疑問符
短い
「十日間の戦い」あるいは「トルン攻防戦」の結果、王女派軍は大勝した。
そしてラクス元帥以下およそ2万5000の兵が降伏。しかし元は同じシレジア臣民であり、互いに恨みはなかった。王女派がトルンを未来永劫手中に収めることが確定的となり、これで大公派軍の立て籠もる王都シロンスクの喉元にナイフを突き刺した形となった為でもある。
それは、終戦が間近に迫っていると言うこと。
終戦を見据え、エミリア王女は捕虜に自由な身を与えて寛大な条件で解放した。
その処置は、政治的な効果はかなりあっただろう。
捕虜の大多数は戦犯として裁かれることを覚悟していただけに、エミリア王女の器の大きさと寛大さに心を打たれ、士官・下士官・兵卒によらず王女に忠誠を誓う者が続出した。
また、そうでないものも帰郷先や宛がわれた宿舎にて、大公派軍総司令官ラクス元帥が降伏したことを話したのである。
それは噂になり、王女派に協力するオストマルク帝国やキリス第二帝国の情報戦も相まって、トルン攻防戦の結果は1ヶ月も経ずして王国中に知れ渡ることになる。
曰く、大公派軍総司令官ラクス元帥は敗死、大公派軍は主力をほとんど失う。
曰く、王女派軍は既に王都シロンスクへの攻撃を開始している。
曰く、カロル大公は亡命の準備をしている。
曰く、エミリア王女に寝返った貴族が多くいる。
曰く、エミリア王女に与した貴族の中には陞爵された者もいる。
噂の殆どは事実とは違った、誇張されたものである。
だが共通点は「大公派が不利」ということだ。
大公派は風前の灯で、エミリア王女がシロンスクに凱旋する。となると、兵卒はともかく貴族はその処遇を問われるとことには間違いない。
このまま大公派に与していては、領地没収の上に爵位剥奪もあり得るのではないか……。
そんな疑心が貴族の中に芽生えると、自然とエミリア王女へと勢いが傾く。
そして4月初旬、中立派諸貴族が一斉に王女派への忠誠を表明。そこからドミノ倒しに、大公派貴族の離反が相次いだ。
エミリア王女派となった貴族らは兵をトルンへと送る。軍資金や、媚を売るための金銀財宝美術品を運ぶ。あるいは、未婚のエミリア王女のために美男・美少年を送り込む……などなど。
「……ハッキリ言って、兵以外はいらないのですが」
と、エミリアは困惑せざるを得なかった。
ともあれ、エミリア王女派は優勢となった。
懸念となっていた諸外国からの介入がある前に、何とか内戦が終わりそうである。
4月21日、エミリア王女派は各貴族軍と合流して王都シロンスクを包囲。翌4月22日、王都シロンスクを呆気なく「無血占領」した。
幽閉されていた国王フランツも無事保護された。
あまりの抵抗の少なさに、誰もが安堵の前に不安を覚えた。
「こんなに簡単でいいの? もっと抵抗とかないわけ?」
「……負けが確定しているからかもしれないけど、でもカロル大公にしては呆気なさすぎる結末だよ、これは」
サラとユゼフも、そう思っていた。
何かがおかしいと。
そしてその不安は、王都シロンスク中心部に聳え立つ賢人宮、そして王国宰相府に踏み入った時、確信へと変わった。
「――カロル大公が、いない?」
マヤ・クラクフスカが、王宮に勤める近侍に尋ねた。
「はい。先月の半ば当たりからです」
「……3月半ば? それでは、トルンの戦いが始まる前後じゃないか! なぜそのタイミングで……。大公はどこに?」
「わかりません。行き先は聞いておりませんので、ただ陛下の面倒をよろしく、とだけ」
3日後。
復帰した国王フランツ・シレジアは勅令を発する。
内戦の正式な終結と、戒厳令の解除。司法権を取り戻し、国事犯カロル・シレジアの指名手配を発する。また大公へ協力した者に対する処置は後日発表する、と。
しかし、彼らの努力を実を結ばなかった。
カロル・シレジアはそのまま行方不明となる。彼が見つかるのは一週間後の5月初旬、意外な所、あるいは誰かにとって予想内の場所に、カロル大公はある人物と共にいた。
大陸暦639年春。
シレジア王国内戦は呆気なく終わった。
……だがそれは、戦乱の日々が遠退いたことを意味していない。
さて、呆気なく終わった内戦。これで終わりですよ!
みんな安心してください、内戦は終わったんです。えぇ、終わったんだ。平和が来たんだ!
そんなわけ、ないよね?
次章。カロル大公、動く。




