曇りのち雨
2話連続投稿です
シレジア王国は国土全体が平坦である。
故に、雨雲を遮るものが少なく急な雨に苛まれることが多い。特に夏場は、夕立のような通り雨に襲われることもある。時間としては数十分に満たない事も多いため、本当に「悩む」だけである。
……本来は。
「……おっと」
最初にそれに気付いたのは、王都防衛師団所属の少尉だった。
「連隊長殿。『雨雲』が接近しています」
少尉は雨雲の接近を上官たる連隊長に報告。本来であれば大したことはない、報告すべき事柄ではない事なのだが、今日だけは違った。
クラクフスキ公爵家で開かれている貴族の饗宴会は「野外」であるためだ。
「わかった。各隊に『荒天注意警報』を出し、所定の行動に移るように」
「ハッ」
連隊長の指示に従い、王都防衛師団第2歩兵連隊はその準備をする。第2歩兵連隊の動きに反応して、他の部隊も動く。また伝令が放たれ、王都郊外で開かれている饗宴会会場に向かった。これは会場を警備している王都防衛師団第1歩兵連隊に状況を知らせるためである。
王都防衛を主任務とするだけあって、隊員の練度は凄まじく、すぐに準備は整った。
問題があるとすれば、部隊の動きを見ていた王都防衛師団ではない、駐屯地勤務の軍属の言葉である。
「流石本職の軍人は凄いな。俺の目には、全く雨雲なんて見えないぜ。どんだけ視力良いんだか……」
王都防衛師団所属の少尉が「雨雲」を見つけてから30分後。その報告はクラクフスキ公爵家の下にももたらされた。
しかしその情報が饗宴会参加者に告げられることはなかった。代わって彼らに告げられたことはもっと別の事である。
「皆様!」
饗宴会の途中、クラクフスキ公爵の言葉によって園庭で花開いていた会話やオーケストラによる演奏は中断された。皆が何事かと公爵に視線を集中させる。
国王・王女派貴族とその護衛、及び近侍、およそ150対の目である。
「本日は私の私的な饗宴会にご参加いただき、誠にありがとうございます!」
公爵は年に見合わぬ声を張り上げて、演説を始めた。
曰く、これほどまでに大規模な饗宴会を開くことが出来たのは敬愛すべき国王陛下の御力によるものである、と。
曰く、しかしこの国は未だかつてないほどの危機を迎えているのもまた事実である、と。
国王派筆頭による饗宴会開催は、大公派から見れば決起集会に見えただろう。だが実際問題、名目上はともかく実質上はそうであったに違いない。
国王派貴族の信頼と絆をより深めるための集会という意義がここにあり、そしてその筆頭による開催なのだから皆がそれに参加する。国内外の情勢が安定している今だからこそやるべき事態であるはずだ。
……と、誰もが考えていた。
「そこで、皆様に本日の特別ゲストを紹介したいと思います!」
特別ゲスト?
