昔の話4
昔の話をしよう。
あれは、私が兄と、つまり国王フランツと違う道を歩もうと決めて暫く経った時のことだった。
それは今でも忘れられない出来事。
当時私は、妻を亡くし娘を溺愛し、周囲の再婚の勧めにも全く興味を示さないフランツの行動に辟易しつつ、とりあえずシレジアを存続させようと宰相として政務に励んでいた。
そんなある時、彼の国で私は出会った。
私は皇帝イヴァンⅦ世の誕生日会に、シレジア代表として出席していた。他国から見てもわかりやすく傾いている懐事情を鑑みない盛大なパーティーを見て、暗君とはどうしてこうも未来が見えないのかと心の中で笑った。
本心で言えば、こんな祝宴には参加したくない。
だがシレジアにとって最大の仮想敵国たる東大陸帝国とのコネは、どんなものでも欲しい。皇帝官房長官や軍事大臣、内務大臣と言った帝国閣僚と歓談しつつ、心の中で舌打ちし、皇帝の2人目の妃が気に入っていると言う中庭を歩いていたその時、その人物に出会った。
まだ青年と呼ぶには幼く、しかし少年と呼ぶにはどこか大人びている、そんな彼。
東大陸帝国帝位継承権第一位。皇帝イヴァンⅦ世の大甥にあたる彼。
名をセルゲイ・ロマノフ。
皇子であるにも関わらず、彼はこの広い庭園を従者や護衛もなしに出歩いていた。そこに、彼のおかれている政治的な事情を垣間見ることができるだろう。
「ん、貴様。この花が好きなのか?」
開口一番、セルゲイは生意気にもそう言った。歳の差で言えば、親子以上に離れている私と彼。身分の差はあれど、多少は遠慮するものである。通常は。
だからそんな言葉を聞いた瞬間、自分は「あぁ、次代の皇帝もダメそうだ」と思わず嘆息しそうになった。
「いえ、私に花はわかりませんので。そういう殿下は?」
「俺にもわからん。というより、嫌いな部類だ。花ごときで一喜一憂する女の心が俺には理解できない」
なるほど、趣味は同じらしい。
少し親近感が湧いた。
「私も、花は嫌いです。そして花を語る女性もまた……」
「醜いことこの上ないか?」
「いえ。醜いのは確かですが、自分や他人を花に喩える女性の方が、最もその表現に合っているかと」
「ハッ、違いないな」
彼はそう言って、手に持っていた飲み物を盛大にその花にかけた。酒だろうとジュースだろうと、花にとっては有害なのは間違いないだろう。
「自己紹介が遅れたな。私の名はセルゲイ・ロマノフ。セルゲイと呼んでくれ」
知っている。
ここにいる人間で「セルゲイ」の名と顔を知らぬ者を探す方が大変である。初めて出会う私でさえ、その名と顔を知っていたのだから。
「お初にお目にかかります、セルゲイ殿下。私はシレジア大公カロル・シレジア。祖国にて宰相を勤めております」
「あぁ、なるほど。あのカロル大公か。その名はよく聞いているよ。一昨年の旱害対策は見事だったよ」
「……身に余るお言葉にございます」
まさかセルゲイ殿下にそのことを褒められるとは思わなかった。
殿下の年齢からすれば、一昨年というのは遠い過去の出来事であるに違いない。にも拘らず、私の名とその政策を知っていると言うのは、余程記憶力が良いか、勉強熱心か、あるいはその両方かである。
大穴として、適当な事を言っているというのもあるかもしれないが。
「私も、大公の手法を真似ようと思った。大公の政策は、シレジアだけでなく、この帝国でも通じるものだと考えた。だから何人かを経由して陛下にその政策を真似るよう進言したのだが……」
それは初耳だった。
初耳と言うことは、つまりは実行されなかったと言うことだろう。
まぁ、彼にも立場があるから、それを大声で非難することはしない。もし言うのであれば「自分が間違っていた」と言って遠回しに皇帝を非難することだ。
――と、思った自分は、老けた証拠だろうか?
「あの老害には私の言葉は届かなかったようだ。『片田舎の、しかも敵国の政策を真似るとは如何なる了見か。それは利敵行為である』とのお達しでね」
言って「協力者には悪いことをしてしまった」と肩をすくめた。
そんな彼の言葉を前に、私は固まってしまった。
皇帝の言う片田舎の敵国の大公に対して、自国の皇帝の悪口を臆することなく言い放つセルゲイ・ロマノフの行為に、自分自身の聴覚を疑った。
今、彼はなんと?
