十日間の戦い ‐4日目 膠着状態‐
3月17日の夜。
サラが帰ってきてから暫くの頃。
「ユゼフさん、どうですか?」
エミリア殿下が、慰労を兼ねて前線に視察しに来た。
と言ってもトルン自体が戦場であることには変わりなく、後方にいたとしても危険極まる行為である。だから「領都に戻ってください」と進言してみたものの、殿下には断られてしまった。
曰く、
「トルンで私に害が及ぶほど危険な状況となれば、それはもうユゼフさんたちが危険な状態であるということ。そしてそれは王女派軍が壊滅的な状況にあるということ。であれば、後方に下がっていても同じことではないかと思ったのです」
ということである。確かにここの軍隊が敗れれば、領都オルシュティンにいる師団だけでは最早何もできない。王女派軍のほぼ全軍がトルンに立て籠もっているのだから。
そういうわけで俺は納得したのだが、別の見解を持つ人がいた。
「本当は寂しいだけだと思うわ」
と、サラ。
「なんだかんだ言って私たちはずっと前から5人一緒だったし、これからもそうなのよ。エミリアの勝手な我が儘だとは思うけど……でも、エミリアって案外寂しがり屋だしね」
「そういうもん?」
「そういうもんよ」
まぁ、殿下のことに関してはマヤさん以上にサラの方が詳しい。女の子同士、ここはサラの言葉を信じるべきであろう。
てなわけで、後方に下がるよう提言するのはやめた。
「芳しくありませんね。こう言ってしまうのはダメなんでしょうけど、あと少し戦力があれば……」
「絶対的な戦力が足りない、というのはいつものことでしょう?」
「そうなんですけどね」
えぇ、全くもってその通りで。
戦力優勢を利用して普通にゴリ押ししたい人生だった。
「ユゼフさん、士官学校で言ってましたもんね。数の差が戦力の圧倒的な差であると」
「はい。それは古今東西、時代が変わっても変わらぬ戦場の真理です」
戦争は時間と共に複雑化しても、単純な原則はいつまで経っても変わらないものだ。
「でもユゼフさん。サラさんみたいな方たちを見ても、同じこと言えます?」
「い、いえ……」
殿下が、俯く俺の顔を覗き込むような形で尋ねてきた。ちょっと顔が近くて、慌てて顔を背けてしまった。そうしたら、エミリア殿下はおかしそうに笑ったのである。
「ふふっ。この反応、あの時のユゼフさんとは別人みたいです」
「……あの時」
「デートの時ですよ」
「あぁ……あれは、うん、ラデックから色々聞いて」
女の子をデートに誘ってどうデートすればいいですかと羞恥心を投げ捨てて聞いたのだ。だって国家存亡の危機だったから。
「だと思いました」
そしてやっぱり殿下はその違和感にちゃんと気付いたらしい。
デートで相手をちゃんと引っ張るなんて、やっぱり俺にはハードルが高い。ラデックあたりに任せた方が良い。
俺は大人しく相手に引き摺られます。その方が性に合ってます。探さないでください。
「でもそんなユゼフさん、素敵だと思います」
「そ、そうですかね?」
自分でもなんだが、結構クズ野郎なんじゃないかと思ってる。
「そうです。引き摺られながらもちゃんと優しく相手してあげるユゼフさんは、良い人です」
そうかな……。
男としては、こう「俺について来い!」と言いたいのだが。
「それはユゼフさんには似合いませんね。大人しく引き摺られてください」
「なんと辛辣な……」
結構泣きそう。
しかしそんな時、殿下が優しく語りかけてきた。お母さんか、お姉さんみたいに。
「でもユゼフさんの言う通りかもしません」
「……はい?」
なぜか殿下の見解が数秒で180度変わったことに、思わず素っ頓狂な声を挙げてしまった。
「今のユゼフさんは、引き摺られてます」
「え? えぇ、まぁ、サラやフィーネさんにはかなり引きずり回されて――」
「そちらではなく、あちらにですよ」
そう言って殿下は、その小さな手の指で示した。指の先にあるのは戦線正面、そしてもっとその先にあるのは敵軍。
「今のユゼフさん、引き摺られてて、ちょっと格好悪いです。そしてその格好悪いユゼフさんは、私の知るユゼフさんじゃありません」
「…………」
「ユゼフさんはこういう時、もっと大胆な方でしたよ。『あの時』みたいに」
殿下の言うあの時がいつのことかはわからなかった。
でも、脳内には今までの経験がフラッシュアニメのように連続で映し出される。だから殿下の言わんとしていることは理解できた。
「私は、大胆なユゼフさんが大好きです。だから今のユゼフさん、ちょっと嫌いです」
……なるほど。
殿下に嫌われるようじゃ、今まで何の為に頑張っていたのかわからなくなるな。
「……エミリア殿下」
「はい」
「殿下は、総司令官ですよね」
「名目上は、ですけどね。それが何か?」
「その名目を使って、命令を下して欲しいのです」
「その命令とは?」
殿下に嫌われないように、そして勝つために大胆な決断をしようじゃないか。
「領都オルシュティンにいる戦力を、可能な限りこちらに来させてください。距離がありますが、出来るだけ早く」
「……ふふっ。わかりました」
殿下は深く聞かなかった。
意味が分かっているのか、あるいは俺の大胆な決断を信頼しているのかわからない。
でも、殿下は快く了承してくれた。
「――それともうひとつあるのですが」
「なんですか?」
「……その」
ちょっと恥ずかしくて言いにくいことだけど、思い切って言ってみた。出来る限り、笑って。
「…………ありがとうございます」
俺がそう言ったら、殿下は少し意外な表情をした後、
「私も、ユゼフさんには感謝していますよ。『ありがとう』だけでは、言い表せない程に」
とびっきりの笑顔で、そう言ったのだ。
やっぱりエミリア殿下は笑顔が素敵な方だ。そう再認識するに足る、美しい笑顔だった。
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3月18日。
右翼ライゼルスキ軍団所属のワイダ准将の旅団が、昨日迂回起動をしようとして失敗したという報告を受けても、ラクス元帥は怒ったりはしなかった。
むしろ、かすかな喜びを覚えていた。
「やはりヨギヘスの若造は抜け目がないな。それともローゼンシュトックの方かな……?」
元帥の予想は間違っていた。ヨギヘス中将でもローゼンシュトック大将でもなく、一介の作戦参謀が立てた作戦に類稀なる才能を持つ騎兵連隊が猛威を奮っただけであるから。
そこにさらに続報が加わる。それも2つ。
ひとつはワイダ准将からの詳細な報告。
敵叛乱軍は戦力を増強させている可能性あり、というものだ。
ラクス元帥は、その報告をワイダ准将が見た「戦場の霧」だと直感した。しかし慎重な彼は、だからと言って無視できる情報でもないとして頭の中で考慮する必要が出ていた。
「作戦を少し修正する必要がありそうだな」
「右翼を増強しますか?」
「……いや、戦線正面を突破する可能性も捨てきれない。本隊は予備戦力として後方待機、ライゼルスキ軍団は敵の渡河を妨害するように布陣しろ、と伝えてくれ」
「畏まりました」
この決定により、トルンが完全に包囲される危険性はかなり低くなった。それは王女派軍にとっては補給線が問題なく確保できるということであり、自然と長期戦となることを意味していた。
だがその長期戦を打ち破れるかもしれない打開策が、ラクス元帥の下にもたらされたのが、2つ目の報告だったのである。
「――元帥閣下、フロティ少将から連絡が来ています」
この報告と共に、降着した戦線は再び大きく胎動する。




