クラウディアの日記 中篇
大陸暦637年6月25日。
フィーネがユゼフ・ワレサ大尉と共にクロスノに言ったのが2ヶ月前。
ジン・ベルクソンに対する冤罪事件に関する調査、と言う名の政敵皆殺し。お父様ってば本当に謀略上手よね。
それは上手くいって万事万々歳なんだけど……。
フィーネが帰ってこない。
まったくもう、あの子ったら何やってるのよ。
早く帰ってきなさいって、寂しいでしょ! いじり甲斐のないヴェラじゃつまんないー!
……ハッ!
まさかあの子、ワレサ大尉とかいう男とふしだらなことして――、
いや、ないない。
妙にプライドだけが高いあの子が、昇進速度が速いとはいえ平民の子とそんなことするはずない。
それに報告書はいつも通り完璧に届いているしね。
見た限り何もない……何もないよね?
7月1日。
フィーネが女になって帰ってきた。
7月2日。
ちょっと落ち着いた。
うん、なんだろ、この気持ち。
まず、フィーネが一足早く純潔を捧げたということはなかった。
14歳でそれしたらさすがに私も怒る。
けど、フィーネは順当に恋する乙女になって帰ってきた。
平静を装ってるつもりだろうけど、フィーネの行動はバレバレだ。
知ってる? フィーネってなにか隠しごとをする時、紅茶を飲んで誤魔化そうとするの。
私が「ワレサ大尉といい雰囲気になったんじゃないのー?」とカマかけてみたら、数秒間を置いて「何を言っているんですか」と紅茶を飲みながら答えたのだ。
間違いない。フィーネは間違いなくワレサ大尉に惚れた。
ぐぬぬ、これはどうすべきだろうか。
姉としては応援すべきなの?
ちなみに、上級学校時代の私の初恋の人が政治犯として地位剥奪の上流刑になった。
今更どうでもいいけど、なんだか負けた気分。
7月19日。
「なるほど面白いな。なら、いっそのことフィーネを彼にあげようじゃないか」
お父様、問題発言。
曰く、ワレサ大尉をオストマルク情報省で雇う。その条件として、相応の地位と、フィーネという美人の嫁を渡すということ。
確かに貴族の間じゃ、こんな話珍しくもない。
「フィーネにそれを持ちかけるの?」
「いや、あいつがどういう反応をするのか大尉の前で見てみたいから、暫く内緒にしよう」
お父様は案外ドSだ。
7月20日。
顔を若干赤らめながらフィーネが帰ってきた。
どうやらお父様のあの提案がワレサ大尉の前で披露されたらしい。
「で、大尉くんの答えは?」
「フラれてしまいましたよ、残念ながら」
言ってることと表情が全然違う……ということは、フラれてはいないということかな?
うん、わからない。結局ワレサ大尉のこと知らないし。
こうなったら適当な理由つけて直接会うしか……。
「それとお姉様、大尉はシレジアに還るそうですよ」
タイミング悪すぎるわよ!
7月25日。
フィーネがグリルパルツァー社長令嬢とのお茶から戻ってきた。
ら、覚えのない高級高精度懐中時計を首からぶら下げていた。
「……なにそれ?」
「ふふっ。友人からの贈り物です」
……間違いなくあの男からだ。
フラれたなんだと言いながら高いプレゼントを貰うなんて……青春のばかやろー!
7月26日。
フィーネが懐中時計を眺めながらニヤニヤしてた。弱点発見!
7月28日。
フィーネが懐中時計を眺めながらニヤニヤしてた。
7月29日。
フィーネが懐中時計を眺めながらニヤニヤしてた。
7月30日。
フィーネが……って、それ本当に気に入ったんだね。
うーん、もしかして「フラれた」っていうのは冗談なの?