もし彼が生意気なだけの皇子ではないとしたら、この悪口には意味がある。
自分が現皇帝とは全く違う立場にいること。
自分と現皇帝との関係は、世間で言われる以上に険悪であるということ。
そしてなにより、セルゲイ自身が「シレジアを片田舎の敵国」として見ていないと言うことなのではないか。
今の悪口は、そういう意味がある。
無論、彼がどうしようもない無能である可能性もあるのだが、私はその可能性をすぐに捨てた。理由はない。ただ、為政者としての自分の勘というだけ。
この悪口を利用して操ってやる、などとは考えなかった。第一私以外に証人がおらず、私自身が「片田舎の敵国」の人間であるから。
告げ口はできない。
だとすると、彼は何が言いたいのだろう。
いや、その問いはおかしいか。
セルゲイ・ロマノフは間違いなく自分を、カロル・シレジア大公を味方につけようとしている。その意図はなんだろうか。
だから私は、次の言葉を待った。
適当に歓談して、彼の次の「言葉」を待った。
そして十分程経った後、それが来た。
「大公。貴方にあったら是非聞きたいことがあった」
「……なんでしょう?」
そう聞くと、セルゲイの表情がいつになく生真面目なものとなった。
あぁ、これが東大陸帝国次期皇帝の顔なのか。と、その時初めて確信に至った。
「世界から戦争をなくす。戦争という、人類にとって恥ずべき歴史に終止符を打つ。それは可能だと思うか?」
それは、数多の政治学者、歴史学者が追い求める命題である。
戦争はなくなるか。
平和は来るのか。
私の答えは、決まっている。
「『否』です。人はどうしようもなく愚かで、そして、時の歩みはとても速い」
平和を祈る心は、誰にでもある。
だが平和が来るよう積極的に貢献する人間は少ない。そして戦争の惨劇は、時間によって風化する。それを人類は数年、十数年のサイクルで繰り返してきた。
だからこそ、戦争が起きる前提で国家を作り上げなければならない。無論ない方が良いに決まっているが、自国が平和を愛するからと言って、愛する隣人が平和を愛してくれるかは別問題である。
国力の向上や政治改革、外交というのはまさにそのためにある。
「なるほど。やはり思った通りだ」
「と、言いますと?」
「思った通り、貴方の政治哲学は普通なのだ」
その言葉は、翻って自分の政治哲学が異常であると認識しているということである。
彼の持つ思想がどんなものなのか、私は非常に興味があった。
私とは違うのは明確。つまり、世界平和が達成可能だと言うことなのか。
相手が相手であれば(例えば兄のフランツだとしたら)私は指を差して罵倒していただろう。だが私はそれをしなかった。代わりにしたことは、彼の意見を聞くことだ。
「殿下のお考えはどういったものでありましょうか?」
「無論、『世界から戦争をなくすことは可能だ』ということだよ」
自嘲して、セルゲイ殿下は言葉を紡ぐ。
「君らの国の歴史書、あるいは歴史教科書では、恐らく『大陸帝国』の評価はすこぶる悪い。そうだろう?」
自分の胸の中で肯定した。
大陸帝国は他国を圧倒的な軍事力で蹂躙し、占領し、国を滅ぼしては併呑。強烈な同化政策を以って異文化を消滅させた。
今私たちが話す「帝国語」や、大陸各国で採用されている「大陸暦」、大陸全土で信仰をほぼ強制されている「ペルーン教」、そして「メートル法」と言った度量衡は、この強烈な同化政策の遺産である。
だが彼は、それらの同化政策をこう評価した。
「これは確かに、悲劇である。多くの文化を消滅させた大陸帝国の罪は大きい。だがこれは同時に、偉業でもあるのだ」
と。
宗教、文化、言語による人類同士の隔たりを、その経緯はどうあれ消滅させた大陸帝国の同化政策は、まさに偉業である、と。
「そしてさらに、大陸帝国以外の国家を消滅させたことだよ。これによって、世界から『戦争』が消えた。お分かり頂けるかな、大公?」
「――えぇ。ようやくわかりました」
彼の持つ政治哲学が、これでハッキリした。
そして、彼の野望が垣間見えた。
戦争とは、国家同士の争いである。
国家が消滅すれば、戦争は絶対に発生しない。
大陸統一から、大陸が分裂するまでの数百年間、内乱はあれど「国家同士の戦争」は起きていない。
セルゲイ・ロマノフが望むのは、そういうこと。
今までの東大陸帝国皇帝の政治思想とは一線を画す考えだ。
今までは、東大陸帝国を再び偉大な国家に、という声だった。
彼は違う。彼は「この大陸に再び戦争という概念を封印すること」を目指している。
セルゲイ・ロマノフの思想、あるいは理想が正しいかは判断できない。
だがこれはわかる。
彼は、頂点に立つ男だ。その器量は、間違いなくある。
「――殿下! ここにいらしたのですか!」
そして長く話し込んだせいか、いつの間にか祝宴会が終わろうとしていた。セルゲイも、従者に発見されたため、歓談はココで終わる。
「済まないクロイツァー。久しぶりの皇宮で迷子になってしまってね」
「何を……。とにかく、時間が……」
「わかっている。それではすまないが大公、私はこれで」
そう言って、やや急いで彼は私の下を去る――その前に、セルゲイは別れ際に私に問うた。
「閣下、もうひとつ質問がある」
その質問は、まだ私を悩ませている難問だ。
答えは、出そうもない。
「祖国が滅びるとわかっているとき、貴方はどうする?」




