クラウディアの日記 後篇
4月20日。
シャウエンブルク公国首都エーレスンド、カステレット砦。
シレジアと東大陸帝国講和会議が開催される場所。そこに私はいる。
会議の目的は勿論情報収集とか政治宣伝とか色々あるけど、私の主目的はフィーネの婚約者候補の偵察だ。
その人、ユゼフ・ワレサはすぐ見つかった。
エミリア王女や近衛の女性、そしてフィーネと共にいる。美少女に囲まれて会話に花を咲かせているところを遠目から見ると、世の男は皆羨むだろう。
そんでもって気付いたのは、フィーネの表情がいつもと違うところだ。
私と会話しているときの顔じゃない。
かと言って仕事をしているときの顔でもない。
あれは女の子の顔だ。それも、恋する女の子の顔。
一見無表情で鉄仮面のようだけど、長年フィーネを観察している私にはわかる。
なるほど、あれがフィーネの初恋相手か、と。
そしてさらに気付いたことがある。
どうやら、ライバルは多いらしい。
特に王女の脇に立つ赤髪の女の子。
たぶん近衛か何かだろうけど、フィーネと会話している彼を不機嫌な目で見ている。口も尖らせて、なんだか可愛い嫉妬だ。
あ、そうだ。いいこと思いついた。
ユゼフ・ワレサがどんなただれた関係を持っているのか、どんな人間なのかを見定めるついでにフィーネをからかってあげよう。
というわけでハグ。はぐはぐ。
王女殿下やフィーネに適当に挨拶して、彼を後ろから抱き締めてあげた。
「ちょっ……」
うーん、身長は丁度いいし年下だしハグのし甲斐があるし、それになんか可愛らしい声を挙げている。
「そっか、君が噂のお父さんの友人なのかぁ。意外と可愛い顔してるね。あ、もしかして女の子?」
「違いますけど……」
「だよね! お父さんはフィーネと結婚させるんだって乗り気になってるし、まさか女の子なわけないよね! そう言えば君いくつ?」
「16、今年で17で……あの」
「なるほど17歳。つまりフィーネと1個違いだね。うんうん、丁度良いじゃん。お似合いだよ。可愛い妹と可愛い義弟。うんうん、いい感じ。結婚しちゃえば?」
半分は嘘だけど。
「いや、その気はないですので」
「なんでよー。……わかった。年上が好きなんだね!」
「いや離れすぎていなければ年齢はあまり気にしな、じゃなくてクラウディアさん良いですか?」
「何?」
「そろそろ、離れてくれると嬉しいんですけど……」
うん、この反応間違いなく異性との経験がないね。
私もそんなにないから偉そうな事言えないけど、彼は偉く純情だ。
なんだ。女の子を適当に引っ掻き回して惚れさせて日替わりで女を変えるような奴かもしれない、とか思ってたんだけど。
いい方向に期待外れだ。フィーネとは奥手同士、気が合うんじゃないかしら。
ちょっと突っついてみよう。
「んふふ、男の子だねぇ……。あ、いいこと思いついた。ねぇ君、私と結婚しない?」
「はいぃ!?」
うん、まんざらでもない様子。
本気で嫌だという顔じゃないわね。女の子にはちゃんと興味はある、と。思春期だもんね。
そんでもって色々とワレサ少佐で遊んでたら、フィーネが乱入。こっちはこっちで可愛い嫉妬しちゃって、新たな弱点もゲット。
作戦の途中で連行されたから遊び足りなかったけど、まぁまずは満足すべき結果かな。
彼がどんな能力を持っている人間なのかはわからない。
実務面における人間性はわからない。
でも恋愛面においてはとりあえず「バカみたいにヘタレ」だということはわかった。
悪くはない。押せば落ちる。落ちなくても押し続ければいつか落ちるわ。
フィーネには一番きついタイプだろうけど。
その点、あの赤髪の近衛の子の方がまだ可能性あるわね。見た感じ、相手が陥落するまで押すタイプだから。
となるとフィーネが不利。私が押さないと駄目ね。
……って、いつの間にか私がフィーネと彼の仲を応援するようになってる。
それがユゼフ・ワレサの人となり、と言うやつなのかな?
