クロンジノ会戦 ‐シーモアの丘争奪戦‐
12月9日12時30分。
「よし、攻撃開始!」
ヨギヘス師団司令官ヘルマン・ヨギヘス中将の一声で、クロンジノ会戦の号砲が丘に鳴り響いた。
街道近くに存在し、カリシュ子爵家が陣地を構築しようとしていたクロンジノの丘は特に名がついていなかった。あえて名付けるのであれば、内戦勃発前まで丘に住んでいた農家の名を取って「シーモアの丘」だろうか。
しかしそこに人が住んでいたという痕跡は、開戦から数分で消え去った。
ヨギヘス師団が放った上級魔術攻撃が、その家を跡形もなく焼き払ったのだから。
……内戦だから、余計に心が痛む光景である。そう思うのは偽善かな?
まぁこれから先、家どころか町や都市でさえも吹き飛ばすかもしれない戦争をするのだが。
「ふむ……。ワレサ中佐、丘上に動きはあるか?」
俺は、直属の上司であるタルノフスキ准将と共に司令部にいる。
丘上に陣取るのは、恐らくカリシュ子爵の私兵で大隊規模の兵力。その程度の人員だと上級魔術師なんて者が多くいるはずもない。
「亀のように動きませんね、准将閣下」
「そうか。この際、反撃があった方が楽なのだが」
反撃がある=敵が陣地から飛び出している、ということだ。魔術攻撃を受けている中、そんなことをする無能は流石に子爵にはならないらしい。……ならないよね?
「とは言え、彼我の戦力差は1対10です。何事もなければ、戦力差で丘を陣取ることができます」
「何事もないと、ワレサ中佐は考えているのか?」
「ないわけないです」
当たり前である。
戦力差10倍で罠も逃亡も何もなく正面から攻勢を受け止める奴はいないだろう。劣勢時によく見られる脱走という現象も見られない事から、敵は「勝機がある」と考えているということか。
そして戦場の霧に包まれたシーモアの丘は、敵軍の「勝機」とやらを容易に暴いてはくれない。
暴くために丘上の陣地に攻勢を仕掛けて丘裏にいるかもしれない敵予備戦力を焙り出す、というのを今やっているのだが、敵は慎重だな。
「で、どうやって暴こうか? 敵を口説いてその服を脱がせるか?」
「口説いたとしても大半は男ですからねぇ……。裏に隠し持ってるだろう金銀財宝を掻っ攫った方がいいかと思いますが」
「違いない」
やや下卑た比喩で以って作戦を練って、司令官に上申するだけの余裕がヨギヘス師団司令部にはあった。まぁ、いいことだろう。
「――そうだな。タルノがそう言うのなら間違いないだろう」
「冗談。中将閣下がそのことを考えていないとでも言うのですか?」
「ふふ、さあな。――伝令兵、第75騎兵小隊に連絡。少し危険だが、丘を右回りに迂回し丘の裏を偵察するよう指示してくれ。敵本隊を見つけた場合は――」
タルノフスキ准将が優秀な人間であることは王女護衛戦の時に知っていたけれど、ヨギヘス中将もなかなか優秀な指揮官だった。そして准将と中将は友人で、同じ伯爵家の人間で、長年タッグを組んでいる仲だそうだ。
……俺、いらなくね?
