十日間の戦い ‐9日目 断罪‐
「クソッ! なぜだ、なぜ救援が来ない!」
「閣下、敵の第七波来ます!」
「迎撃しろ!」
大公派軍モジェスキ准将にとって不幸だったのは、度重なる「救援要請」が司令部によって無視され続けたことにある。
しかしそのことに関してラクス元帥を責め立てることはできない。
なぜなら、最右翼への奇襲陽動攻撃こそが敵の作戦であり、あくまで主たる戦線はトルン正面にあると信じていたからである。
故に、モジェスキ旅団が救援要請を発するたびにラクス元帥ら司令部は「これは罠だ。もうすぐ正面から敵が来るはずだ」と考えてしまうという、なんとも皮肉な結果を生み出した。
モジェスキ旅団は良く戦った。
戦力差10:1という圧倒的劣勢の中、地形と防御陣地を巧みに使い数時間に亘る防御戦闘をしたのだから。
だが、既に疲弊していた。都合八回に及ぶ王女派軍の突撃に耐えられるだけの精強さは、モジェスキ旅団には持ち合わせていなかった。
そしてそれを見逃すほど、王女派軍主力を率いるヨギヘス中将は無能者ではないし、彼の下で作戦を立案する参謀もまた悪辣な手腕を存分に振るう。
「――そろそろ、敵も限界と思われます」
「そうだな。……予備戦力を投入する。ギールグッド准将の旅団に連絡、決着をつけるぞ!」
ギールグッド旅団、数5000。
最も士気が高いこの旅団を、ヨギヘスは最後の一撃として使った。そしてギールグッド准将もまた冷静に戦場を俯瞰できる才を持っていた。
「左翼側の魔術攻撃密度が薄い。そこに重点的に攻撃を仕掛け穴をあける。攻撃始め!」
彼の適確な指揮は王女派軍にとって最も効率よく戦果を手繰り寄せるものであり、大公派軍にとって最も恐怖すべき瞬間に導いた判断であった。
最初の突撃から6時間。
ついに、その時が訪れた。彼らの上空に、初級魔術「火球」が3発上がる。
「――ギールグッド旅団から信号弾。符号は――『我、敵陣を突破セリ!』」
「本当か!」
「間違いありません!」
伝令の言葉に、ヨギヘスは高揚した。
その瞬間、彼はこの戦いの終わりを見たのである。この場合は「この内戦」の終わりを見たことになる。脇に控えていたユゼフも、ヨギヘスの高揚する気分の意味を正確にとらえていた。
「閣下、今です!」
「わかっている! 近衛騎兵連隊を先鋒に、全軍突撃!」
最も練度の高く、最も破壊力のある、サラ・マリノフスカ所属する近衛師団第3騎兵連隊を先鋒に、王女派軍5個師団5万が殺到した。
「行くわよ、吶喊!」
サラが馬の腹を蹴り突撃し、
「騎兵隊に後れを取るな。第166歩兵大隊前進!」
歩兵隊を指揮するマヤがそれを追い、
「ヨギヘス閣下、敵左翼部隊が統制を取り戻す可能性があります。上級魔術による牽制攻撃で突撃支援を」
ユゼフが彼女らを支援するために進言する。
「ラデックくん、包帯が足りないわ。それと重傷者の後送をお願いできる?」
「わかりました、手配します。イアダさんはそのまま治療を!」
後方支援部隊も、激動する前線を支えるために躍起になっていた。
それらはひとつの生物――いや怪物となり、大公派軍モジェスキ旅団に襲い掛かる。押し寄せる人の波を受け止められる程、モジェスキ旅団と言う名の堤防は強固ではない。
「ダメだ、もう支えきれない!!」
彼の悲痛な叫びは、ついにラクス元帥の下に届くことはなかった。
3月22日17時40分。
ラクス元帥率いるトルン攻略軍の最右翼が突破され、蹂躙された。これの意味することは単純明快であり、それはラクス元帥もよくわかっている。
正面には王女派軍の築いた強固な防御陣地を持つトルン、後方には王女派軍主力5万。
それはまるで、鉄床と鉄槌のようであった。
「クソッ!」
元帥は、らしくもなく悪態づく。
戦況は大公派軍にとって最悪だった。
王女派軍主力はモジェスキ旅団を突破した勢いをそのままに、川沿いに展開していたライゼルスキ軍団に対して攻撃を開始。
