冬の時代
大陸暦638年12月1日。季節はすっかり冬である。
シレジア王国は例年以上の厳寒。雪が降らないだけまだマシだが、気温はマイナスの領域まで軽々と踏み越える。バナナで釘を打つことができる寒さとはこのことだろう。
しかしそのおかげで、と言うべきだろう。シレジア初の内戦は、冬将軍という強敵を前に膠着状態に陥っている。
王都を脱したエミリア殿下らが、当面の拠点としたのがシレジア王国中北部に位置するローゼンシュトック公爵領。公爵家としては最も歴史の浅い家であるため、領地の規模や経済力は他の公爵家に劣る。
「それで、現状はどうなんです?」
恐らく最も現状を把握しているマヤさんから、この内戦の経緯を聞く。
「エミリア殿下が無事だったことで、国王派は一部を除いてこちら側についてくれたよ。大公派……いや、叛乱軍の方が多勢であるのは変わりはないがね」
「孤立無援でないだけマシと思いましょう。どの貴族が敵味方に分かれたんですか?」
そう言うと、マヤさんは地図を取り出した。シレジア王国内の地図で、各領地がどの貴族によって支配されているかが書かれていると同時に、3色に色分けされている。
「青が我々国王派、赤が叛乱軍、白が中立だ」
「……中立?」
この情勢下で中立?
「日和見と言ってもいいかもしれない」
「あぁ、なるほど」
現実の中立ってよほどのことがない限り日和見よね。カッコよく言うと現実主義。
地図を見ると国王派、大公派、そして中立派の割合は3:6:1と言ったところ。国王派はシレジア中央部を流れるヴィストゥラ川を境に東側を中心に、大公派はヴィストゥラ川を境に西側を中心に分布し、そして中立派の殆どは南部国境地域に集中している。
「問題は、なぜ南部なのかと言うところだな」
「たぶん、オストマルク帝国の動きが気になるのだと思います」
オストマルク帝国の皇子ヴァルターのクソ野郎は、帝国内のシレジア分割派を煽動して対立するシレジア同盟派を潰そうとしている。カロル大公がそのヴァルター皇子と手を組んだ。
もし帝国において分割派が主流派となるのであれば、いずれ起こる分割戦争において大公、ひいてはヴァルター皇子に味方しておかないと自分の領地や権益を守れない。
しかし、エミリア殿下がカステレット会議の時に公然とオストマルク帝国と友好を示した事実もある。現時点においてシレジア同盟派がオストマルク帝国内では主流派であることを考えると、ここで慌てて大公派に支持を表明するのは危険である。なぜなら、分割派を排除した帝国が内戦に介入したら、ほぼ確実に大公派に未来はないから。
「現時点ではどちらを選べばいいのかわからない、そういうことか」
「そういうことです。この場合、南部中立派貴族が国王派に支持するのはオストマルク帝国次第と言ったところでして」
でもどうだろう。今回の情報省内部における分割派の妨害工作やヴァルター「皇子」という政治的影響力を鑑みると、分割派の組織力は思ったよりも大きいのではないだろうか。
フィーネさんが今帝都エスターブルクで対処してくれてるけど、フィーネさんがもし万が一ドジったらまずいなぁ……。いや、ドジったらリンツ家そのものが危うくなるのだから彼女も彼女の父親も頑張るから大丈夫だとは思うが、問題は時間だ。
「オストマルク帝国の状況が改善するまで、状況を五分以上に持ち込みたいところです」
「そうだな。それには、我々が軍事的勝利を得るということも含まれると思う」
「同意します」
どんなに小さくても良い。国王派が軍事的勝利を治めれば、国内外に与える影響力は大きい。
前世においても、軍事的勝利が国際情勢を揺さぶった例は多い。
「しかし冬季において軍を動かす、というのは難題だ。シレジア=カールスバート戦争のような局地戦ならいざ知らず、今回は戦域がかなり広い。兵站や戦力分散と指揮の面で、色々不都合が出るだろう」
「そうですね……」
戦力については若手の士官を中心に、大公派を見限った下級士官が多いらしい。そしてその殆どが大貴族の親類縁者ではなかったそうだ。つまるところ元から大貴族に嫌な思いをしていて国王派になる土台がある人たちだったり、エミリア殿下の人となりを知っていた人間が多かったということ。
それは翻って、大公を大貴族が支持する理由が「貴族の権益」にあるという意味もあるのだろう。
そこを突けば、向こう側の戦力を削り取ることができるだろうか?
