我が儘
気付けば、もう夕方です。
12月と言うこともあってかなり早い時間に日が没し始めました。既に東の空は暗く、西の空は赤みがかり、そして肌寒くなってきます。
寒さをしのぐために、私たちは一時的に近くにあった小さな教会に入りました。聖日だというのに教会は無人で、ガランとしています。
「……ユゼフさん」
私の声が、私たち以外誰もいない教会の中で微かに反響します。
「なんでしょう?」
「その……今日はありがとうございます。楽しかったです」
白い息を口から零しながら、本当のことを言いました。
楽しかったです。こんな状況でも楽しめることがあるのだと、自分でも驚きです。
でも、心の底からそう言えるかは話は別です。
「こんな楽しいことができることは、もうないんでしょうね……」
つい、そう言ってしまいました。
心の中にあった、微かな不安です。
もう、楽しかったあの日には戻れません。王宮で、士官学校で、楽しく過ごしていた日は既に過去のものになって、私は王女となり、そして今、何も持たないただの人間になった。
これから先、私は叛乱軍の王となるか、隣国の皇太子妃となるかしか残されていない。どちらを選んでも、過去には戻れない。
そうだ、そうなのだ。
これをずっと悩んでいたのだ。
「なら、ずっとそれを続ければいい」
なんでもない、そうすればいい。そんな風に、ユゼフさんは言います。
「そんな……無理ですよ。私は……」
「選択肢がなければ作ればいい。殿下が望むのであれば、全ての義務を放棄して遊んで暮らせばいい。きっと楽しいでしょう。それもまた人生ですよ?」
「なっ……」
あまりにも、あまりにも無責任な言葉に、私は言葉を失います。
確かにユゼフさんは妙なところで無責任な人です。でも、義務を放棄するような人でもありませんでした。やるべきことをやる人です。
そんな彼が、こんなことを言うなんて。
「私は王女ですよ、ユゼフさん」
「知ってますよ、エミリア〝殿下〟」
殊更、ユゼフさんはそれを強調します。皮肉めいた笑みと共に。
「ならわかるでしょう。私が王族である以上、私は王族の義務から逃げられないのだと」
「そんなことはありません。だって王族は殿下1人だけではありません。カロル大公とか、フランツ陛下がいらっしゃるじゃないですか。彼らに任せて、殿下は遊べばいい」
「そ、そんな無責任な事、できません!」
「おや、殿下がそんなことを言うなんて皮肉ですね」
確かにそうです。酷く矛盾した言葉でした。
現在進行形で義務を怠っている私が、そんなことを言う資格なんてあるはずもないのに。
「私は、この国を、民を守りたいんです。そのために何をすればいいか、ずっと考えてきたんです……」
言い訳です。醜い言い訳です。
でも私は、悩んでるんです。何が正しいのかわからず、ずっと悩んでいるんです。
「ではずっと悩んでいればいい。街を歩いてオシャレな喫茶店で食事をして、服屋でお気に入りの服を買って、適当にみんなと会話して『今日も一日なにも思いつかなかったわ』と悩みつつ床につけばいい。それが殿下の望んでいる事なのでしょう? ならそうすればいいです」
「……! ユゼフさん、まさか……!」
まさか、今日のデートは……!
