地下
王都シロンスク、国家警務局本部内。
「それで、違法的かつ真っ当に警務局まで連行されてきたってわけ? んでもってローゼンシュトック先輩助けて最後に私?」
「そういうことになる。ヘンリク殿もここにいてよかった」
警務局内の地下にある特別留置所で拘留されていた、ランドフスキ男爵の娘イリア・ランドフスカと、国家警務局所属のヘンリク・ミハウ・ローゼンシュトックを救出したマヤたちは、事のあらましをイリアに報告していた。
「にしても、クラクフスキ公爵が寝返るとはね。意外よ」
「……済まない」
「あぁ、マヤのこと責めてるわけじゃないよ? むしろ、味方だと油断してロクに調べなかった内務省にも責任があるし」
「我々国家警務局も、王都防衛師団の離反に気付けなかった。マヤ殿が気に病むことはない」
意気消沈するマヤを、イリアとヘンリクがフォローする。
実際、彼らの離反と叛乱は誰にとっても予想外であったことは間違いないのだから。
「まぁ、それはさておこうぜ先輩方。さすがに警務局の人間が勘付いた。結構騒がしいぞ」
「おっと、そうだった。早く脱出しなければな」
イリアの言う「違法的かつ真っ当に連行されてきた」マヤとラデックとユリアが脱獄したとあれば、大公派でなくとも騒ぐところだろう。
叛乱時においてもなお生真面目で律儀な国王派警務局員が、連行されたはずの一般刑事犯が脱獄したことを大公派に報告したのである。なにせ、彼らはマヤとラデックの顔を知らないのだから。
「どうするの? 正面玄関から堂々と出る? 私自慢の新魔術で――」
「いや、それをすれば国王派局員まで巻き込まれる。そうでなくとも、同じシレジア人だ。無用に殺したくはない」
迂闊な行動だったかもしれないと、マヤは自分を呪うしかなかった。だが強行突破しか道がないのなら、それを切り拓くしかない。
だが突破点は、いつも意外なところにあるものである。
「…………(くいくい)」
今まで一言も言葉を発していなかったユリアが、マヤの服の袖を無言で引っ張った。ちょっと可愛い、と彼女が思ってしまったのは秘密である。
「どうした、ユリア殿?」
「……した」
そう言って、ユリアは文字通り「下」を指差す。そこにあるのは当然床だが、しかし地下にある留置所ならではの物があった。
「……下水道?」
「ここから、そとにでられる」
外に出られる。
ということは外からここに入れたということではないか、というツッコミは流石に子供相手にはしなかったマヤである。しかしそれ以上に気になることがあった。
「なんでそんなことを知ってるんだ?」
この単純な質問に対して、ユリアからの返答もまた単純である。
「つかったことあるから」
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下水道というだけあって、その道は暗く、特有の臭いで充満していた。揃いも揃って貴族の子息令嬢しかいない人間たちは一斉に眉間に皺を寄せた。動じなかったのはユリアだけである。
「……くさい」
「いい香りのする下水というのも聞いたことはない」
魔術で明かりを確保しながら、ユリアが先導して道を進む。
王都は、人口が多くまた富裕層や貴族が多く住むこともあって、清潔感を確保するために古くから下水道が整備されてきた。
初代国王イェジ・シレジアによる内政、公共事業による雇用確保と言った一面もあるため、行政区画や貴族居住区画だけでなく、貧民街にいたるまでこの下水道は続いている。
それは家を持たない貧民が、下水道の中で暮らすこともあるということでもあった。
「なるほど。ユリア殿はだから知っていたのか」
「それもある」
「……『も』?」
ユリアらしからぬ引っ掛かった言い方。どことなく、彼女を教育した者の言い方を匂わせる。
「どういうことだい?」
「…………いっちゃだめって、いわれた」
「誰に?」
「ぱでれふすきってひと」
