一方は敵が泣いて土下座するレベルの狂戦士であり、一方は別の意味で国民が泣いて土下座するレベルの王女様である。
普通であれば、そう普通であれば、サラがあんな風に砕けた口調で会話するなどあってはならない。しかしあいつが敬語を使って喋り出したらそれはそれで怖い。
サラさんがフィーネさんやエミリア殿下並におとなしく余所余所しく一歩下がったヤマトナデシコだったらどうなるか。頑張って想像してみたが、全然わからない。謎である。
「ねぇ、ユゼフはどっちがいいと思う!?」
「えっ? なに?」
「服の話よ!」
あぁ、よくある「AとBどっちがいい?」と言う奴か。でAを選んだら「えー、Bがいいと思うんだけどなー」とか返ってくる。それ質問する意味ないよね? 俺に何を求めているんだ。
でもここでそれを言ったらサラさんに殴られそうだし、ここで「君達は綺麗だからどっちも似合うよ」とか言ったらそれはそれで気持ち悪い。
「じゃあ、左で」
というわけで適当に選んだ。
「適当に選んだでしょ」
「なんでばれた」
「『じゃあ』って言ってる時点でバレバレよ」
ですよね。
「ファッションセンスがない俺に問いかけるのが間違ってるんだよ」
「それもそうね。ユゼフって服を着るんじゃなくて、服に着られてるって感じだものね」
よく御存知で。
前世も現世もファッションなんて無縁な人生だった。上下チェック柄のオタクファッションで何が悪い。ジーパン穿けばとりあえず外れじゃないんだよ。
「で、でもユゼフさんは軍服は似合っていると思いますよ?」
と、エミリア殿下からありがたいようなそうでもないようなフォローが来た。一応「ありがとうございます」と返事するも、しかし殿下は余程センスを疑う服でなければなんでも似合うお人だから、余計俺の服が霞んで見えることを知らない。
先ほどの試着でも、エミリア殿下が選んだ「おとなしめな服」はかなり似合っていたし。どっちを選べと言われても、どっちも似合っていたから選べない。あとは嗜好の問題だ。
「やはり殿下の選んだ服の方がいいかもしれませんね。どちらも似合いますが、殿下がそっちが良いというのであればそちらを選ぶべきかと」
「なるほど……そうですね。でもサラさんが選んでくれた、というのもそれはそれで……」
そう言って、殿下はぶつぶつ言いながら考え事をする。
ファッション云々を論じる資格がない俺であるが、これだけはわかる。今の殿下、俺たちがいなかったらかなりの不審人物である。
「ユゼフさんはどれがいいと思いますか?」
「えっ?」
「……エミリア? 本気?」
サラがひどいことを言った気がするがだいたい間違ってないので反論はしないでおこう。
「本気です。ユゼフさん……というより、殿方の意見も参考になるかと思いまして」
「はぁ……」
ごもっともだが、一般的な殿方の価値観からずれている俺の意見を採用しても意味がないと思うのは気のせいだろうか?
