茶番だらけの閣議
9月8日。
王都シロンスク、賢人宮閣議室。
10日程前に開かれた閣議と比べるまでもなく人が減った閣議室にて、議長役である王国宰相カロル・シレジア大公が口を開いた。
「――ではこれより、閣議を開催する」
それは、シレジア王国の新たな政治体制の始まりを告げるものだった。
カロル大公による新体制に参加した閣僚は、王国宰相カロル・シレジア大公を含め、外務尚書、教育尚書、宮内尚書、社会尚書、産業尚書の僅か6名。
参加しなかった閣僚、政敵である国王派だったものは内務尚書、財務尚書、法務尚書の3名、政変と言う手段に反対した軍務尚書、合わせて4名の姿はこの部屋になかった。各人は軟禁状態にあり、書記官が記した議事録の上では「欠席」の扱いとなっている。
だがその代わりに、それまで閣議室に1度も入室したことのない人物が、なぜか「最初から自分が閣僚の1人であった」と言わんばかりの態度で腰かけていた。
そして躊躇いもなく、カロル大公相手に口を開いた。
「閣議、ですか。この期に及んでもまだ旧体制の言葉を使うのですね殿下。もう、閣議というものではなくなっているのに」
「そう言うな、シェミール伯爵。これも重要なことなのだよ」
大公がそう言うと、シェミール伯爵と呼ばれた男は微かに嗤った。まるで滑稽なものを見ているように。
「それはわかっておるつもりですがね、折角の新体制への移行を告げる重要な閣議なのですよ? どうです、いっそ名を変えて『祖国平和評議会』と銘打つのは。なかなか愛国的だとは思いませんか?」
「会議の名などで頭を捻っても仕方あるまい」
「まったく、それもそうですな。あぁ、失礼。閣議の邪魔になっておりました」
「構わないさ」
先程から大公と親しげに会話するシェミール伯爵は勿論大公派貴族であり、クラクフスキ公爵領の隣に領地を持つ貴族であり、そして、
「では、議事に入る。まず1つ目は、退任を希望している現軍務尚書シュナーベル侯爵の後任を誰にするのか、である」
次期軍務尚書候補の1人だった男である。彼は今、軍務尚書シュナーベル侯爵が座るはずだった椅子に腰掛けているのである。
通常、閣僚の任命は国王が行う。無論、その時々の政治状況を見て判断しなければならないため独断と言うわけにはいかないが、基本的には国王が行う。
だが現在のシレジア王国は、その原則が外れる。
「現在、フランツ陛下は御病気につき政務に専念できない状態にある。侍医が陛下の様子を見守っているが、状況は芳しくない。そこで緊急的措置として、宰相権限によって閣議を開催しその閣議によって暫定的に後任を選定、後日改めて国王陛下の裁可を貰う」
酷い政治的な方便である。
確かにやむを得ない事態においては宰相にはその権限があるし、閣議もそのような暫定的な閣僚任命権はある。
しかしどれも後日国王からの承認がなければ無効となる。しかし今回の場合、病に伏しているとされるフランツが承認する必要もない。いずれ国王になる男が国王になった後承認しても、法律上、制度上何も問題はないのである。
もし問題があるとすれば、法の精神を叫ぶ法務尚書タルノフスキ伯爵がもしこの閣議に参加していたら、口汚い言葉で大公を罵ったに違いないということだが。
カロル大公の言葉を聞いて、閣僚各人はその政治的な方便を聞いて何も思わなかったわけない。だがしかし、それが必要な事であると理解しているために何も反論はせず、まるで演技するかのように閣議を実行する。
「……そうですな。私としましては、前々から候補に上がっていたシェミール伯爵殿が適任かと」
産業尚書が努めてそう言って、その他の閣僚もそれに追随するかのように頷いたり「賛成だ」という意味の言葉を羅列する。
「では、暫定的な軍務尚書職にはシェミール伯爵を指名することに、全員異議はないか?」
『異議なし』
「異議なしと認める。よってシレジア王国閣僚会議は、シュムエル・シェミール伯爵を暫定軍務尚書に指名する。……ということで、よろしいかな伯爵?」
「構いませんよ」
シェミール伯爵はそう言って軍務尚書職を引き継いだ。内心では「酷い茶番だ」と罵って。
「では、次の議事に――」
そして茶番は終わらなかった。
内務尚書ランドフスキ男爵、法務尚書タルノフスキ伯爵、財務尚書グルシュカ男爵の暫定的な解任議案が提出され、それは出席した閣僚全員の賛成でもって決議された。当然暫定措置であるため国王の裁可が必要だが……これ以上の説明は不要であろう。
さらに解任された3つの役職に関しては、これまた暫定的措置によって宰相たる大公が兼任することになった。これに関しては決議は不要であったため自然な成り行きとして成立した。