どういう理由で下水道を使っていたかを黙っていたユリアだが、それを口止めした人物の名まで黙らなかったのは、それを指示した人間のことまで黙っていろとまでは言われなかったということでもある。
ユリアが口にした「パデレフスキ」の名を聞いた時、
「パデレフスキ? どこかで聞いたような……?」
「誰だっけそいつ」
「知ってる様なそうでもないような……」
マヤとラデック、イリアは完全に忘れていた。
他方、ヘンリクだけが違った反応を見せた。
「……あいつか?」
「知っているのか、ヘンリク殿」
「知ってるも何も、パデレフスキ少尉は同僚だ。去年、君らも会っているはずだが」
それを聞いた時、マヤは去年何が起きたかを思い出した。
サラがユリアを拾い、そして濡れ衣を着せられたことを。その事件の調査に乗り出したヘンリクと行動を共にした国家警務局員の名前。
「あのパデレフスキか!?」
マヤは辛うじて思い出した。
ユゼフの罠にはまって冤罪を自供し、のちに告発人となった人物である。
「同姓同名の別人、という可能性もあるがな。ユリア殿、そのパデレフスキって言う人は――」
ヘンリクは、自分の知っているパデレフスキと一緒かどうかを確かめるために、ユリアに彼の身体的特徴を話した。するとユリアからの言葉は、
「そのひと」
であった。つまり、同姓同名の別人ということではなくなった。
かつて自分たちを攻撃した人間が、それよりも前に孤児のユリアに会って何かを口止めをした。どうにも悪い予感がするのは、人間として当然であろう。
「……ねぇユリアちゃん。どうして下水道のこと知ってるのか、お姉ちゃんに教えてくれない?」
子供を諭すように、イリアはユリアと目線を合わせてそう語りかけた。
ユリアは目を逸らし頑なに教えようとしなかったが、そこでラデックが悪知恵を働かせた。
「喋らないってなると、マリノフスカ嬢に言うしか――」
「だ、だめ!」
サラのことを親や姉のように認識しているユリアにとって、ラデックのその言葉は重かった。
「じゃあ俺たちにだけ教えてくれよ。マリノフスカ嬢には黙っててやるからさ」
お母さんには内緒にしてあげるから、というどこの世界でも聞く悪魔の言葉を応用するラデックである。
「……ほんとうにいわない?」
「言わない言わない。男に二言はない」
「…………」
ユリアは暫く悩み、パデレフスキという人間に叱られることと約束とサラに叱られることを天秤にかけ、当然だが前者を選んだ。
「……えっと、はこんでたの」
「……あんまり聞きたくないが、何を?」
「たばこ。さっきのばしょから、まちまで」
「…………」
当たり前の話だが、禁止されているわけでもない煙草を地下の下水道で子供に運ばせる必要性がどこにあろうか。しかも国家警務局の建物から王都の市街まで。
「な、なぁユリア。参考までに、その煙草っていくらするんだ? 商家の息子としては知りたいんだが」
「えっとね、これくらいで――」
そう言って、ユリアは胸の前で大きさを表現する。だいたい頭1個分、煙草の葉だとすれば相当な量はあるだろう大きさ。
そしてユリアが言い放った価格は、煙草の相場価格の約10倍だった。それは通常の紙巻き煙草1回使用分でも金貨を必要とする程の価格。
どこの世界に、煙草をそんな値段で売る奴がいるだろうか。そして買う奴がいるだろうか。
「それで、きたみちもどっておかねをぱでれふすきさんにわたして、おかねちょっともらうおしごとしてたの……」
「な、なるほど」
全員が頭を抱えたのは言うまでもない。
「……サラおねーちゃんに、いわないで? きらわれちゃう」
「言えるかこんなこと……。あとユリア、もうこんな仕事しちゃダメだぞ? マリノフスカ嬢に嫌われたくなかったらな」
「ぜったい、やらない!」
謎の葉っぱとの決別を固く誓うユリアであった。
そして国家警務局員であるヘンリクも誓いを立てていた。
パデレフスキ、ほぼ1年ぶりの登場(第183話に登場)。
職業は国家警務局員(警察官のようなもの)と、煙草(比喩的概念)の販売。