しかしこの国の王女、宰相から意見陳述しろと仰せられたのだからごく普通のありきたりな一般的士官としては、言うしかない。
「……そうですね。この服なんて、生地がしっかりしていますので耐久性があるんじゃないかと思います。あと、こういう服は長い期間着れて――」
「ユゼフ、ユゼフ」
「なんだい、サラ」
「耐久性より見た目で選びなさいよ。軍服じゃないんだから」
いや、そう言われても軍服以外の服なんて全部一緒だよ! なんだったらエミリア殿下はずっと軍服着ていればいいとも思いさえする。王国軍の服は士気を上げるためカッコよく作られているんだから。
「いや、だからって――」
「うーん。でもこれから暖かくなるので、もう少し薄手の方がいいですね。あとこの色では汗が目立ちますし」
「エミリア? なんでユゼフの話に乗ってるの?」
意外と殿下は実用主義だった。
その後もこの服は動きやすい、あの服は見た目と併せて考えると総合的には評価高い、あれは汗が目立つからダメ、などなどと意見を言いつつサラを置き去りにしてやいのやいのと論議した。
そして十数分の議論の末、
「じゃ、こちらのセットにしましょうか」
「そうですね、それがいいと思います」
やっと結論が出た。殿下の希望通りシックでおとなしめ、しかし耐久性と汎用性があり、これからの季節にもピッタリな服が選ばれた。
「…………ねぇ、エミリア」
「どうしました?」
「次からユゼフ抜きで買い物しましょ」
「はい?」
そして俺は戦力外通告を受けた。
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一通りの買い物を終えた後はオシャレな喫茶店で一服。
殿下の方は最初は「いえ、そんな慢性的な物資不足で流通も未だに混乱している中、呑気にお茶などは――」と言っていたのだが、そこはサラ得意のゴリ押し戦法でなんとかなった。
サラの力押しに勝てる者はいない。
そのおかげで、殿下もかなりリラックスできている。仕事の疲れも溜まっていただろうからいいことだ。
「……こうしてみると、やっぱりエミリアって無茶しすぎだわ」
「そう、ですか?」
「そうよ。この前宰相府で会った時なんてすごい顔してたわよ」
「そんなに」
確かにそうだった。
殿下自身は「大丈夫です」と言っていたが、今にして思えば全然大丈夫じゃない。愛するシレジアを立て直すために躍起になっていたのだろうが、殿下が倒れてしまったら意味がないどころか逆行する。
そういう意味でも、今回はマヤさんに黙って殿下を連れ回した甲斐があった。
できれば明日も休ませてあげたいのだが、さすがにそれは殿下が許さないだろう。
「……休む、ということが殿下は苦手ですからね。また疲れが出て来たらサラが無理矢理休ませますよ」
「そん時はユゼフも連れ回すわ。勿論、荷物運びとしてね!」
「勘弁してくれ」
今日のことだって疲れているんだ。そう何度も何度も引っ張り出されては身体が持たない。マヤさんとかサラとかの方が体力あるんだぞ、哀しいことに。
そう指摘すると、エミリア殿下はくすくすと笑って言った。
「やっぱりユゼフさんは変わりませんね。士官学校時代から」
「そういう殿下も、士官学校時代からお変わりありませんよ」
「でも出会った当初の、我が儘王女だった頃よりかはだいぶ変わったわよね」
「……私、そんなに我が儘でした?」
そりゃもう。
サラはそう言ってから、あの時のこと、シレジア=カールスバート戦争のときのことを話す。思えば、あれから何年も経つのかと思いを馳せる。
「私たちは変わらないけれど、世界の方は随分変わった気がするわ」
「……そう、ですね。変わりましたね」
言って、殿下も俺も考える。
共和政から軍事独裁政権へ移行したカールスバートは、内戦によって王政が復活した。
東大陸帝国では皇帝の交代劇があり、セルゲイ・ロマノフが即位し改革が始まった。
オストマルク帝国とキリス第二帝国が戦争をして、国境が大きく動いた。
そして何より、シレジア王国は荒廃した。
元から弱かった軍隊はさらに弱体化し、国力も伸び悩み、殿下の数少ない味方が仇敵と手を組み他国へと亡命した。
「愛国心なんて高尚なもん持ってないけど、この国どうなるのかしらね」
「……どうなるんだろうな」