と、誰もがそこで首を傾げた。
「お父様は聞いていますか?」
「いや、聞いていないが……」
エミリアもフランツも同様だった。
見れば、主催者側である公爵家の使用人も頭の上に疑問符を浮かべている。それを見た参加者はさらに困惑と不安を顕わにする。
クラクフスキ公爵の背後から数十名の武装した護衛と共に現れたのは、公爵や、エミリアやフランツなどよりも煌びやかな衣装に身を包んだ男の姿。年齢は、外見から見るに20代前半。相当な格式の高さを持つはずの人物だが、しかし参加者の殆どはその顔に覚えがなかった。
「では、紹介いたしましょう」
クラクフスキ公爵家当主、アルフレト・クラクフスキ公爵が叫ぶ。
「オストマルク帝国帝位継承権第7位にして、エミリア・シレジア王女殿下の婚約相手でもある、ヴァルター・アウグスティーン・ダミアン・フォン・ロマノフ=ヘルメスベルガー皇子殿下でございます!」
「!?」
その瞬間、エミリアは凍りついた。
馬車の事故によって遅れると聞いていた人物が、今目の前にいるという事実に。
饗宴会会場は騒然とする。あれがエミリア王女の婚約相手か、と驚く人間ばかりである。
確かに彼がヴァルター皇子であることは間違いないと、誰もが思っていた。それはオストマルク帝国皇帝家の人間しか持っていないはずの印を、彼が掲げていたからである。
「お集まりの皆様。私は栄えあるオストマルク帝国皇帝家の1人、ヴァルターでございます!」
ヴァルターは口を開く。
エミリアにとって初めて見る顔、初めて聞く声、初めて見る所作。どれもすべてが皇族に相応しいもの。しかしエミリアがそこから感じ取ったのは「嫌な予感」だった。
自分を驚かせるため、というサプライズを思いついたのはまだいい。それを実行するのも、まだ許せる。だが彼が事故で遅れることを隠す必要性、そしてそのことを使用人や他の貴族、国王にまで隠す必然性が果たしてあったのかということ。
さらに言えば、国王派の集まる貴族集会に彼を乗り込ませる理由もわからない。何をしているのだろうかという不安感が嫌な予感となってエミリアを襲うのである。
「エミリア殿下、どうか壇上に。皆様にご挨拶致しましょう」
いつの間にか近くに来ていたクラクフスキ公爵にそう声を掛けられ、エミリアはその困惑を保持したまま連れ去られるようにヴァルター皇子の下へたどり着く。国王たるフランツも、それに続く。
そして彼と横並びになったとき、ヴァルターはエミリアの肩を抱いて演説した。
「ご存知の通り、私とエミリア王女殿下は既に婚約を決めております。私たちは夜毎に愛を語らい、そしてひとつの『約束』をしました」
嘘である。
無論だ。彼とは初めて会うのだから。会っていない人間と約束など出来ない。愛を語らったことも一切ない。
堂々と嘘を吐き、初対面の女性に馴れ馴れしく触ってくる皇子に愛情を持てるほどエミリアは尻軽でもない。夜毎に愛を語らったことなどない。その時のエミリアは、自分はまだ処女であることを主張したいほどに怒っていたかもしれない。
「その『約束』とはこの国憂いを断つこと。この国に蔓延る病を断ち切ることであると。この国を冒す病、即ち国が分かれ戦う危機にあると言うこと……しかし、優しきエミリア王女はそのようなことは望んではいない。如何なる理由あれど、国民の血を流すことは許されないと!」
拳を使い、声を張り上げて演説するヴァルターの傍で、エミリアは嫌悪感を超えて憎悪に似た感情をも生んだ。しかしそれに構わず、ヴァルターの演説は続く。
「だがその意思は、更なる軋轢を生むことになる。叛乱の芽は早いうちから対処すべきであります。私はそれを説得しました。そして、私の未来の妻となる女性、エミリア・シレジアはついに重い腰を挙げたのです! この国を蝕む病を、その病巣を断つと! 私の持つ力、オストマルクの持つ力によって!」
ヴァルターはそこで一度区切り、息を大きく吸って、それを声に変換して叫ぶ。
「即ち、我が帝国と協力し、そして病の源を殲滅すると。そして病の源は言うまでもなく――この場に集まる不埒な人間であり、エミリア王女を守るという建前を持ちながら自らの権益を主張する人間たちであると!」
瞬間、園庭は凍りついた。誰もがヴァルターの言葉を理解できなかった。
隣に立つエミリアも、フランツも理解できていなかった。
だがその場で、その言葉をすぐに理解出来た人間が2人いた。
1人は、クラクフスキ公爵家の当主アルフレト・クラクフスキ公爵。
そしてもう1人は、その公爵とかつて深い仲にあった人物。彼は、エミリアらの立つ壇上から反対側にある入り口から、数百名の兵を引き連れて園庭にやってきた。
「叔父様……!」
つまり、カロル・シレジア大公である。




