十日間の戦い ‐2日目 攻城戦‐
夜。それは寝る時間。
ただし、軍人は除く。特に工兵隊。
「敵はすぐにでも都市に攻勢を仕掛けてくるかもしれん! 陣地の構築を急がせろ!」
「敵軍の勢力は思ったよりも強大だ。既存の陣地は役に立たんぞ!」
篝火と月明かりを頼りに、工兵隊は陣地を築く。
しかも敵に察知されて妨害されないよう、都市部の最外縁部ではなくやや内側に。
トルンの王女派防御陣地は、大公派軍の攻勢が察知された時点で構築されたものである。しかしその時は敵の規模が不明で、かつ野戦において全く戦果を出せないことが想定外であったために、防御力が不足していたのである。
「勝ちに慣れ過ぎて成功前程で作戦組んでしまった俺の責任かな……」
と、ユゼフが呟きつつ、彼はやるべきことをする。
ラスキノ独立戦争においても彼は少ない戦力で大軍で迫る帝国軍から町を守り抜いた。その経験を生かして、ユゼフは町の陣地構築を急がせる。
だが、一夜の突貫作業はかなり多くの制約が付きまとう。そのことを、補給担当のラデックが伝えてきた。
「おいユゼフ、陣地構築用の資材が足りないぞ」
「どうにか調達できない?」
「無理言うな。煉瓦も材木も足りないし、何より人手も足りないぞ」
既に陣地が構築されているとはいえ、日暮れから翌朝までの短い間にさらに陣地を強化して完璧な防御とするのは無理がある。資材と人手の不足が、まさにそれ。
「……あまりやりたくないけど、市民にも手伝ってもらうしかない。雑用くらいなら何とかなるはずだ。足りない資材は建物を上級魔術なりなんなりで破壊して、その残骸を利用するんだ」
「そこまでやるか」
「そこまでやらないと陣地が出来ないよ」
ユゼフはそう言い切り、工兵隊や魔術兵隊に指示を出してそれをすぐさま実行させる。どうせ都市部に突入されれば破壊される建物だからと割り切って。
しかしそれでも、まだ足りないものがある。
「中佐。時間が足りません。いくつかの地点の陣地は未完成となるでしょう」
「……地図見せて」
ユゼフと工兵隊長がトルン市内の地図を眺め、陣地の構築状況を確認する。工兵隊長曰く、西よりの地点の陣地が未完成でそこが脆弱となるという。完全なる防御を求めるのであればここも補強したいが、時間が足りない。
「他の陣地を構築していた要員は、今何を?」
「余裕があるものは未完成地点の陣地構築をさせていますが……」
朝日はもうすぐそこまで来ている、だから間に合わないと言いかけたところで、ユゼフが工兵隊長意外な指示を出した。
「わかりました。では、それを中断して構いません。朝も近いですから、ゆっくり休んで」
「……は?」
「一晩中陣地構築は疲れたでしょう? どうせ完成しないのなら、戦いに備えて休んでください」
ユゼフはいい笑顔で、そう言った。
無論、その笑顔には裏があった。
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明けて3月16日の9時50分。
大公派軍トルン攻略軍総司令官、ジグムント・ラクス元帥がトルン総攻撃の指令を出した。
「敵の態勢が整う前に一気に方を付ける! 魔術兵隊、準備攻撃開始!」
その命令は、慎重なラクス元帥らしいものだった。
凡将であれば、優勢な戦力であることを殊更に利用して歩兵と騎兵の突撃でもって陣地を攻略しようとしただろう。一夜漬けで構築された陣地など、敵ではないと考えたはずだ。
しかしラクス元帥はそれをしなかった。潤沢な上級魔術攻撃でもって敵の防御力をできるだけ削り取ってから、歩兵や騎兵を突入させるのである。数に物を言わせた魔術攻勢は、王女派軍の諸将の肝を冷やすとともに、今回の敵が並々ならぬ相手であることを理解させた。
「仮にも同じシレジアの都市で、同じ臣民の都市……それを簡単に、容赦なく攻撃をくわえてくるとはな……。それでいて、適確で慎重な事前攻撃。嫌な相手だ」
「さすがはラクス元帥だよ」
そう評したのは、タルノフスキ准将とヨギヘス中将だった。それだけに、敵として戦わねばならないことに心底彼らは悲観していた。
