クロンジノ会戦 ‐敵情‐
12月9日。クロンジノから北の地点。
「畜生、騙された!」
俺はつい、そう叫んでしまったのである。
珍しく大声を出した俺に、近くにいたサラがぎょっとしながらこちらを向いてきた。
「……どうしたのよ、こんな時に」
「こんな時だからだよ。畜生、なんで俺はあの時あんな提案を……」
俺は頭を抱え、事情の呑み込めないサラは疑問符を頭の上に浮かばせ続ける。
そんなサラを無視しつつ頭を抱えながら反省の念が脳内を駆け巡る。
視線を前に向ければ、そこにはクロンジノ。現在日時12月9日。作戦提案したのはつい昨日のこと。そして俺はタルノフスキ参謀長に、1個師団を強行軍で進出させれば良い、などと言ってしまった。
そしたら我がヨギヘス師団が強行軍することになった。どうしてこうなった。
「最近体力ついてきたと思ったけど、強行軍は無理だって」
「……へぼい体力してるわね」
「いやいや、サラは体力いくらでもあるからそう言えるんだよ!」
騎兵科次席卒業で精鋭騎兵連隊の副連隊長様の言葉なんて真に受けたら大変である。しがないただの一般的な参謀が強行軍をするのは無理があるって。
「身から出た鯖、って奴よ。諦めなさい」
「身から出た錆、って奴でしょそれ。いやまぁ強行軍自体は初めてじゃないし、実際身から出た錆だからまだ許せるんだけどさ……許せないのは……」
「許せないのは?」
「……なんで俺が将校斥候なんてしてるわけ?」
将校斥候。
文字通り、将校が行う斥候。ただの偵察兵では戦術的・作戦的視野で偵察が行えないので、専門の教育を受けた将校が地形や敵軍位置などの戦術的な情報・状況を把握するために行う偵察である。
それはいいのだけど、別にそれを作戦参謀たる俺が行う必要はないよね?
情報参謀あたりに任せればいいよね? ただでさえ強行軍で疲れてるのに更に前に出て斥候って無茶をさせる准将閣下である。
そしてなんで近衛騎兵のサラまでセットでついてくるんだろう。
「まるで私がいらないみたいな言い方しないでよ」
「……いやでも、指揮下にない部隊の人間同士で偵察に出させるかなって」
「エミリアの時みたいに、私たちで偵察に出せば結果が出るって思ってるんじゃないの? タルノフスキだし」
おい上官を呼び捨てにするな。
まぁでも、タルノフスキ氏を上官にしてサラと俺で偵察というのは過去にもやったよな。ゲン担ぎと言う奴だろうか。でもあの時はラデックがいたか。
今回は2人きりだ。
2人きりで偵察任務……。
「サラ、変な事しないでね。ユリアの妹だの弟だのって言わないでね」
「……あれはもう忘れなさい」
いやいや、忘れたいけれどなかなか忘れられないくらい強烈な出来事だったよあれは。
「でまぁ話を戻すけど、ゲン担ぎ以上の意味がもしかしたらあるのかなって勘繰っちゃうんだよね」
なにせ今回は内戦だ。裏切り合戦なのだ。
国王派最大の味方クラクフスキ公爵が裏切った。であれば、国王派だったタルノフスキ伯爵の息子が裏切らない保障はない。というものだ。
だとすると、俺たちがまた前線に立ったのはまたしても恐ろしい陰謀があるからなのでは……、と頭の中でぐるぐると終わりの見えない猜疑心に陥りかけた時、コツン、と隣から頭に軽い衝撃を受けた。
「考え過ぎよ。そりゃ、考えるのがあんたの仕事だろうけど……」
「でも、考えちゃうんだよね。俺はまだしも殿下やサラに何かあったら、って思うと」
「だから考え過ぎだってば。エミリアもフィーネもそうだったけど、たまには何も考えず目の前のことだけ見てなさいよ」
「……それもそうか、考えるだけ無駄だもんな」
「そう言う意味じゃ……あー、でももうそれでいいわ」
いやなんでそこだけ投げ遣りなんだ。
しかしたまにはサラもいいことを言う。なら、サラの意見も聞いてみるかな。
「ところでサラ的にはタルノフスキ准将は信用できる?」
「当然、信用できるわ」
「その心は?」
俺がそう聞いたら、サラは迷わず自信満々に、かつちょっと笑顔で答えた。
「女のカンよ!」
「……なら、信憑性は高いな」
サラのカンは殆ど預言だものな。
「んじゃユゼフ。悩みがまとまったところで悪いんだけど、目の前のアレどうする?」
サラはそう言いながら、持っていた長い単眼鏡を渡してきた。それを覗くと、そこにはクロンジノにある丘があり、そして軍旗がはためいていた。
軍旗に描かれている紋様は部隊の所属を表している。
例えばサラの所属する近衛師団第3騎兵連隊は紅白模様の上に角の生えた馬頭が描かれている。
そして目の前の丘にある連隊旗の模様は、王国軍の連隊旗というよりは家紋に近かった。恐らく貴族の者だが俺は見たことはない。持参してきた識別表と比較して……としたところでサラが呟いた。
「カリシュ子爵家の紋様ね」
「……なんでサラが知ってるの?」
いやはや、俺が知らなくてサラが知っているというのは驚きだ。
「ユゼフにも教えたじゃない……忘れたの?」
「え? 何が?」
何の話?
「……忘れてるのならいいわ。大したことない話だし、今の私にはユゼフがいるし」
「はぁ……ならいいけど」
俺の疑問を余所に、サラは笑顔でそう言って、カリシュ子爵とやらのことを言うのを止めた。
「で、話し戻すけど。あれどうするのよ?」
「カリシュ子爵家は確か大公派に与した派閥だから、敵と見て間違いないね。見た所戦力は1個大隊。もしこのままヨギヘス師団をぶつければ問題なく丘上は取れるだろうけど……」
問題は1個大隊じゃない場合か。丘裏にいる場合もある。それに丘上ということは、もうあっちはヨギヘス師団を視認しているかもしれない。となれば増援を呼ばれている可能性がある。そして敵も陣地を構築している兆候も見て取れる。
出来る限り丘周辺の状況を見て、予想される敵戦力と陣地の位置、規模を確認。そして結論を導く。
「……まだ敵はこちらに気付いたばかりで、陣地はまだ未熟だ」
「ということは、速く手を出した方がいいわね」
サラの言う通りである。敵の陣地が完成する前に、そして敵の増援が来る前に丘上を取る。一度丘を取れば、視野の関係からこっちが有利だ。
「あとは敵増援や主力の位置次第……でもそれを俺らが調べている暇も余裕もないか。サラ、戻るよ」
「えぇ。あんなやつ、さっさとぶっ飛ばすわよ!」
なぜか戦意が高いサラを連れて、俺は本隊のいる場所まで戻り、その偵察結果を知らせた。




