前触れ
大陸暦639年3月9日。
シレジア王国王都シロンスクの郊外。
そこには、数万の軍勢が列をなしていた。
大公派の軍隊、通称「大公派軍」、自称「シレジア正統軍」は一路東を目指す。
旅の目的地は、シレジア中央部、ヴィストゥラ川沿いに立つ都市トルン。
叛乱軍、もとい王女派軍によって占拠されたその都市を取り返すために、彼らは軍靴を鳴らして大地を進む。
その大規模な軍隊を率いるのは、かつてシレジア=カールスバート戦争やラスキノ独立戦争、春戦争等で武勲を上げ、そして内戦勃発時には大公派に拘束されていたはずのジグムント・ラクス元帥であった。
「……よもや、私が王女殿下を叛乱軍の首領と呼ばねばならない日が来るとはな」
「閣下?」
「……なんでもない、独り言だ」
中立派の将軍として、そして王都にいる最も実績人望溢れる人物として名の知れたラクス元帥は、数万の友軍に囲まれながらも孤立していた。
その理由は簡単である。
彼は内戦など望んでいなかったし、内戦において同国人同士で戦うことも嫌っていた。大公からの再三にわたって「忠誠を誓え」という言葉にも曖昧な返事しかしなかった。
だが有能な将官が目の前に居ながら、黙って隠居を見過ごしてやるほど大公派に余裕があるわけでもなかった。
王女派が新兵の訓練や対外工作をしている頃、大公派が何もしてこなかったわけはない。
大公はまず、ラクス元帥の部下で彼と心同じくして中立を選んだ者達を密かに取り込んだ。金、女、領地、地位、ありとあらゆるものを駆使して彼の部下を取り込んだ。
そして彼らにラクス元帥の説得をさせたのである。
当然、突然の部下の心変わりにラクス元帥は当惑し疑ったものの、さらに彼の下には続報が入る。
彼の故郷がある貴族領が、大公派に恭順したという報告だった。
故郷が大公派に与したということは、故郷が王女派によって蹂躙される可能性もあったと言うことである。しかもまずいことに、その貴族領は王女派の領地と接していた。
部下の説得と、故郷の危機の間に挟まれて、ラクス元帥は自分の心を優先すべきか、それを投げ捨てて大公に忠誠を誓うかで迷い……そして彼は後者を選んだ。
「――殿下に忠誠を誓います」
「貴官がいれば百人力だ、元帥」
こうしてラクス元帥は、シレジア正統軍総司令官という職責に加えて伯爵という地位も手に入れ、さらには正統軍の軍勢10万を指揮する人物となったのである。
彼に与えられた最初の任務は、昨年王女派に占拠されたトルンを奪還して、ヴィストゥラ川の水上航行権を確立することである。
「ラクス元帥。貴官に我が正統軍の主力、7万を与える。なんとしてもトルンを攻略するのだ。具体的な方法は貴官に委ねる」
「承知致しました。必ずや、殿下のご期待に沿えるよう全力で奮闘する次第でございます」
「……頼むぞ」
ラクス元帥は、その懇願するような大公の声を聞いて、この軍隊の行先に不安を覚えた。
果たして、優勢なのは敵なのか、味方なのか。
そのような経緯があって、彼は愛馬に跨り東を行く。
大公派に対する疑問と不安は心の中であふれかえっているが、しかし彼は一度決めた道を再び外れるようなことはしない。軍人として、それは許されない。
ラクス元帥の心境はともかくとして、頭の中で彼はトルン攻略のための道筋を描く。
彼は、慎重な男だ。
あらゆる策を考察して頭に描く。元帥は作戦会議の席で多くの者に意見を求め、頭の中で様々な状況を思い描いてそれを作戦にする。
その会議で、彼の頭の中でふとした提案を思いつく。その提案は懐に仕舞うことなく、会議参加者全員に意見を求めた。
それは事前の準備が必要で、かつ総司令官である自分でさえも権限が及ばぬ提案でもあった。作戦会議にて「大公殿下の許可が下りれば賛成である」という条件が出されると、彼は、大公に再び会って上申する。
そして大公からの回答は、
「――私に軍事はわからぬ。だが、君のような有能な男がそれを必要としているのならそれが最善手ということだろう。よかろう、許可する」
だった。
ラクス元帥は慎重な男だ。
そしてシレジア王国において一、二を争う有能な将軍だ。
その認識は、敵味方問わずこの戦争を生き抜いた者の評価であり、後世の歴史家の殆どが同意するだろう事実である。
そして大陸暦639年3月14日の午後。
ジグムント・ラクス元帥率いる軍勢7万は、ついに目的地と、討つべき敵を見る。
「――兵に休息を取らせよ。明日から休む暇はないかもしれん」
「ハッ!」
後世「十日間の戦い」と言われた、シレジア内戦最大の戦いが静かに幕を開けた。
ちょっと大規模な戦いになるので更新が遅れます。ごめんなさいまし
 