優秀なシレジアの将軍を相手に戦わなければならないのだから。
「とにかく、この攻撃は耐えるしかない。じきに敵の歩兵隊の突撃があるだろうから、それまで統制を保つように。予備戦力であるローゼンシュトック軍団との連絡は常に密に取って」
「わかってる」
だがそれこそ、至難の業である。
上級魔術「火神弾」の猛火は、確実に王女派の戦力と士気を削り、指揮系統を混乱させる。いくつかの建物が倒壊し、それに兵が巻き込まれ医務科が奔走する。
「治癒魔術は軽傷者を優先! 重傷者は死なない程度に治療した後に後送して! まだまだけが人は出るんだから!」
医務科所属でサラの親友であるイアダは、不足する医療兵と増加する負傷者を手早くさばきながら出来るだけ多くの命を救い、前線の兵の数を維持する。
優先すべきは兵の数と、指揮系統の維持。その考えは前線にて医療に携わる者の頭にも染み込んでいて、彼女は無常に命を選択する。
助かる見込みのない者は、死んでないだけで既に死人として扱う。それが、イアダの戦いである。
「けど……絶対助けるから……!」
イアダはそう誓いながら、適確に、そして素早く、負傷者を治療していく。彼らにはトルンに舞い降りた天使だと認識され、それが戦場伝説となって国内に広まるのだが、それはまだ未来の話である。
彼ら王女派軍に必要なのは神でも天使でもない。勝機だ。
数時間に亘って続いた準備攻撃は、12時10分になって終了する。魔術兵隊の攻撃に、目立った戦果が確認できなくなった時点で、ラクス元帥が攻勢を指示したのである。
「前進!」
単純で、しかしとても達成困難な命令。なぜなら王女派軍の陣地は、一夜漬けというレベルを超えた完成度であったから。
30分も経たずして、前線の部隊からの悲鳴のような声がラクス元帥の元に届けられる。
「第55歩兵連隊、敵の激しい抵抗に遭い撤退!」
「第305騎兵大隊も損害が大きく、敵陣を突破できません!」
その報告の前に、ラクス元帥は攻勢を諦める……ということはしなかった。かわりに彼がやったのは、全ての報告を頭の中で精査し、分析し、偵察を兼ねた小規模な攻撃を仕掛けて敵の陣地を把握する。
そして気づいた。
ラクス軍団から見て左翼、西側の防御陣地が薄く未完成であることを。注意深く観察せねばわからないようなレベルだったが、彼はそれを見つけた。
「やはり、一夜ではどうにもならなかった、ということでしょうか?」
「恐らくな。なれば我々のやることは単純……。コップ准将に連絡。麾下の旅団を率いて左翼からトルン守備隊を攻撃、陣地を突破せよ。ライゼルスキ少将の師団は東側から陽動を兼ねた攻勢を行う。そちらは無理に突破しなくていい」
「ハッ、直ちに!」
都市攻略戦における強襲というのは、攻撃側の被害が甚大になるために最も忌避すべき選択とされる。しかしラクス元帥はこの時、大公や他の貴族からの無言の圧力にさらされており、攻囲戦を黙々と続けられる状況ではなかった。
だからこそ、彼は少しでも被害が少なく、かつ短期間で決着がつくようにあらゆる手を模索していたのだ。
「アグノン大佐の連隊が敵陣地を突破! 続いて、カルウォーヴィチ大佐の連隊も突入します!」
「よし。突破した箇所の傷口を広げて一気に畳み掛ける。クレツキ少将の師団に支援させろ!」
「ハッ!」
大公派軍コップ准将の旅団、4300名がトルン市街に突入に成功。続いてクレツキ少将の師団1万がこれを支援。未完成な陣地はその大攻勢を受け止められる程に強固ではなく、王女派軍は防衛線を突破されて各個撃破の危機に陥る――、
「わけないよなぁ!」
と、思われていた。
その陣地が未完成であることなど、王女派軍はよく知っていたからであり、ユゼフ・ワレサという人間ほどその「利点」を理解していた人物はいない。
「作戦を開始します。ラデック、後方の魔術兵隊にその旨を連絡してくれ」
「おう」
「頼むよ。マヤさん、ここが正念場です。増援を率いて敵の市街侵攻を7番通りの線までで食い止めてください」
「任せておけ!」
マヤは、この時エミリアの傍にいなかった。