もしかして、もう恋人同士? でもお父様は何も言ってないし、フィーネに聞いても全力で否定するし。
一方通行の愛? なにそれ、ちょっと重い。
8月15日。
フィーネが士官学校情報科を首席で卒業した。さすが我が妹。
配属先はオストマルク帝国軍……ではない。なんと士官学校卒業直後から情報省所属なのだ。
勿論、お父様が手を回した結果だ。
軍の諜報部門を情報省にも組み入れたいお父様らしい手。フィーネの持ってる士官学校で作り上げたコネもなにかと役立つでしょうね。
9月1日。
フィーネが情報省に着任。
早速初仕事。外務省にも顔を出したから、その顔を真っ赤にしてやったわ。うーん、かわいい。
9月17日。
さらにフィーネが新しい辞令を貰った。
情報省第一部配属のまま、シレジア王国クラクフ領事館の館員になるそう。
……あぁ、お父様。諦めてないんだ。
んでもって、その辞令を受け取ったフィーネが……なんていうか、表現できないくらい喜んでた。
いや、表面上は無表情なんだけどね。
でも出てくるオーラが歓喜そのものでさ……。
うーん、でもフィーネ、大丈夫かな。
いやフィーネは確かにかわいいけど、フィーネが惚れるような子って、他にもその子に惚れてる女の子がいると思うんだよなぁ……。
でも、その前にひとこと言わせて。
「またフィーネと離ればなれじゃん! やっと一緒に働けると思ったのにー!」
お父様が私をいじめる。
9月18日。
お父様の遠大なる謀略に、ちょっと水を差してみる。
「フィーネ。恋は戦争よ。もしクラクフに恋敵がいたら思い切り喧嘩売りなさい。相手の目の前で婚約の話をして、ついでに夕食に誘うのよ!」
「……何を言い出すかと思えば。そんなことしませんよ」
失敗した。
うーん、まぁ、フィーネのことだから順風満帆に恋を成就させることなんてないだろうけど。
10月27日。
隣国カールスバート共和国が見事に燃えた。たーまやー。
11月18日。
フィーネがカールスバートに行くってどういうことだッ!
そんな危険な事、軍人に任せ――軍人だった!
11月28日。
なんか、普通に内戦が盛り上がってるから帰ってくるの遅くなりそうなんだけど。どうしてこうなったの。私、どうして大好きな妹とこんなに会えないの。
「あの、クラウディアお姉さま? 私が相手してあげますから……」
「ヴェラは可愛いけど特に弱点ない普通の子だからつまんない」
「えー……」
あぁ、フィーネいつ帰ってくるかな……。
638年1月30日。
縁談があった。
年上だった。
ていうかオジサマだった。
オジサマは趣味じゃないのでふった。
年下じゃないとお断りなんだからね!
3月10日。
今年の冬が寒かったのはきっと気温が低かっただけじゃない。
でも今はもう春。寒い冬は東大陸帝国へ帰っていった。もう二度と来ないでほしい。
「そんでもってフィーネは二度と余所に行っちゃダメよ」
「は?」
うーん、この冷たい目線、嫌いじゃない。
隣国の内戦がさっさと終わって、フィーネが手土産持参で帰ってきた。
手土産はさっそくお父様に献上してあげた。情報省向きの人材だよあれは。
まぁ、顔がキモいから傍にいたくないってのもあるけどね?
3月17日。
あのお土産、妙に働き者。そして優秀だ。
天職と言う奴なのだろう。
たった一週間で名だたる政治犯や思想犯、急進的民族主義者を密かに闇に葬ってる。逮捕という手段を使わないのが実にいやらしいと言うかなんというか。
勿論、逮捕する価値がある人間は逮捕する。
でも「逮捕しても利益がない奴を逮捕しても税金の無駄だ」という感じで謀殺もこなす。
元から才能はあるんだろうけど、そこに情報のプロであるお父様と組んだことによって、相乗効果でこうなっているのだろう。
敵じゃなくて良かった。
そしてそんな人を説得して戦犯から逃れさせてオストマルクに連れてきたフィーネも、大した成果ね。
「でも、よくあんな人連れてこれたね。まさか身体でも使ったの?」
「そんなわけありませんよ。あんな奴に捧げるくらいなら舌噛み切って死にます」
でしょうね。
「じゃあ、どうやったの?」
「どうもこうもないですよ。やったのは私じゃなく、ユゼフ少佐です」
ユゼフ「少佐」?