4月24日。
条約妥結のための非公式な作戦会議の席。
フィーネと王女殿下と私と彼が部屋の中にいる。
領土割譲と賠償金問題に揺れるシレジアと東大陸帝国だけど、そこでユゼフ・ワレサがある提案をした。
賠償金を捕虜解放費用という名目でふんだくり、領土割譲によって生じる諸問題を「緩衝地帯の設定」という方法で回避した。
外交的にも内政的にも、かなり有効な手だ。
さらに事情をよく知らない国から見れば「シレジアと東大陸帝国の宥和」とも取れる。反シレジア同盟の崩壊、大陸東部情勢の劇的な変化が起きる。
それを、この少年はサラっと考えたのだ。褒めても「そんなことはない」と威張ることもない。口だけでなく心からそう思っているのは表情から見て取れる。
人間的に優れている。
能力も十分。お父様が褒めるのも無理はないし、フィーネが惚れるのもわかる。
そしてこの会議でわかったのは、彼の忠誠の対象がシレジア王国ではなく、エミリア・シレジア王女に向いていると言うことだ。
それは彼の放つ言葉の端々から汲み取れる。
これをうまく利用すれば、オストマルクへ取り込める……?
なるほど。お父様が考えそうなことだ。
フィーネはそのための、いわば道具。
彼には王女に対する忠誠を尊重しつつ、フィーネを嫁にやりオストマルクに対する「義務」を発生させる。
オストマルクの国益の為に動くように、フィーネを操っても良いし、フィーネに行動させてもいい。
ユゼフ・ワレサは優秀だ。外交的にも、軍事的にも、そして情報戦でも。
もしこの計画が失敗しても、お父様は特に痛手はない。
フィーネがフラれたとしても、フィーネが死ぬわけじゃないし。
フィーネがユゼフ少佐にどっぷり惚れて身も心もシレジア臣民になったら話は別だけど……たぶんそれはないだろう。私もよく知っている。
フィーネは私と同じ。
とことん現実に生きる。
いや、私以上に現実に生きているかもしれない。
もしユゼフ・ワレサに生命の危機があって、フィーネにそれが救える選択肢がある、でもそれを選択するとオストマルクの国益が損なわれる、という状況があったとしよう。
普通の女性なら、多少逡巡しても最後には愛する人を助ける。
でもフィーネの場合、問答無用で切り捨てる。そういう子だ。
フィーネの忠誠心はシレジアじゃなく、オストマルク帝国と皇帝陛下にある。
もし彼と結ばれることが国益に叶わなければ、妹は彼をスッパリと諦める。
我が妹ながら、優秀だ。
優秀だけど、可哀そうだ。
ちょっとは女の子であることを自覚すべきだよ。昔はもっと可愛げがあったのに。
よし決めた。
お姉ちゃんが妹の背中を押してあげよう。そんでもってドミノ倒し方式で彼を落とす!
待ってろよ! 条約締結会議の後は結婚披露宴じゃい!
5月6日。
妹がどんよりした顔になっていた。
何があった……って、まぁ聞くまでもないわね。
きっと惚れた相手にフラれたか先を越されたのだろう。きっとあの赤髪の女の子が、ユゼフ・ワレサを落としにかかったわけだ。
ちょっと私の意気込みが遅かったかな?
こうなったら、無理矢理でもフィーネを押すしかないわね。
5月7日。
予想通り、赤髪の子とユゼフ・ワレサはいい雰囲気になっていた。
バルコニーでイチャイチャ、とまではいかないまでも、友達以上恋人未満という感じの空気を垂れ流している。
見てて腹立つ上に、フィーネがそれを見てさらに目を腐らせていた。
仕方ない。
フィーネが行かないならまずは私から突撃しようじゃないか。
「いえ――――い! ワーレッサちゃ―――ん!」
そして躱された。くすん。
まぁいいや。ワレサちゃんって呼んでも怒られなかったし。
それに隙を見つけて抱き着いてやったし。
と、その直後。予想外に早く主役が登場。
「お姉様!」
と。
よし、計画通り。
とりあえず私の作戦を邪魔されないよう「フィーネが会議前、公都で恋愛小説を買って読んだら、年頃の男女の濃厚な××シーンがあって顔を真っ赤にしながらページを飛ばしてた」という情報を公開して魂を抜いといた。
ちなみにその本に出てくる男が、今思えばワレサちゃんにそっくりだったわね。
フィーネってば案外……。
まぁいいや。
私はワレサちゃんに言うフリをして、魂の抜けた妹に声をかける。
私たちリンツ家の人間は欲しいものは何が何でも奪い取る。
人間、何かをするときは躊躇っちゃダメ。
世の中には躊躇いとか遠回しとかが通じない男の子がいっぱいいるんだから、たまには直球勝負もいい。
こんな感じだ。
フィーネが忘れているだろうこと、フィーネが必要としているだろうことをそっとプレゼント。
ちょっとしたら、フィーネは魂を取り戻して私に説教した。
うんうん。いつもの妹、これぞ私の妹。
背中は押した。あとはフィーネがどれだけ歩けるかね。
まぁこの子って意外とポンコツだからどうなることやら……。
って、あら?