兵站に関しては……冬ということを考えると頭を抱えたくなる。主にラデックが。
補給の問題は厄介だ。鉄道があるわけでもないこの大陸、補給と言うのは現地徴発に多かれ少なかれ頼っている。勿論、後方地域からの輸送や事前に用意していた軍需倉庫を利用するというのもやるけれども。
でも、大地が凍り生きるのにも苦労する冬のシレジアで現地徴発はちょっと無理じゃないか……? それに冬の行軍は兵の体力を消耗するし……。
「いっそのこと、春が来るまで待ちます?」
「そうは行かない。リヴォニア貴族連合や東大陸帝国の動向が気になる。彼の国を牽制するためにも、なるべく早く結果を残したい」
兵站に不安が残る中で政治的な理由による出兵を行う、ということか。それはそれで嫌な予感がするのだけど大丈夫だろうか。
勝てば政治的に影響力が大きい場所で、そしてできるだけ行軍による疲弊が少ないようにちょっとは暖かい場所で、んでもって補給に影響が出ないような場所か……。そんな都合のいい場所……、
「あっ」
「ん?」
なんだ、あるじゃないか。都合のよさそうな場所が。問題は敵軍がどう出るかだけど、やってみる価値はあるかな……?
「妙案が思いついたのかい?」
「妙案かどうかはわかりませんし、あまり自信はないですけれど」
ポッと出の提案だ。政治的・戦略的に正しいかはわからん。
「君の提案は聞く価値のある場所ばかりだ。どうか聞かせてくれ」
兵や兵站に負担をかけず、そして政治的に影響を与える場所が、ローゼンシュトック公爵領から南西に5日行軍したところにある。
「ヴィストゥラ川沿いにある町、トルンです」
俺がそう言うと、マヤさんは首を傾げた。
「トルン……? しかしそこはただの町だぞ? そんな所を攻めるのか?」
「そうです」
トルンを取るんです。
……ごめんなんでもない。
「トルンは仰る通り、何もありません。ですが、トルンという町には……そうですね、地政学的な利があります」
「地政学的な利?」
「はい」
トルンは現在大公派と国王派の境界部分にある町であり、そしてローゼンシュトック公爵領から軍で5日とそれなりに近い。そしてトルンから王都シロンスクまでは通常行軍で10日、騎兵隊の強行軍で数日の距離にある。
「我々がトルンを確保すれば、カロル大公の喉元にナイフを突きつけたのも同然です」
そして現実はどうあれ「国王派が大公派の拠点たる王都シロンスクを射程に捉えた」と喧伝することもできる。事情を細かく知らない対外工作に使えるだろう。
またトルンはヴィストゥラ川沿いにあると言う点も見逃せない。トルンを境に、大公派は上流と下流で分断されるという点だ。
川というのは、水運に重宝する。上流から下流へ、下流から上流へ物資を送る。馬車なんかよりもはるかに効率のいい交通手段だ。それを確保するのはかなり重要。
「つまるところ、君の提案は『カロル大公の喉元にナイフを突き立てると同時に首を絞める』ということかな?」
「なにそれえぐい」
「君が言ったんだぞ」
いやそうだけど、想像するとなんか酷い。
「しかし良いことずくめに聞こえるが、どうしてこの提案に『自信がない』のだ?」
「簡単ですよ。大公派もその重要性を知っているからです」
大公派にも、さすがに戦略の専門家はいるだろう。トルンとは言わないまでも、川沿いにあるどこかの都市が狙われるのではないかと思うはずだ。
「ですから、防備を固めている可能性が高い。それをどうするかです」
「敵の戦力を分散させる方法、ということか」
「そういうことですね。それともう1つ問題がありまして」
「……まだあるのか?」
「えぇ。もしかしたらこっちの方が深刻かも」
というより今後の内戦を趨勢を握るために早急に手を付けなければならない問題でもある。
「ずっと元気がないらしい、エミリア殿下ですよ」
「……そうだな。あれからずっと、ふさぎ込んでいる」
マヤさんは肩を落とした。
俺やサラ以上に殿下と付き合いの長い彼女をもってしても、この問題を容易に解決できないでいるらしい。殿下の気持ちもわかるが。
でも立ち直っていただかなければならない。
味方の士気にもかかわる話だ。
「もしかしたら、殿下抜きでやらなければならないかもしれませんね」
エミリア殿下のために勝利を収める必要がある、そう考えてしまった。
地図はいずれ作ります。暫し待たれよ




