女帝「ラーレ」
「この国は寒いな」
キリス第二帝国の皇帝メリナ・アナトリコン。
年齢は14、肌は褐色、髪色は黒。敗戦後に擁立された皇帝であり、妾の子供で貴族の支援もなく、国内の改革の為に人柱にされた女性である。
「えぇ。これでもまだ温かくなった方なのですが」
「それでこの寒さとは、畑を耕す民衆はさぞ大変だ。キリスはこの時期でも野に花が咲くのに」
「あぁ、それは是非一度見てみたいものですね」
「……私も同年代の女性が我が帝国に来るのであれば、精一杯の歓待をする。叡智宮の中庭に咲くラーレの花がとても綺麗だから」
そんな彼女が今、エミリア殿下と会談している。
話し方はたどたどしいが、身に纏っている雰囲気や所作、視線の動かし方は皇族のものだ。妾の子というからてっきりそういうのは苦手だと思っていたけれど……案外、だからこそなのかもしれない。
部屋にいるのは、俺と殿下、そしてメリナ陛下と付き人の女性1人。それだけだ。実は他にも両国共に数人いたのだが、メリナ陛下が会談の前にこう言ったのだ。
「悪いが、2人きりで話したい。私の存在も、他言無用に願いたい」
と。
尤もエミリア殿下が「保安上の問題から1人ずつ追加で配置したい」と申されたために俺もということになった。保安上の問題というのは殿下の嘘だろうが、向こうはそれを認めて今に至る。
「ラーレはキリスの国花だ。赤く情熱的で、まるで女性の唇のようだ……と、庭師は言っていた。私にはよくわからなかったが」
「私はまだラーレの花は見たことありませんので、是非間近で見てみたいものですね」
「そうか。王女は花が好きか。なら今度は種を持ってくるべきだったかな」
「ありがとうございます。私からはシレジアの国花であるパンジーを送らせていただきますね」
10代の女子が話す内容としては、花というのはなんとも普通である。前口上なのはわかるけど。あとシレジアの国花ってパンジーだったんだね。知らなかったわ。
うら若き女子にして王侯貴族の2人が花を話題に盛り上がる。まるで少女マンガのようではないか。よいよい。
「パンジーは好きだ。開花したとき、悲しむような怒るような恨むような顔が浮かぶ。それが平原一面に咲くのは、まるで戦いに悶え苦しむ臣民を表しているようだ。そうは思わないか、エミリア王女?」
あ、ちげーわ。この褐色ロリかなりやばいわ。
メリナ陛下のその言葉で、応接室はかなり雰囲気最悪になった。シレジアの国花をそんな風に評されたら、流石の殿下も眉を吊り上げる。
「あぁ、誤解しないでくれ王女。私は別に貴国や貴国の花を侮蔑するつもりはない」
「……では、どういう意味でしょうか?」
「簡単な話さ。パンジーの花をキリスに持ち帰って花を咲かせたら、私は恐らくパンジーに命を刈り取られてしまうだろう」
あぁ、そっちの意味ね。
キリス第二帝国は敗戦によって領土を大きく削られ皇帝家の威信は大きく低下した。臣民の恨み辛み哀しみ怒りの顔をしたパンジーを叡智宮に持ち帰るなんてできない、ということか。
そしてキリスは今、情勢がだいぶ悪化していると言うことでもある。民衆に命を刈り取られてしまうだろう、と陛下は言った。
でも、陛下はそんなパンジーの花が好きだと言う。
「愛情をこめて、手間をかけて育てた花は美しく咲きます。パンジーもまた同じです。パンジーの花は愛を導く媚薬にもなり得ると言いますし、育てる価値というのはあると思います」
「いい言葉だ。私も国のため、民衆のためと色々動いているのだが、な」
一息。
「努力がいつも実るとは限らぬ。そして努力して実ったところで、その途上で本来の目的を見失うこともある。青年ラーレは、恋する女の為に努力して、それに夢中になった結果女を失って崖から飛び降りた。庭に咲き誇る赤のラーレの花は『絶望の淵から飛び降りた自殺者の血飛沫』ということ。君主といえども、かくありうべし……と言えばいいかな」
14歳という身の上の癖に、妙に悟った物言いをする人だった。語る言葉はどれもこれも、40か50のおばさんが語る人生観に近いような気もする。
「それでも陛下は、努力なさるおつもりでしょう? キリスからシレジアまで、しかもオストマルクを経由しない旅をするほどには」
「……参ったな。ばれていたか」
「いいえ。知りませんでした。でも、少し推測すればわかります」
そう言ってから殿下は、俺の方をチラりと見た。
はい、私はわかりませんでした。ごめんなさい。
内戦中で情報網がズタズタのシレジアはともかく、情報省や外務省が機能しているオストマルクがお忍びとは言え皇帝であるメリナ陛下が国内にいれば、それを察知できないはずはないだろう。
となると結論はひとつ。
メリナ陛下はこっそり叡智宮を出て、オストマルクの手が伸びない東大陸帝国経由でここに来たと言うことだ。不倶戴天の敵であるとは言え、オストマルクを迂回するのはかなり大変だ。
それだけ、オストマルクは嫌われている。
まったく、誰のせいだろうね!! 申し訳ありません!!