すでにエミリアは単なる王女ではない。王女派軍の名の通り、象徴的な存在なのだ。ホイホイと戦場に出れる状況ではない。
故にエミリアは、戦いが始まる前にマヤに告げたのだ。
「マヤ・クラクフスカ。貴女を、現時刻を以って侍従武官としての任を解きます」
「――殿下!」
告げられた唐突な言葉に困惑するマヤを、エミリアは微笑みながら手で制して、言葉を紡ぐ。
「代わって命じます。――私の愛する人たちを助けてあげてください」
「……!」
エミリアが、彼女が愛した者達の名などわかりきっている。
しかしその者を守りたいと思っても、エミリアにはもうできない。少なくとも今は出来ない。だからこそ、最も信頼する親友にそれを託した。
「謹んで、拝命致します!」
マヤはその命令を最敬礼で以って応えた。
14時40分。
大公派軍コップ准将の部隊が都市部へ突入を開始。マヤ率いる歩兵大隊の増援を得た王女派軍がこれを迎え撃つも、戦力差は絶大だった。
この時王女派軍は、町の東側からも攻撃を受けていた。つまり物量に押しつぶされる限界にまで来ており、その守りが崩れるのは時間の問題だった。
「押し続けろ! 敵は無限に兵力を生み出しているわけではない! すぐに限界が来るぞ!」
准将はそう考えて、無理をせず着実に前進する。
兵力差が生かしづらく統制のとりにくい市街地であっても、彼の指揮は正確だった。路地裏に細心の注意を払ってゲリラ戦を警戒。剣兵を散らばらせて周囲の警戒に当たらせる。その慎重な警戒網のおかげか、王女派軍が脇道から襲い掛かることはなかった。
というより、する必要がなかった。
「閣下、前方に上級魔術発動光!」
「何!?」
彼が気付いた時には、遅かった。
巨大な火の玉が、彼の指揮する部隊周囲に着弾する。とはいえ建物が立ち並び死角の多い市街地で、上級魔術は最大の効果を発揮できない。
「やぶれかぶれの攻撃と見た。怯まず前進!」
最前線のコップ准将はそう叫ぶが、それは見当違いも良い所。やぶれかぶれではなく、理論立てて構築された作戦であるから。
彼らが攻撃を無視してさらに前進しようとした時、それが起きた。
何かが軋む音だ、と理解したときには遅かった。
「なっ――!?」
コップ准将が今生最後の光景、自軍が進軍する脇に聳え立っていた教会の塔が自分目がけて倒壊する様子だった。
悲鳴を上げる暇も、ましてや命令を出す暇もない。
兵達が理解した時には、全てが終わっていた。
「教会が崩れたぞ!」
「叛乱軍の奴ら、なんてことを――!」
「閣下はどこだ!?」
防備が弱いとされた陣地を突破し、突破力をそのまままに市街奥深くにまで引き摺り込んだ後、上級魔術攻撃によって建物を破壊する。教会を含め、崩壊した建物は即席の防御陣地にして敵の退路を塞ぐ障害となった。
指揮系統を寸断され、事情が呑み込めない後方のクレツキ師団が気付く前に、王女派軍は一転して反撃に出る。
「突撃! 一人残らずトルンから追い出すんだ!」
マヤ・クラクフスカが陣頭に立ち、兵が鬨の声を挙げる。迫りくる叛乱軍、即ち王女派軍の波のような攻撃を前に、混乱した大公派軍元コップ旅団は為す術がない。逃げようにも、倒壊した建物が行方を阻んでいる。
クレツキ少将が事実を把握した時には既に遅く、コップ旅団は准将以下2500名の損害を受けて惨めに敗走した。潰走し統制のとれない兵を前にして、クレツキ師団の兵達も動揺し、彼は第二次攻勢を諦めざるを得なかった。
東側の攻勢も、しっかりとした防御陣地が築かれていたため損害が拡大。ラクス元帥はこの日の強襲を中止を決定する。
「やっぱり怪獣をも足止めするビル倒壊は効果は抜群だな!」
と、作戦立案者は意味不明なことを言って満足そうに笑ったと言う。
「……ねぇユゼフ。私の出番は?」
「サラの出番はもうないよ」
「ぶー……」
そして騎兵隊のサラ・マリノフスカは、出番もないまま夕刻を迎えた。
トルン攻防戦2日目、大公派軍はコップ准将の旅団に壊滅的なダメージを負うなど散々な結果を残した。王女派軍もまったく無傷と言うわけではなかったが、損害が戦果を上回った。
この戦いは長くなるだろう。
両軍諸将は肌で、そう感じていた。




