王女の演説
大陸暦639年1月3日。トルンにある小さな教会にて。
「むむ、無理です無理です! こんな大勢だなんて聞いてませんよユゼフさん!」
「いやー、これほど集まるなんて私も予想外の外だったので……」
「嘘を言わないでください!」
エミリア殿下は舞台袖でめっちゃ緊張していた。
見てて面白いとか癒されるとか不敬なことは当然表には出さないが「あぁいつもの殿下が戻って来た……いやこれがいつもの姿だっけ?」と安心する次第である。
「まぁそんなに緊張することはありませんよ。大した意味もありませんし、歴史的な意義もこれっぽっちもありませんから」
「そ、そうなのです?」
「そうですよ? 王様だって、戴冠式を終えた瞬間に誰もが認める国王となるわけではないでしょう? 政策の実効性や貴族の賛同、なにより臣民からの忠誠を得て真に国王となる。今回の演説は明らかに前者、儀式みたいなもんです」
「……な、なるほど」
まぁ、嘘ですが。
「何か仰いましたか、ユゼフさん?」
「いえ『頑張ってください』と」
「余計緊張することを言わないでください。手が震えます」
そう言って殿下は俺の手を掴んで「ほら」と言いたげな目を向ける。
確かに殿下の手は震えているし冷たいし顔には血の気がないし……って、これ緊張のし過ぎで倒れるんじゃないか? いやだよ、演説中に無理をしてそのまま帰らぬ人になるっていうウィリアム・ハリソンみたいなことは。
「しかし顔面蒼白のまま演説台に立ったらダメですね」
「では緊張しないように解散を命じて……」
「教会の外にまで人がいるから無理ですって」
「なんでそんなにいるんですか!?」
エミリア殿下が公の場に現れるっていうのが初めてのことだからじゃないですかね。なんだかんだ言って今まで軍務公務の連続だったから。それにいつの時代でも民衆はお姫様というのは大好きだ。
でも現実問題としてあわあわしているエミリア殿下をこのまま演説台に連行するわけにはいかない。たぶん殿下の目には死刑執行台に見えることだろうな。
「じゃあこうしましょう。今教会には人はいません」
「で、でもさっきたくさんいるって」
「いません、いいですね?」
「えっ、あ、はい」
よし、洗脳完了。
「私やサラ、マヤさん、ラデックは教会の後ろの方で聞いています。殿下はそんな俺ら『だけ』に語りかけてください」
「ユゼフさんたち『だけ』に、ですか?」
「はい。私たちだけを見てください。他の、有象無象の人間たちは見なくていいです」
まぁ必要なら原稿も見ていいけど。
ちなみにフィーネさんはオストマルク帝国代表みたいな立場なので最前列で演説を聞く。いつの間にか受け取った勲章をぶら下げたフィーネさんの正装姿は妙にハマっていた。
まぁ、それはさておき。
「私たちに語りかける……いえ、私たちに対して普段通りに会話するだけでいいですよ」
演説が緊張するのはよくわかる。
大学のゼミの発表会や、企業での企画プレゼンだけでも緊張しすぎてトイレは満員御礼になるものだ。ていうか俺もそうだった。士官学校でもガチガチに緊張しながら戦略議論してたし。
人によって演説時の緊張の解し方は違う。
目を合わせるのが良いとか、冗談を言って自分含めて皆を笑わせるとか、人を犬と思えとか。俺の方法は、大学時代で実践した「演説(発表)をするのではなく、会話をする」という方法だ。
これが効果あるかは……まぁ、殿下次第かな?
「……わかりました。やってみます」
「頑張ってください……とは言いません。でも、笑顔でお願いします。殿下の笑顔は、皆が好きですし、見たことない人も皆殿下のことを好きになりますよ」
「――はい!」
そして教会の司祭の言葉によって、エミリア・シレジア第一王女初の演説が始まった。
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「――綺麗ね」
殿下の演説が始まって暫く経って、サラがそうぽつりと呟いた。
俺たちは教会の後ろの方に座っていてかなり距離があるが、殿下の生の声はよく聞こえる。無論、殿下の表情も。
「……あぁ、綺麗だ」
声が透き通っていて綺麗だとか、笑顔が綺麗だとか、そういうのではない。
表現しにくいが、ただ単純に「綺麗」なのだ。
上手く表現できない、自分の語彙力のなさに肩をすくめた。
「こうして聞いていると、やっぱりエミリアの傍にいたいという気持ちになるわ」
「わかるよ。殿下にはそういう力があるんだろう」
カリスマ性、という奴だろうか。
聞く人見る人、誰もが殿下の魅力に取りつかれる。理屈不要でそう思わせてしまう人間と言うのはどこの世界にでもいるものだ。
教会にいる誰もが、息を飲んで殿下の声を、姿を、所作を見ている。そのひとつひとつに、誰もが魅了されている。
「私、一生エミリアについていくわ。たとえエミリアが道を外れたとしても、ユゼフが『ダメ』って言っても、私はエミリアと一緒についていく」
そう言いつつ、サラは俺の手を握ってきた。
「奇遇だねサラ。俺も同じような気持ちだよ」
だから、俺もその手を握り返す。
『私が今日、この場に立っていられるのは――』
そこで、殿下と目が合った。
殿下が微笑んで、俺も笑みを返す。サラはとびっきりのドヤ顔を返した。感動もへったくれもなく、殿下が思わず一瞬目を丸くした。サラらしい反応であるけれども。
『私が今日、この場に立っていられるのは、掛け替えのない親友、一緒に肩を並べた戦友、見守ってくれた朋友、支えてくれた愛する人、私の愛した祖国と臣民のおかげです』
出てくる言葉は、感謝の言葉。
『そして私は、私と共に歩き、戦い、生きてくれた親愛なる仲間たちの未来ために、信じるものの為に戦い、命を捧げてくれた全ての兵の未来のために、そしてこの国を支え、この国を作りあげてくれた臣民たちの未来の為に、私、シレジア王国第一王女エミリア・シレジアは宣言いたします』
一息。
『ここに、シレジアの「未来」があることを』
未来の為の戦いが、未来を守る為の戦いがあることを告げる。
『あなた方に、神の御加護を』
演説が終わり、静寂が訪れ、そして次第に手を叩くものが現れる。というかサラだ。サクラである。でも問題ない。次に俺が手を叩いて、マヤさんが、ラデックが続いて、遥か前方でも手を叩く人がいて、皆がひとつになって、一瞬で万雷の拍手に変わる。
言葉は教会の外にまで広がり、歓声はトルン市街を駆け巡り、
エミリア殿下の言葉が、大陸中を駆け回った。
【ウィリアム・ハリソン】
アメリカ合衆国第9代大統領。寒い中就任演説をしたせいで風邪をこじらせ就任1ヶ月で無事死亡。米国史上最も任期が短かった大統領でたぶんこれからもない。「テカムセの呪い」の犠牲者第1号。
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次回から戦記に戻りそうですが、新作戦記執筆中で更新速度がちんたらしてますのでエミリア殿下のメイド姿を妄想しといてください。




