十日間の戦い ‐7日目 反撃の一矢‐
3月21日。王女派占領地トルン。
「――今回は時間が命だ。素早く、だが慎重にやる必要がある」
ローゼンシュトック大将は、麾下の軍団に対して訓示をしていた。
この日王女派軍は、オルシュティンから引き抜かれた戦力及び新たに徴兵された新兵で構成された増援を得て、合計5万に膨れ上がった。
しかし相対する大公派軍に対しては依然、戦力的に不利。だからこそ彼らは、この作戦に賭けた。
「では14時に、所定の計画通り作戦を開始する。諸君らの健闘を祈る!」
号令一下、兵達は走り出した。
これが、シレジア内戦史上最大の戦いになることを、誰もが理解した。
13時40分。
トルン市街正面戦線にて、王女派軍と睨み合いを続ける大公派軍クレツキ師団が、異変に気付いた。
「……慌ただしいな。攻勢の予兆か?」
王女派軍兵士が、陣地を右に左にと移動している。数万数千の部隊の移動が手に取るように分かった。そしてクレツキ師団は、その動きを注意深く観察して様子を窺う。
「閣下。敵戦力、推定3個師団が左翼に集中し出したようです。疑いようもなく、これは兆候です」
軍旗の数、右に左に行き交う王女派軍兵士の数、その他諸々の情報を基に、斥候部隊は指揮官であるクレツキ少将に連絡した。
「わかっている。やつらめ、戦力が過小とみて中央を突破しようと考えているのかもしれんな。……ではそれに対応しよう」
クレツキ少将はすぐに命令を出す。
中央を突破しようと画策する部隊への対処法は主に2つ。ひとつは両翼を広げて敵突破部隊を半包囲すること。もうひとつは逆に、中央を固めて突破させないようにすることである。
戦力が優勢である大公派軍にとって最良の選択肢は前者、両翼を広げてからの半包囲だっただろう。だが彼は、それこそが敵の罠であるかもしれないと憂慮した。
「伝令。ラクス元帥閣下に、左翼側に攻勢の兆しありと伝えろ」
「ハッ!」
「うむ。そして麾下の部隊は中央を固める。元帥閣下の増援が来るまで敵の突破を許さずここを死守。増援部隊と同調して敵を挟撃して殲滅。可能であればそのままトルンに向かう!」
クレツキはそう叫び、すぐに実行した。
伝令を走らせ、陣形を組んで舞台を整える。そしてそれが済んだ直後、即ち14時00分。
「閣下、敵陣上空に魔術発動光確認!」
「麾下総員、敵の突撃に備えよ! 攻撃後に来るぞ!」
クレツキ少将の考えは命中した。
上級魔術による事前攻撃によって陣形を崩したところに、歩兵を前進させる。綺麗に横一列に並んだ兵はたとえ叛乱軍であっても勇ましく見えるだろう。
この時、余裕で以って戦場を観察できたのは、クレツキ少将は自らが「優勢にある」と強く信じたからである。
無論それは根拠のない盲信ではない。戦力的は絶対的に優勢で、師団の後ろにはラクス元帥がいる。負けるはずなどないのだ。
「敵は陣地から出た。教科書通りに対処すれば恐るるに足らん。魔術兵、敵歩兵隊に攻撃開始!」
防御陣地という絶好の地形効果を放棄した歩兵というものは、この時代から既に的でしかなかった。上級魔術兵の攻撃によって一隊、また一隊と戦力がすり減る。
さらにそこでクレツキ師団歩兵隊が中級魔術攻撃を開始。目に見える弾幕と、降り注ぐ上級魔術の雨に耐えられる程王女派軍兵士の肉体は強くない。
だが王女派軍兵士は諦めずに前進する。
途中から駆け足で突撃し、後続の部隊も加速する。中級魔術の応酬の中、果敢に、そして無謀に王女派軍はひたすらに前進する。
「……奴ら、気が狂ったのか?」
クレツキ少将がそう評したのも無理はない。
陣地に立て籠もっていたのは、なにも王女派軍だけじゃないからだ。
「しかし敵戦力が三万ということであればここで突破されるわけにはいかんな」
「はい、見た所敵の先鋒は一万。後続に二万いると考えると、悠長なことは言えません」
「とは言えこちらも余裕があるわけじゃないな……」
彼は悩み、決断する。
「騎兵連隊に連絡。少々危険だが、敵の右側面を襲って攪乱させる。第一梯隊が壊乱状態となれば、第二梯隊も混乱するだろう。やってみる価値はある」
「ハッ、直ちに!」
クレツキ少将の指示に、なにか特段変わった指示があったわけではなかった。
ラクス元帥の薫陶篤い指揮官らしい、慎重で基本に忠実、しかし時に大胆な指示を出す。
師団麾下の騎兵連隊は王女派軍突撃部隊右側面を強襲。王女派による熾烈な上級魔術攻撃をものともせずに突っ込み、それを前に王女派軍はクレツキ少将のもくろみ通りに潰走状態に入る。
「よし、この機を逃すな! 歩兵隊前進、戦果を拡張するぞ!」
