理想論
クラクフ総督たるヴィトルトには、説得すべき人間がいた。
妹、マヤ・クラクフスカである。
「マヤ。お前にとって、公爵家の責務とはなんだ?」
しかし事の事実を、いきなりぶつけるだけでは説得できない。そう考えた彼は、そこから会話を始めたのである。
「……突然なんですか、兄上」
「いいから、答えてくれ」
第3騎兵連隊の不正事件に関することを報告していた場で、急にこのことを聞かれたマヤは一瞬戸惑うしかない。しかし数秒あれば、彼女はハッキリと自分の答えを出す。
だがそれは、兄の望む答えではなかった。
「公爵家の責務は、国王陛下の忠実なる家臣として王国を守ることにあります」
「…………そうか」
マヤの答えは真っ直ぐである。
曲がったマヤ、というのはそれはそれで妙な人間になってしまうが、それでは兄としては不服だったのである。
この彼女の意見は、別に間違っていたわけではない。
元来、国王と貴族は主従の関係にあるのだから、国王の忠実なる僕として行動することを信念とするのは間違っていないし、むしろ正答とも言える。
だが、正答が正義であるとは限らない。
「私の意見とは、違うな」
「では兄上にとって、公爵家とはなんなんですか?」
「公爵家の責務は、領地にいる民を守ることにあると、私は思うよ」
兄の意見もまた、正しきものである。
マヤとは違うのは守るのは王国か領民か、ということである。それは領民と王国が同時に危機にさらされた時、マヤは王国を守ることを重視し、ヴィトルトは領民を守ることを重視すると言いかえることもできる。
「私は、領民を守るためであればどんな手でも使うよ。売国奴と罵られようがね」
「兄上……?」
ヴィトルトの言葉に、マヤは困惑する。
彼の態度は、まるでなにか具体的な危機が領民を襲っているかのようであったからである。
「国家を守り領民を救えなかった、とあれば私は総督として領民に顔向けできないからな」
「それはそうです。私も、領民は守りたいです」
誰が民を守りたくないと思うのか。そう思うのは自らの富を築き上げることにしか興味のない無能だけであるはずだ。
マヤも、民のためであればそれを実行したいと思う。その心は兄と同じである。
「ではマヤに問おう。マヤ、もしエミリア王女殿下を犠牲にしなければ領民を守れぬとき、お前はどうするのだ?」
「それは……」
マヤは、口を閉ざすしかない。
何年も付き従っていたエミリアを犠牲にするなど考えたこともないのだ。
エミリア一個人の命によって数万、数十万の民衆の命が救えるなら、エミリアを犠牲の祭壇に捧げた方が良いという理屈は確かにマヤにも通じる。だが……。
「エミリア殿下も、領民も救ってみせます。どちらかの選択にならないように、私は努力しましょう」
「模範解答だな」
実際、それが理想である。
理想論である。
だがヴィトルトが思うに、この国は既に理想論でどうにかなるレベルを超えていた。
「……兄上、どうしたのですか。このようなことを急に」
マヤは再び問う。今日の兄は、随分と様子がおかしいと。それに対するヴィトルトの答えは、答えになっていないものだった。彼は、荘厳な形をしている振り子時計を見ながら呟くように答えた。
「…………そろそろ、時間だなと思ったのだよ」
「時間、ですか?」
「あぁ」
そう言ってから、彼は答えた。
「我が公爵家が、重要な決断をする時がね」
この話を第377部の後半に入れるつもりだったのに入れ忘れてそのまま投稿してそのことを忘れていた無能がいたらしい(テヘペロ
夕方にまた1話投稿する予定です