あらあら?
あらー?
……ふふふ。
これは予想外。
顔真っ赤にしちゃって、可愛いわね。
これから先、二人の仲がどんなふうに進展するかが楽しみだわ。
11月25日。
色々忙しくて日記をつける暇もなかった。
東大陸帝国皇女亡命事件、神聖ティレニア教皇国との外交交渉、その最中にキリス=オストマルク戦争。クレタ割譲案でワレサちゃんの神算鬼謀に感心してたら、今度はシレジアで叛乱発生。
まったく、外務大臣の孫に生まれたことを後悔するわ。
まぁ、でもそれは別にいいの。
どうでもいいの。
問題は他にあるの。
慌てた様子で帰ってきたフィーネを落ち着かせようと、
「ちょっと女らしい顔つきになったし、もう処女は捧げたの?」
と冗談を言ったら、
「何を言っているんですか!!」
と顔を真っ赤にしながらちょっと女の子のあそこを手で押さえながらなんかもじもじしてた。
……。うん。
そういう、ことだよね?
「うーん、別に否定もせずただ頬を赤らめたこととフィーネの視線を観察するに導かれる結論は――フィーネは戦場でワレサちゃんを……」
「お姉様、さすがのお姉様でもそれ以上言うと殴りますよ」
「フィーネに殴られるならそれはそれでありかなー」
フィーネは大人の階段を上ってしまったらしい。
12月30日。
フィーネが再びシレジアへ行って暫く経った。
既に平和ではなくなったシレジア、戦場となったシレジアへ。
そしてあの男、ユゼフ・ワレサの下へ行くのだろう。
たぶんイチャイチャしながら武勲を立てつつなんだかんだ言ってシレジアを救うんだろうけど、どうにも気に食わない。
サラという少女と同時に告白して受け入れられたとか、どうやらエミリア王女もその気があるんじゃないかという、フィーネからの報告書。
その報告書で数回筆先が折れた痕跡があるのは、そういうことだろうね。
フィーネも嫉妬するってことを、ワレサちゃんは知った方がいい。
でも、フィーネは今の所幸せそうだ。
ハッキリ言って羨ましい。
昔の私だったら、ワレサちゃんに対する嫉妬で怒り狂ってあらゆる妨害工作を始めていただろう。ワレサちゃん相手に通じる自信ないけど。
けど、一番驚いてるのは、私が「フィーネを羨ましがってる」ってところね。
お父様が持ってくる縁談はどれもこれもオジサマだし、私自身自覚してることだけど、ワレサちゃんを見たらちょっと要求水準を高くせざるを得ない。
「はぁ、私も幸せになりたいなー……」
なんて言いながら日記の続きを書いてたら、扉がノックされた。
入ってきたのは、お父様。
「おいクラウディア。お前もうすぐ適齢期超えるんだから、そろそろ結婚をだな……」
「お父様が持ってくる相手、どれもこれも微妙なんだもの」
「安心しろ。そう言うと思って、今度の相手は年下、15歳の侯爵家子息だぞ」
「マジで!?」
うん、となると俄然やる気が出てきた。
私の名前はクラウディア・フォン・リンツ。
次期リンツ伯爵家当主は、貴族令嬢としては遅すぎる婚活をしています。
私は楽しいから別にいいけどね! まだ21歳だし!
というわけで特になんでもないクラウディアの(フィーネ観察)日記でした。
メインストーリーに関係あるかと言われれば、たぶんないです。
なお639年時点でマヤさん(25歳)よりクラウディアお姉様(21歳)の方が年下だという事実に作者が一番驚いています