「殿下自身が、そう言ったんですよ? 明日、どこ行きます? 三番街の方に良い店があるってラデック言ってましたし、そっち行きましょうか」
きっと楽しいですよ。
そう、悪魔が囁きました。
その言葉を聞いて、そんな悪魔の言葉を聞いて、
「――ふざけないでください!!」
私は、怒鳴りました。
精一杯の声で怒鳴りました。
こんな侮辱を受けたのは、生まれて初めてです。怒りがこみ上げてきました。
「私は、私はそんなことのために、生きているわけではありません!!」
楽しい思い出が、今日の楽しい記憶が、全てが台無しです。
「ではなんのために生きてるんです?」
「そんなの、決まっています。国のために、民のために……」
「しかし、王都にいるカロル大公とやらも立派に国のために民のために頑張っていますよ? おそらく、街中でデートしている殿下よりもずっと真面目に頑張っていると思いますが」
ユゼフさんは、いつだって正しい事を言います。
今日だって、正論を言います。
正論が、いつだって最上の価値を持っているとは限らないときでも、彼は正論を言います。
「確かにそうです。……でも、叔父様は、カロル大公は間違っています。あんな手段で、王座に居座るなんて、間違っています!」
「たかが王座です。誰が座っても同じでしょう。臣民にとっては王の名前なんてどうでもいいですし、王位に就く方法もまた然り」
「それでもカロル大公は間違っています。あの方は、民を守ると言いつつ、その逆のことをしている。シレジアを滅ぼし、帝国の属領となることを心から望んでいます!」
「それが間違ったこととは断言できませんね。大国の属領となって大国の威を借り栄華を享受することもまた選択のひとつ。どうせシレジアは遅かれ早かれ滅びるのですから」
「『どうせ滅びる』って……ユゼフさん、ずっとそんな風に思っていたのですか!?」
「思っていますよ。誰が滅ぼすかは知りませんけど」
カロル大公が滅ぼすのか、東大陸帝国皇帝セルゲイ・ロマノフが滅ぼすのか、それとも政治を放置した某国の王女によって滅ぼすのか知りません。とユゼフさんは続けました。
「どうせ滅びるのであれば、何やっても大差ないでしょう。殿下がオストマルクの皇子の嫁となり、我らシレジア叛乱軍は華々しく散り、カロル大公は反対派なき王国を帝国の属国とする。……あぁ、良い手ですね。国も民も守れました。殿下は皇子の寵愛を受け日々楽しく麗泉宮で過ごす。誰もが幸せな世界ですね」
うんうんと、わざとらしく頷きながら、彼は言います。
恐らく、彼の想像は当たっているのでしょう。ただ一点を除けば。
「そんなの……楽しいわけないじゃないですか!」
気付けば私は、泣いていました。泣き叫んでいました。
子供の様に、スカートの裾を掴んで、私は泣いているのか怒っているのかわからないような声をあげたのです。
「楽しいわけないです! 今までのことを何もかも投げ出して、何もかも見捨てて生きることなんて!」
シレジア叛乱軍は華々しく散る。
それは、私の愛した人たちが、私の大切なものが、歴史の中に消え去るということでもあって。
「そんな世界が、楽しいはずがないじゃないですか……!」
涙が、叫びが、心が、止まりません。私は無様な姿を晒し続けています。
「楽しくないからあれはだめ、楽しくないからこれもだめ。随分我が儘ですね?」
「……そうです。私はいつだって、我が儘な王女なんです」
思い返せば、私とユゼフさんが初めて出会ったあの日も、私は我が儘でした。
士官学校でも、私は我が儘な子でした。
卒業して、戦地に赴いても、私は頑固に意見を通しました。
なのになぜ今、私はこうも大人しくなっているのでしょう。
いつだって私は、我が儘な王女だったのに。
「私は、我が儘な王女です。だからこそ、私は私のしたいことをするのです」
「勝手過ぎますよ。いくらなんでも」
「平気です」
「好き勝手は許されませんよ?」
「好き勝手する権利は、王族にはあります!」
「何をする気ですか?」
「人を集めます。私の思いを、皆に伝えるために」
「しかし今まで何もしてなかった殿下の言葉をなぜ聞かねばならないんですか? そんな人の言葉なんて誰も信用できないし、そもそもそれが殿下の本心かどうかすらわからない。どうせ誰も聞かないでしょう」
「それでも私は、話します!」
「なぜ?」
一呼吸置いて、叫びました。
いいえ、言葉にしました。
「――伝えるべきことがあるからです!!」
ありったけの声で、国中に届くかのような声で、私の心を言葉にしました。
同時に胸が高鳴り、顔は熱くなります。
こんなことを思っていたなんて、私自身が驚いていたから。
伝えるべきことがある。
私の意思を、我が儘な意思を。
「私は、シレジア王国第一王女のエミリア・シレジアです!」
教会の壁に、天井に、神の像に、そして何より、私の心に、皆に伝えるべき声が反響しました。
反響した声や音は徐々に小さくなり、その後教会の中はまた無音になります。早くなった鼓動だけが、私の中で響きます。
暫くした後、ユゼフさんが母親のように優しい笑みを浮かべて、
「その通りです、殿下」
優しい声で、そう言ったのです。
この物語の主人公はエミリア殿下です