「――あ、そうだ。ついでに参謀の奴から誰か偵察部隊に入れるとするか。タルノ、誰が良いと思う?」
「そうですね。やはりここはワ――」
「ワイダ中尉が良いと思います。彼は騎馬牧場主の息子であるため馬の扱いには長けているでしょう!」
危ない危ない。ボーっとしているとこの2人、ノリと勢いで俺を前線に配置しようとする。前線に行くならせめて勝利を約束されたサラと一緒がいい。女子に守られることに関してもう矜持は傷つきません。本当です。
「そうだな。ワレサ中佐の言う通り、ワイダ中尉が適任だろうと考えます」
「そうかそうか、期待の新人がそう言うのだから間違いないな。では、そうしてくれ」
早く内戦が終われ。いや本当に。
数十分後。
騎兵大隊の偵察結果は思いの外早く届いた。そしてそういう場合、得てしてよくない報告である場合が多い。
「ワイダ中尉の報告によりますと、相当数の兵力が既に丘裏に展開している模様です」
「数は?」
「約5000とのことです」
「……何とも悩む数字だな」
こちらの戦力は約1万3000、後続が2万。
敵軍戦力は丘上に1000、丘裏に5000。後続に2万以上。
「中佐、貴官はどう思う。敵の意図を」
「……恐らく、時間稼ぎかと」
恐らく敵の戦術は、未完成ながらも構築された丘上の陣地に少数の守備隊を配置して、それを弾除けにしているのだろう。
もしこちらが戦力差でごり押しして丘上を強襲し占拠しようとしても、丘裏に控えた予備戦力が反撃して丘上を取り戻す。その場合戦力的には敵が劣位だが、陣地を奪った瞬間奪い返された時、こちら側が敵側の戦力を過大に見る可能性が高まる。
「なるほど。それで敵は主力の到着を待とうと言うわけか。戦力差があるから」
「そう、私は考えます。もしかしたら、単に丘上の部隊と丘裏の部隊の仲が悪くて一緒にいたくない、なんて子供みたいな事実があるやもしれませんが」
だとしたらなんと楽な事か。始めから敵の指揮系統混乱を期待できるなんて。
「だとすると、このまま敵の意図に従って強襲するのは愚策だな。戦術を練り直すか……」
タルノフスキ准将はそう呟いて、陣地強襲の中止を上申しようとヨギヘス中将の下へ行こうとする。でもその前に、言いたいことがある。
「お待ちください閣下。ここはあえて敵の作戦に乗っかるのもアリかと思います」
「……詳しく聞こう」
ここで何も反論せず、こちらの意見を聞いてくれる准将閣下は優秀だなって思います。
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丘上に陣取る大公派約1000を率いているのは、大公派カリシュ子爵家の次男である。
彼は将来を嘱望された優秀な貴族――というわけでもない、シレジア王国においてよくいる凡才凡人の貴族のドラ息子だった。
普通のドラ息子と違うのは、騎士の少女を嫁に入れようと奮闘し盛大に無視されたことだろうか。
「私のような顔立ちもよく才能もあり、こうして大部隊を前に果敢に戦闘に挑み敵を跳ね返している。あぁ、なんと私は優秀な人間なのだろう。このような私の姿を見てくれれば、あの女性も私に振り向いてくれるに違いないのだ……」
ちょっと残念なところもあるのも追加した方がいいかもしれない。
彼は、サラ・マリノフスカの自称婚約者である。
サラ自身が婚約話を蹴ってユゼフを選び、婚約話を主導したサラの父親も、一向に帰ってこない娘の事を考えて婚約をなかったことにしている。
「これを父上の御力で王国中に広めれば、あの武芸に秀でた女性は必ずこちらを向いてくれるはずだ。私の武勲に惚れ、私の才能に惚れ、そして夫婦となるに違いないのだ!」
気付いていないのは本人だけであった。
大公派に与している時点で、サラからは最早処刑対象としてしか見られていないことなど、この時はまだ彼は知らなかった。
「……カリシュ様。敵がまた攻勢に出ました」
そんな残念なカリシュ家次男に付き従うのは、子爵家が雇った傭兵の参謀である。この時この傭兵は、安易に仕事を請け負ったことを後悔していた。
「フンッ。敵はどうやら私の策に気付いていないようだな。丘裏に配置している軍が、彼らを殺し尽くすということを!」
それを考えたのは私ですよ、と言える立場に傭兵はいない。それが契約だからである。
「どのように致しますか?」
「……任せる!」
「畏まりました」
実の所、カリシュは何もしていない。ただ偉そうに丘上に立って自慢話をしているだけである。しかしかえってその高慢な態度が、味方の士気を挙げていたという側面がないわけでもない。
「滅茶苦茶な指揮をしないだけマシだし、戦場であんな適当なボンボンでも自慢話が出来る余裕があるのはいいことだ」
というやや残念な方向に進んだ思考がそうさせていた。
「おい参謀。友軍主力はいつ来るか?」
「今は冬、日没の時間が早いため、明日になるかと思われます」
「そうか。では明日味方が来る前に、こちらから攻めて敵軍を追い散らしてみようか……」
そうすれば武勲は巨大なものになるはずだ、という思考であるが、それは当然周りから止められた。
「しかしそれは命令無視になります。司令官閣下からの命令は当地の死守にあります故、妙な事をすればたとえ成功したとしても処罰は免れないかと。ここは堪えてください」
「ふむ。それもそうだな。よし、そうしろ」
「ハッ」
カリシュが何もしなくても、雇われた傭兵はそれなりに優秀だったし、ボンボン貴族相手の仕方も心得ていただけに、シーモアの丘は至って余裕の雰囲気が流れていた。
しかしそれもすぐに崩壊に至ることになるのを、彼はまだ知らない。