おそらくサラは何の気なしにその問いをしたのだろうが、答えは出てこない。
何とも言えない。
東大陸帝国で再び不穏な動きがある現在、風前の灯であるのはまず間違いない。だがそれを殿下の前で言える程、俺は勇者でもない。
「ま、でも大丈夫よ」
そんな空気を察したのか察してないのか、サラが明るく言う。
「ユゼフがなんとかするから!」
「他人任せかよ!」
「でも実際、ユゼフってそういうこと得意でしょ! なんだかんだ言って、パパッと解決するんだから!」
人をそんな風に見ないでほしい。いや、努力はするけれど。
「じゃ、俺も戦いになったらサラに任せるよ!」
「任せなさい。それが私の得意分野だから」
サラは胸を張って答える。サラじゃなかったら鼻で笑っただろうが、サラの場合は戦いであれば本当に何とかなってしまう程に信頼を置いている。
「羨ましいですね。ちょっと嫉妬してしまいます。そういう関係は」
と、殿下は少しむくれた顔でそう言った。すかさずサラは
「大丈夫よ。エミリアも、戦場での指揮は凄いいいじゃないの。だから私は安心して、その指揮を信じて行動できるの」
「でも、別にそれはユゼフさんでも……」
「私も、殿下が決断してくれるから安心して物事を考えられるんですよ」
自分の策がいつだって正しいかどうかなんてわからない。でもエミリア殿下は俺を信じて「決断」を下してくれる。
だから安心して、俺は考えることができるのだ。
「私たち三人――ううん、みんながいれば、なにも怖くないの。ラデックがいるから補給に不安はない。マヤがいるからエミリアの傍にいなくても平気。フィーネがいるから、他国の事も気にしなくても大丈夫」
言って、サラは飛び切りの、この日一番の笑顔で結論を出した。
「だから、今度のことも大丈夫よ!」
「……はい!」
エミリア殿下も、力強く答えた。
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「殿下、どこへ行っておられたんですか!? 私は心配で――」
「申し訳ありません、マヤ。私は大丈夫です。サラさんと、ユゼフさんがいましたから」
宰相府付近でマヤさんと合流した殿下は、彼女から数分のお説教をされた。そして挨拶もそこそこに賢人宮へ帰って行った。
彼女たちの背中を見て、さて俺たちも帰ろうか、と言おうとしたところでサラが呟いた。
「……ねぇ、ユゼフ。あれでよかったかしら?」
「なにが?」
「エミリアが、ここ最近悩んでるみたいだから、どうにかして励まそうとしたんだけど……」
あぁ、あれか。
バカみたいな振る舞いをするサラにも、この現状は思うことはあるらしい。
「大丈夫だと思うよ。サラだから説得力がある」
「ならよかった」
言って、彼女は続ける。
「私ね。エミリアには、軍人も、王女も、宰相も、なにもかもやめて、普通の女の子になってほしいの。普通に生きて、普通に恋をして、普通に結婚して……そんな生活」
「……でも、それは」
「わかってる。エミリア自身がそんなの望んでないって。でも、幸せになってほしいって思うのよ。だって――ね」
サラが俺の手を掴み、指を絡ませてきた。言葉を濁したが、それだけでわかった。
自分だけ幸せじゃ、不公平だ。そんなことだろう。
「なら、俺たちが幸せにしてやらないとな」
「うん」
サラは笑顔で頷いて――そのすぐ後、口を尖らせる。
「あ、でも今の『幸せにしてやる』って言葉、エミリアに言っちゃダメだからね。それ求婚の言葉よ」
「わかってるわかってる」
「本当に? ちょっと信用できない……」
堂々と二股してる俺が言える資格ないけど、信じてほしい。いくらお綺麗とは言え、さすがに殿下相手に求婚はしない。
「あ、そうだ。ユゼフって今日暇なんでしょ? 私の家に来なさいよ。ユリアも会いたがってるし」
「え? うん、まぁ別にいいけど……あまりサラばっかりだと、今度はフィーネさんが……」
「じゃあフィーネも呼びましょう!」
「えっ、えっ?」
結局その日は、サラの家で、フィーネさんとユリアと一緒に寝泊まりすることになった。
別に何もなかったけれど(ユリアの前で何かができるか!)、いい日であったと思う。
誰かの言葉ではないが、いつまでもこんな日々が続けばいいと思う。――そう、願っていた。
次回「宣戦布告の儀式」