昇進したんだね。
……って、フィーネってばちゃっかり名前で呼んでるし。
むー。
気になるわね。本当にこの子。
フィーネがあんなに楽しそうに喋ってると言うことは、たぶん優秀な人材なんだろう。フィーネは顔じゃなくて(まぁ顔も重要だけど)才能で人を選ぶみたいだから。
だから、私はユゼフ少佐とやらが気になる。
それにフィーネとユゼフ少佐とやらをくっつけよう計画を遂行しているのはお父様だけじゃないみたいで、おじい様もこの間「フィーネに婚約者がいる」って言ってたし。
その婚約者と言うのがユゼフ少佐。
先方は承知してないらしいけどね。
……我が愛しの妹が惚れ、父親も祖父もその状況に賛同しているというのに、相手がその気になってないなんて……。
相当なアホか、既に更に高い地位の婚約者がいるかのどちらかね。
ちょっと、調べてみましょうか。仕事の合間に。
3月19日。
ユゼフ・ワレサの情報をくださいってお父様に言ったら「将来お前の義弟になるのだから今のうちに勉強しとけ」と言われてすんなり情報をくれた。
ふんふん。
なるほどなるほど。
死ねばいいのに。
3月20日。
ごめん、言い過ぎたわ。
なに、この子。
友人関係の男女比がおかしいわよこの子。
しかもその友人っていうのが「王女」「公爵令嬢」「騎士」「社長の息子」「公爵嫡男」「男爵令嬢」などなどより取り見取り。一番身分が低いのがあのユゼフ少佐なのだ。
ユゼフ少佐は愛国者ではない。
でも、軍事における知識は並々ならぬもの。視野が広く、国際感覚に敏感で、それを前提に戦略や戦術を立てる。その才能が巡り巡ってシレジアを幾度となく窮地から救いあげている。
本人がやる気を出せば、英雄として祭り上げられていただろう人物。
表向きの功績が全部エミリア王女のものになっているから、彼はいたって平凡な地位を甘受しているわけだ(それでもカールスバート復古王国から貴族位を貰ってたりする)。
なんなの、この子。
「彼は優秀だよ。あの年齢で権謀術数軍事戦略に詳しく、外交も出来る。私たちに対して偉そうに『提案』を出す。そしてそれはどれも有効な手。多少の拙さと詰めの甘さがあるが、あと10年経てばどうなることやら」
と、お父様。
春戦争におけるオストマルクの非難声明や、カールスバート内戦における軍事演習も、元はと言えば彼の発案らしい。
てっきり私はお父様かおじい様あたりの仕業だと思ったんだけれど……。
優秀だ。
それは認めるしかない。
でもそれと同時に、不安がある。
お父様、おじい様が進めているあの計画。シレジアとの同盟案だ。
最終的な目標はシレジアの経済、政治をじわじわと浸食して友好国から傀儡とし、シレジア王族とオストマルク皇族を婚約させて共同統治、然るべきのちに同君連合という形で併呑する、という遠大な計画。
成功すれば、大陸中央部におけるオストマルクの優勢はゆるぎない。無理に侵略するよりも、人心は皇帝陛下に向きやすい。
あえて難点を上げるとすれば、最悪100年単位でかかるだろうということだ。
私としては反対だ。
確かに成功すれば利益は大きいだろう。でも、失敗する確率の方が高い。
第一に、シレジアとの同盟という段階でも、国内外の反発が大きい。いくらベルクソン事件で政敵を一掃したと言っても、限度がある。
下手を打てば、国内の民族主義運動が活発化して帝国は分裂する。
為政者として優先すべきは100年先の未来より、今存在するオストマルクだ。
「お父様、そのことは彼に言ったのですか?」
「私は言っていないよ。無論、フィーネもな」
含みのある言い方だった。
「つまり、彼は少ない情報からお父様の計画を察知したと?」
「そういうことになる。フィーネからそのような情報が来ていたよ」
つまり、計画に綻びが出ている。
ユゼフ・ワレサが優秀で国際政治に敏感で外交手腕があるとすれば、きっと「オストマルクの計画の途中までは協力しよう」などと考えているだろう。
近くもなく遠くもない、そんな関係。オストマルクを最大限利用しつつ、シレジアの権威も高めて私たちの計画を阻止する。
……お父様がフィーネを使っているのは、彼を籠絡させようと考えているからってことなのね。
それがわかっているから、彼はフィーネとの婚約を拒否している?
わからない。
情報が少なすぎる。
やっぱり直接会って、彼の生の情報を手に入れなければならない。
そして計画がどう転ぶにせよ、ユゼフ・ワレサは監視下に置きたい。
最悪、フィーネが悲しむことを承知の上で、彼を謀殺することになるかもしれない。
そして、丁度いいイベントが間もなく開催される。
「お父様、シャウエンブルク公国から『打診』がありましたわよ」
でも、色々理由はつけたけど、ユゼフ・ワレサ少佐に会う最も大きな理由は、ただの興味本位だけかもしれないわね。
なんにせよ、楽しみだ。
前後篇で終わらせるつもりが終わらなかったでござる
 