結果、クレツキ師団は予備戦力到達前に王女派軍を後退させることに成功したのである。しかし予備戦力が到達する前だったからこそ、追撃の為の戦力が足りずに途中で阻止されてしまった。
この日、王女派軍は3000余名の戦傷及び捕虜を出すという大損害を受けたのである。
14時50分。
やや遅れて、クレツキ師団の元にラクス元帥が直接率いる予備戦力が到着。その時には既に掃討戦は終了していたため、ラクス軍団にはやることがなかった。
だがその指揮官であるラクス元帥には、仕事があったのである。
それは、ある戦利品を見てもらうために。
「私には判断がつきませんでした。閣下に見てもらおうかと……」
クレツキ少将がそう言って見せたのは、誰もが驚愕する予想外のものだった。
「……これは……『作戦命令書』だと!?」
感情の起伏が激しいとは言えないラクス元帥が、それほどまでに動揺したほどに、意外な物だったのだ。
それは元帥の言った通り作戦命令書、しかも王女派軍の将官級の人間が持っていなければならないほどの重要なものである。
命令書の中身は、要約すると以下の通り。
『
シレジア王国軍作戦命令書 第546番命令
目的:トルン包囲中の大公派軍の撃滅。
ヨギヘス中将指揮する3個師団を主攻とした攻撃を左翼において開始する。
その際、主攻を援護する目的として右翼1個師団と増援2個師団で以って陽動攻撃を3月21日14時の時点で実施する。指揮は、総司令官ローゼンシュトック大将が行う。
予備戦力が移動したことを確認した後、左翼から攻撃を開始する。
右翼陽動に失敗した場合、次善の策として2個騎兵連隊を迂回させてリーバック橋渡河地点で陽動作戦を実施する。敵の予備戦力に注視して、主攻を開始する。
ローゼンシュトック大将が負傷した場合、右翼の指揮権はベルナツキ少将に、左翼及び全体の指揮権はヨギヘス中将に委ねる。
時間と連携が命である。諸君らの健闘を祈る。
総司令官:ヤン・マレク・ローゼンシュトック王国軍大将 』
その作戦命令書を一読したラクス元帥は笑みを浮かべる。
「大当たり、ということか?」
「はい。しかしこのような大事な命令書を落とすなんて考えられません。罠と言う可能性はありませんか?」
「確かにそうだな。その可能性を憂慮すべきだろう。捕虜に対する尋問をすべきだ」
慎重なラクス元帥は、この作戦命令書の真偽をまず疑った。
署名は本物であるし、作戦命令書の通り3月21日14時丁度に敵の攻勢があった。しかも稚拙な攻勢で、今にして思えば「陽動」だったのではないか、と。
しかしそれでも彼は念には念を押し、今回の戦いで捕虜となった士官を取り調べた。
すると、士官から返ってきた言葉は彼らの望みどおりだったかもしれない。
つまり「作戦命令書は本物である」と言う言葉である。
「……嘘をついている可能性は?」
「長く黙秘していましたが、本当のことを話せば我が軍の士官にしてやるという条件を出したところ、すぐに吐きました。私の経験から言えば、ほぼ間違いなく彼は本当のことを言っています」
と、尋問担当の情報参謀からの言葉。
さらに彼は追加し、どうやら士官になったばかりの新兵であるらしく、尋問時における対処法などの訓練を受けていないようだ、とも話した。
長くその手の仕事をしていた彼がそう言うのであれば、まず間違いない事はラクス元帥にもわかっていた。
さらにそこで斥候から情報が入り、敵左翼の動きが活発になったという。
この情報がトドメだった。
敵左翼は主攻であるという、作戦命令書の真偽がまさに証明されたのだから。
「では、拾得した敵の作戦命令書は本物であると断定する」
「……となると、閣下の軍団が左翼に居るのは危険ですね」
「その通りだ。我が軍団は直ちに右翼に移動。敵の攻勢を阻止する!」
ラクス元帥は即応可能な師団を先行させて右翼に移動する。そして右翼に到着したところ、まだ構成前であった。
自分がここにいることを知らずに王女派軍が攻撃してきたら、カウンターで撃滅できる。そうでなくとも予備戦力が右翼に居ることを知った王女派軍は攻勢を止めて手詰まりになる。
どうあがいてもラクス元帥が有利だった。
そしてこの日、王女派軍左翼からの攻勢はなかった。
……そう。「この日」は。
「彼らが命令書に従えば、明日は渡河を試みるか……。ライゼルスキ少将に連絡。警戒を厳に! それと念のためだ。1個旅団を増援に向かわせろ!」
「ハッ!」
ラクス元帥は拾った作戦書を片手に敵の先手を打つ。
しかしそれこそが、ある男の手のひらの上だったことに、ラクス元帥はまだ気付いていなかった。
「――計画通り」
その男は、悪魔的な笑みを浮かべていた。