このことによってカロル大公の役職は、王国宰相兼内務尚書兼法務尚書兼財務尚書となり、カロル大公というただ1人の人格が、閣僚会議においてはなぜか4票を持っていたのである。
カロル大公は、こうした「茶番」としか言いようのない閣議によって自らの政治的立場を強化したのである。
それを表立って追及する人間は、いるはずもないが。
尚書職に関する議事が終わり「今日はこれまで」と大公が言って閣議は終わる。
ただこれだけの儀式のために、6人は集まったのであった。
閣議が終わったあとも、カロル大公と暫定軍務尚書シェミール伯爵だけが部屋に残った。暫くの沈黙の中で、最初に口を開いたのはシェミール伯爵。
「カロル大公は、舞台俳優の素質があるのではないですかな? このようなふざけた茶番、無表情で出来るなどは称賛に値しますよ」
「……俳優などにはなる気はないよ、伯爵」
肘をつき、伯爵から目を逸らし、閣議室の窓から賢人宮の中庭を眺める大公。しかし庭の手入れをするメイドの姿を見つけると、そのメイドからも目を逸らした。彼の視線は、自分の足元に注がれる。
「して、大公殿下。これからどうするおつもりですかな?」
「どうもこうもない。まずは国内の地盤を固める。そのために今日、貴殿の言う『茶番』で貴殿を軍務尚書にさせたのだ」
「なるほど?」
大公派に寝返ったクラクフスキ公爵領の隣に領地を持つ大公派のシェミール伯爵が、軍政を統括する軍務尚書になった。誰がどう見ても元国王派筆頭クラクフスキ公爵領に対する首輪であり、そして2つの領地が持つ経済力と私兵と権限による権威は凄まじいものになった。
その権威でもって他の領地を威圧しつつ、必要であればその権限で国王派を――いや、叛乱勢力を討伐するのである。
「他の貴族領に関して、忠誠心はどのような状況なのです?」
「元から私に賛同していた貴族からはほぼ忠誠を得ている。国王派貴族からは『当主不在のため回答延期』の通達がいくつか来ている以外は、渋々了承といった風だよ」
「……思いの外、順調ですな?」
「何せ、その国王派貴族の当主はクラクフスキ公爵の協力のおかげで塀の中だからな。我々に対する攻撃ができんのさ」
「なるほど。案外、大公殿下は辛辣なお方だ」
先ほどの閣議よりも実質的な会話が続いている。
それはシェミール伯爵がこの政変の中核に位置する人間である何よりの証拠である。だがそんな彼でも、わからないことはいくつかあった。
「しかし殿下。私には不思議に思っていることがあるのです」
「なんだ?」
「『もう1人の殿下』について、ですよ」
それは紛れもなく、エミリア王女のことであった。
エミリアは現在でも宰相府に監禁中である。しかし満足のいく食事や必要最低限の娯楽は提供されており、また専用の近侍(監視とも言う)もついている。
「さっさと殺すなり、物好きで粗野で無知無能なヴァルター皇子の玩具してさしあげればよろしいのに。いつまでもお近くに置いておくのは、やはり親族の情愛というものですか?」
「……伯爵、口が過ぎるぞ」
「それは失礼。ですが殿下、あえて申し上げます。失敗の原因となる芽ははやく摘むべきです。少なくとも、宰相府に置いておく必要はないでしょう。どこかの秘境にそれなりの礼節でもって監禁するのがよろしいかと」
近くにいると鬱陶しいことになりますからね、と伯爵は続ける。
宰相府にまだ王女がいるだけで勇気づけられ、叛乱を促す口実を与えかねない。王女の生存という事実がそうさせる。
その点で言えばヴオストマルク帝国ヴァルター皇子の嫁にするのは良い。口実もあり、機会もある。ヴァルター皇子もエミリア王女を欲しがっている。
しかし、大公はあえてそれをしなかった。
理由は、酷く単純である。
その理由を、カロル大公は懐から出した。
「我が親愛なる隣国から、このような私信があってね」
1通の簡素な封筒。どこにでもあるただの手紙。
ただ普通の手紙とは違うのは、東大陸帝国皇室の紋章『双頭の黒鷲』を模した封緘がされていることだった。
「……これは」
「そうだ。東大陸帝国皇太大甥……いや、第60代皇帝セルゲイ・ロマノフ陛下からだ」
先帝イヴァンⅦ世が崩御し、至尊の座を受け継いだセルゲイからの手紙。
余程重要な手紙に違いない、そう思いつばを飲み込んだシェルミーは、その手紙を読んであっけにとられた。
曰く、
『もし我が親愛なる友人である貴殿が、何か大事を成すつもりであるのなら、王女を傷つけることのないように願うものである』
と。
「…………」
「まぁ、そういうことだ。外務尚書が言っていたが、陛下はエーレスンド条約の会議にて非公式の求婚をしたらしいからな」
「…………ははっ」
大公の言葉を聞いて、シェルミー伯爵は笑うしかなかった。
祖国平和評議会……いったい何が元ネタなんだ……(すっとぼけ)