「ライゼルスキ少将、後背より敵!」
「なんだと!?」
ライゼルスキ少将は酷く動揺した。しかしその時間は極めて短く、大したことはなかった。
攻勢を受けて彼は慌てて陣形を再編して反撃しようとする。だが側背攻撃に対処しろなどと急に言われても無理な話である。
しかも陣地の無い野戦で、である。
さらなる不幸は、ラクス元帥自身が率いる軍団と連絡がつかなくなってしまったことで、有効な連携が取れなかったことである。
無論それは、ユゼフが狙ったことではある。
敵が混乱しているうちに各個撃破することが、寡兵でもって優勢なる敵を討つ基本であるから。
明けて3月23日。
「敵の右翼軍団をヴィストゥラ川に突き落とせ! 我らが王女殿下に盾突いた反逆者に罰を!」
戦いの中で、マヤはそう叫んだ。
それは士気を高めるための言葉であるが、本心でもあった。
エミリア王女を、親愛なるエミリアを泣かせた罪を償わせるために。
その猛烈な復讐心に燃えるマヤが率いる王女派軍歩兵隊の突撃を、渡河を警戒して築いた陣地を放棄して急遽陣形を再編している最中であるライゼルスキ軍団が受け止められるはずがなかった。
戦列が最初から乱れている状態では、最早2万と言う数字は飾りでしかなかった。
一方、大公派軍ラクス元帥は麾下の軍団を別働隊迎撃の為に動かした。トルンに立て籠もる部隊に対してはクレツキ師団に任せて180度回頭。3月23日の昼までに全ての準備を終えて、万全の態勢で王女派軍主力と向き合った。
「ここであの迂回部隊を倒せば、戦況は再び逆転する! 攻撃開始!」
ラクス元帥のその考えは正しい。
むしろ戦況どころか、戦争の趨勢さえ決まる判断である。
ラクス軍団の戦力は4個師団。しかし9日も戦っていたため定員が割れており、3万強しか戦力がなかった。
対する王女派軍主力は、ヨギヘス中将率いる軍団である。戦力の一部が大公派軍右翼への攻撃に割かれているため、ラクス軍団にぶつけられるのは3個師団3万弱のみ。
数の上では同数であった。しかし――、
「……敵の動きが鈍いですね」
「あぁ。そうだな。恐らく彼らはもう、戦える状態ではないのかもしれない」
ラクス軍団の戦いぶりをつぶさに観察していたユゼフと、参謀長のタルノフスキ准将は「敵の士気が低い」ことを看破した。
9日も攻城戦を行い、終わりが見えず、さらに後方を突破されて「負け戦」の様相を呈していたことに、ラクス元帥麾下の士官たちは気付いていたのである。
そんな中で彼らは思い出す。これは内戦で、戦う相手は同じシレジア人。
となれば、自ずと戦う意思は削がれる。
祖国の為に命を賭すという崇高なる精神は、忠誠の対象が定まらない大公派軍にとっては致命的な問題だった。
一方、王女派軍は「エミリア王女」がいる。しかも、トルンという最前線にいる。片時も戦場から離れず、兵を慰問して励ます母のような存在がいる。
それが王女派軍の強みだった。
「王女殿下のために!」
「エミリア殿下、万歳!」
士気の差は、戦力の差となる。
「エミリアに、勝利を!」
サラも、その一人だった。
大好きなエミリアに笑ってほしいから。ただそのためだけに、彼女は今戦っている。
勢いは完全に、王女派軍にあった。
そして戦況が完全に王女派軍に傾いたのは、15時30分のこと。
「元帥閣下! クレツキ師団より連絡。敵トルン守備隊が攻勢に出ました!」
ローゼンシュトック大将指揮する王女派軍トルン守備隊による攻勢。ラクス軍団が程よく疲弊したときを待って仕掛けた。
トルン守備隊は1個師団。半数は素人であり、戦力も陽動攻撃の際にだいぶ減らしている関係上8000しかなかった。
しかしそんな事情はラクス元帥が知る由もない。
むしろ彼は、もっと戦力がいるものだと誤認していた節があった。
故にラクス元帥は苦渋の決断を下すほかに選択肢はなかった。
「――――撤退する」
それは、3月23日16時15分のことであった。




