氷に閉ざされて
フィーネさんがシレジアに戻ってきた――と表現するのはおかしいけれど、彼女が国王派の拠点であるオルシュティンに来た日は雪が降っていた。
雪は日が暮れると共に強風を伴って、それは吹雪となってシレジアの大地を凍らせた。
「……っくしゅ」
そしてフィーネさんも凍えさせた。
今彼女は、ローゼンシュトック公爵家の屋敷兼国王派軍司令部の客間のベッドの上で毛布を肩に掛けながら震えている。暖炉が部屋を暖めるまでの辛抱だフィーネさん。
「……大丈夫ですか?」
「大丈夫です、平気です。エスターブルクも冬になればこれくらい冷えるのは『大尉』は御存知でしょう」
「まぁ、そうですけれど」
オストマルクもシレジアも、冬は凄い冷え込む。どちらが寒いかという次元で話せるものではない。稚内と旭川はどちらが寒いかを論じても、東京から見れば「どっちも寒いじゃん」という結論に至るのと同じである。まぁ俺は北海道には行ったことはないのだが。
「はい、紅茶ですよ」
「ありがとうございます、中佐。……って、なんで砂糖とミルクが入ってるんですか」
「寒いなら糖分取ってくださいよ。それに私、ストレートだと飲めないので」
「……中佐は紅茶の飲み方を知らないんですね」
ぶつぶつと俺の淹れた紅茶に文句を言いながらも飲むのは彼女らしくはある。これなら風邪の心配はないだろうな。
「それで、どこまで話しましたっけ?」
「トルンが国王派の手によって『奪還』されたところまでですね」
「あぁ、そうでしたね」
現在日時、大陸暦638年12月20日18時30分。
天気は吹雪、気温は恐らくマイナス。犬は凍死し風に流され庭駆け回り猫は土の下で丸くなるくらい寒い。いつも元気なサラでさえ騎兵隊の訓練を遠慮するレベルである。
……ここまで気温が下がらないと訓練やめないとか鬼過ぎるだろ、という些細なツッコミはさておく。
サラでさえ動けない今年の冬の時期に、まさか軍事行動を起こすバカはいないだろう。無論、昼になれば行軍や戦闘の訓練を行えるくらいには太陽光が仕事するため、練度の保持・向上に関しては問題ない。
「こういう天気ですので、軍事以外で出来る限りのことはしたいですね」
「なるほど。情報収集に素人士官の訓練、そして外交。やるべきことは多いですか」
「まぁ、そこら辺は作戦参謀の職域を逸脱していますから、いい案が思いついても助言程度に留めておきますよ。私が今早急に手を付けたいのは、別の問題でして」
俺がそう言うと、フィーネさんは殆ど間を置かずにその問題を当ててみせた。
「エミリア王女、ですか」
「正解です」
大地よりもエミリア殿下の心の方が固く凍っているのである。
もう3ヶ月になるのだが、未だ解決を見ていない。解決することを放り、目の前の軍事目的を達成することには成功したが、これ以上は政治的にも軍事的にも「エミリア王女」という太陽が必要なのだ。
「励ましてあげたい……のですけれど、マヤさんやサラが手こずっているのを見ると深い問題のような気がします」
「さすがのユゼフ中佐も女性を手籠めに入れるのは2人が限界ですか」
「なんの話してるんですかフィーネさん」
「エミリア王女の話ですが?」
やっぱりフィーネさん怒ってるよね? まぁ俺が悪いのだからあまり文句も言えないのだけれど。
「で、今はどうしてるんですか?」
「……マヤさんの意向で、エミリア殿下自身が問題を解決するまで待とうか、ということです」
「悠長すぎませんか?」
「どうせ冬の間は何もできませんから。今年の冬は長そうですし」
でも、早い方がいいのはわかる。春の目覚めと共に殿下の心の氷が解けるのと、冬の初めに殿下が目覚めて政治努力をなされるのであれば後者の方が良い。その方が効率がいいだろう。
「そうは言っても、男の俺じゃあ役に立つかどうか……」
個人的な悩みにしてもそうじゃない悩みにしても、やはり同性同世代の人間が相談に乗るのが一番効果的だと思う。俺とラデックじゃダメだろう。やはりマヤさんかサラに任せて貰うか……と思ったが、フィーネさんは首を横に振った。
「クラクフスカ少佐のことはよくわかりませんが、サラ中佐が励ますのはやめた方がいいと思います」
「その心は」
「彼女はポジティブ過ぎます。却って問題を複雑化させるだけかと」
「……なんだかわかる気がする」
ポジティブな奴がババンと心の問題を解決することはあるだろうが、それが凄いウザい時もある。それは前世でも経験したことはあるな。