「しかし、我が帝国はもう彼の国と事を構えるつもりはない。少なくとも、私が帝位についている時は」
メリナ陛下から出た言葉は俺にとって少し意外だった。
キリス第二帝国はオストマルクと表立って敵対するのをやめる、と。
「……それは、宥和の道を行くと言うことですか?」
「有り体に言えば、そうなる。我が皇帝家は代々オストマルクを敵としてきた。その硬直した外交政策が、今回の敗退を招いた……と考えた。だから私は、思い切ってここまで来た」
陛下のその言葉に、殿下が反応する。
王女派が今一番欲しい「外国からの支援」だ。
「私たちを支援する、と?」
「そういうことだ。我が国は戦争をしている暇はないが、戦争をしている国を支援することは可能だ。そして王女はオストマルク派。私と王女が友誼を交わせば、王女を仲介人として二つの帝国は手を結べると言うわけさ」
「迂遠な方法ですね」
「正面玄関から入出しようとしても上手くいかないだろうから――と言うより、上手くいかなかったのだがな」
メリナ陛下の顔から察するに、彼女は嘘を言っていない。自分の思うことを全て言い切ったような顔をしていた。
オストマルクは、少女とも言うべき新皇帝を重要視しなかったと言うことだろう。確かに普通に考えれば、面倒事を押し付けたようにしか見えないものな。でも歴史というのは恐ろしく、捨て駒とか人柱にされた人物ほど優秀だったりするのだ。
「興味深い話です。しかし、それが上手くいきますか? 私にそれほどの力はないかもしれませんよ?」
エミリア殿下が少し意地の悪い問いをする。
それに対するメリナ陛下は、微笑みを伴って返した。
「であれば、私に人を見る目や国を動かす器量がなかったというだけのこと。その時はいっそのこと、ラーレの花になろうともさ」
これもまた、嘘をついてないような目をしていた。
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休憩と称した、殿下と俺の話し合いが始まる。本来であればフィーネさんやマヤさんも交えるべきなのだが、それはあえてしなかった。
メリナ陛下がオストマルクを警戒しているのならば、こちらも情報を必要最低限の者にしか伝えないようにする。
「で、ユゼフさんはどう思いましたか?」
「……まぁ。確実に言えることはひとつあります」
「なんです?」
「はい。メリナ陛下は政治家向きではありませんね」
俺が言えた話ではないが、彼女は思ってることを全て話してくれた。しかも花の比喩を除けばかなり直球勝負だったのだ。
腹の探り合いはないし、正直だし、国益優先ということでもない。有利な条件を引き摺り出すための交渉もない。そんな彼女が当初1対1で話し合いをしようとしていたのだ。14歳という年齢を考えれば仕方のない事だろうが、それでも、という奴である。
「なるほど。それは私も思いましたが――しかし重要ではありません。彼女は、メリナ陛下は信用できます」
「……そうですね」
政治家向きの人間ではないが、信用に値する人間だった。
単にそれだけだが、それ以上求めるものはない、とエミリア殿下は暗に言ったのだ。
「キリスからの支援、受けない理由は見当たりません」