サラの場合、それでダメなら無理矢理腕引っ張って戦場を連れ回るだろうが、エミリア殿下に万が一があるかもしれないということを考えるとそれはできない。
「いっそ悲観的な人間にやらせますか?」
「……もっと悲観的になるだけだと思いますが?」
ぐう正論。
ていうか俺の知り合いで悲観的な考えをする人間がいない。良くも悪くも全員ポジティブである。唯一例外はフィーネさんだが、どちらかと言えば「慎重」である。
「フィーネさんがやりませんか?」
「そんな街中で仕事を探すみたいに安請け合いはできませんよ……。だいたい、私はエミリア王女のことは何も知りませんからお力になれません」
「ですよね」
どうしよう。八方塞である。本当に春まで待たないといけないのだろうか。
「ここはやはり、中佐が適任でしょう」
「……無理難題を押し付けないでください」
「いつもいつも無理難題に自ら首を突っ込むのはあなたですよ」
「それは傍から見れば無理難題に見えているだけです」
俺から見れば簡単に見えるとか解決の糸口があるとか、そういうのが多いってだけだ。俺だって無理なもんは無理である。
「であれば問題ありません。私からは、これは無理難題に見えませんから」
「え、そうなの?」
「そうですよ。ユゼフ中佐なら、たぶんなんとかしてくれるでしょう」
他力本願じゃねーか。
「それに中佐は、実績がありますし」
「実績?」
「えぇ。少なくとも、私の心の問題を解決してくれたと言う、明確な実績があります」
「…………」
それはいつの話だろうか。
大使館時代……は特に何もしてないし、条約会議の時はフィーネさんが自分で突き進んでいたし、第七次戦争の時は解決したのはサラさんだ。
あれ、本当にいつだろ。
「………………覚えていないというのは、些か頭にきます」
などと悩んでいたら、目の前に座る銀髪の美少女からの視線が痛かった。凄いジト目である。
「……ごめんなさい」
「…………まぁ、天然だったということでしょう。それが中佐の良い所でもありますが」
「ありがとうございます……?」
褒められたってことで良いのかな?
フィーネさんは僅かに微笑んでいるし、悪口ではないだろう。そういうことにしておこう。
「なんにせよ、他の人に出来ないのならば中佐がやるべきです。たとえ説得に失敗しても、どうせ春までに自己解決するか塞ぎ込んだままなのですから変わりませんでしょう?」
「成功したらめっけもん、失敗しても現状維持ということですか」
それなら、やってみる価値はあるか。うん、そうだな。
「わかりました。そういうことな、1回くらいやって見ましょう。必要な事ですし、エミリア殿下がずっと暗いままなのは、見ていて辛いですから」
「それが良いと思います」
失敗したらそん時はそん時だ。また別の案を考えよう。
「で、中佐。対価を」
「……はい?」
「中佐は、私の案を呑んだのです。中佐も何か対価を支払うべきでしょう?」
おいそのルールまだあったんか!
「えーと、何をすれば……」
「そうですね……」
フィーネさんは空になった紅茶カップをベッド脇のテーブルに置き、指を唇に当てながら考える。そして数秒してから、顔を赤らめながら提案をした。
「では、中佐。私を抱きしめてください」
「……えっ」
「呆けられても困ります。私たちは恋人同士なのですからそれくらいしても大丈夫なはずですが? それともサラ中佐には出来て私には出来ませんか?」
「いや別にそんなことはないです」
それを言ったら卑怯だ。
2人同時と決めたのだ、ここは平等に扱うのが筋ってもんです。
「ではどうぞ」
そう言って、フィーネさんは両腕を前に出す。意を決めて、俺もそれに応えた。
……サラみたいに向こうから来る分には気が楽だが、逆は緊張する。
「……そろそろいいですか? ちょっと恥ずかしいんですが」
「ダメです。もうちょっとこうしていてください。それに今は2人きりですから」
抱き締めた彼女の身体は、ほんの少し冷たくて、ほんの少し紅茶の良い香りがした。
60,000ptの大台突破しました。読者の皆様、本当にありがとうございます。
最近更新不安定で申し訳ありません。定期的に発作を起こす「慢性新作執筆症候群」を罹患していまして……。
責任はユゼフくんが取るので煮るなり焼くなり殴るなり蹴るなりしてください(シャドーボクシングしながら)。




