道すがら
8月31日。
王都郊外にあるクラクフスキ公爵家の屋敷へ向かう街道に、豪奢な馬車による列が作られている。
これは皆、今日開かれる公爵家の饗宴会に赴く貴族の馬車である。
その中には内務尚書ランドフスキ男爵、財務尚書グルシュカ男爵の姿があり、それ以外にも国家の重責を担う者達が列をなしている。それを警護するのは各貴族の護衛隊、及び王都防衛師団である。
そしてその中でも、ひときわ目立つ一団があった。
「これほどの規模となる饗宴会は、昨今では珍しいですね」
「そうだな。色々政治的しがらみもあろうし、なにより戦争もあったからな。そういう余裕もなかった」
王女エミリア、そして国王フランツの乗る馬車である。
当然、その馬車だけが厳重すぎる警備の中にいた。親衛隊、近衛兵、国王派貴族の私兵、国王側近の従者などである。
厳重すぎるがゆえに、馬車は人が歩く速度よりだいぶ遅い速度で街道を進んでいる。そのため傍にいる隊商は些か不満そうな顔を見せつつ、しかし文句を言わず頭を垂れている。
そんな商人や旅人たちの様子を見ながら、エミリアは呟いた。
「あぁいう光景を見ると、しなくていいと考えてしまいますね」
「そう言うな。要人が集まることは国家にとっては大事なこと。一堂に会して交渉するなり議論するなり、あるいはコネを作ったりするなりできる。エミリアも将来は我が国初となる女王となるのだ。絶好の機会、覚えていた方がいいぞ」
「はい、お父様。しっかりと学ぶ所存です」
元老院による合議制を採用しているリヴォニア貴族連合の者であれば、このような会話を聞いてあきれることこの上ないだろう。実際彼の国では定期的に元老院を開く義務があるので「絶好の機会」などは存在しない。
だがシレジアには「定期的に国が開催する議会」が存在しないために、貴族の私的な宴会が国家の方向性を決めることになる。
そしてエミリアは、そのような「国家の方向性を決める貴族の私的な宴会」に参加するのは、今回が初となる。
過去エミリアが参加したのは政治的パフォーマンス以上の意味がない宴会と、戦場だけであるのだから。
そう言った意味では、彼女はとても不安だったに違いない。
「私が王になることについては、少々不安ですね。お父様のようになれるかどうか……」
「いやいや。私を範とするのは間違っているぞエミリア。何せ私は、閣僚たちとの仲違いが絶えんからな」
そう、フランツは自嘲気味に言ってみせる。
国王には閣僚人事に関しての裁量権がある。誰を尚書に任命し、誰を解任するか。それは国王の一存で決められる。
だが派閥争いが続く王国において、特定の派閥の人間を排除してしまうことは決して好ましいとは言えない。それは敵対派閥からの猛烈な批判と反発を招くことになり、かえって国家運営に重大な障害をもたらすからである。
故にフランツは自分に敵対する派閥の閣僚、特に宰相などは解任しなかったのである。
もっとも、その派閥争いが続く閣僚陣を上手く説得して柔軟な国家運営が出来たかと言えば疑問符がつかざるを得ないのであるが。
だからこそ、エミリアにとって不思議となることがある。
国王と宰相の関係、兄弟の仲が決定的に悪くなった件について。
「お父様は、どうしてお母様と結婚なされたのですか?」
エミリアの母マルセリーナは、平民出身である。
国王フランツと結婚した時点で「大公」の爵位を得たが「穢れた平民の血をひく女性である」という風評は、彼女が産褥熱でこの世を去るまで尾を引いた。むしろ「身分を弁えない人間に神罰が下ったのだ」と言われた程である。
「……私がお前の母を愛していたから、ではだめかな?」
「ダメだと思います。貴族社会の荒波に放り込んだようなものではないですか。それは、互いにとって不幸を呼び寄せたことには他なりませんか?」
マルセリーナがもし貴族であれば、もっとマシな結婚生活を営んだことだろう。
しかし彼女は貴族ではなく、賤しい身分の人間だったために、特殊な慣習に縛られた社会から排除されようとしていた。
それがどんなに辛いことかは、最早説明不要である。
フランツもそのことがわからない程、女性の心が読めないわけではないはずだ。であればなぜ、フランツは結婚を決めたのか。
エミリアはそう思ったのである。
フランツはエミリアの問いに「私がマルセリーナを愛していたからのは変わらないが」という前置きをして、それに答える。
「そうだな。とりあえず理由は2つある」
「2つ、ですか」
「あぁ。1つは政治的な理由だな。貴族と結婚するというのが、少し嫌だったのだ」
「……それは政治的な理由なのですか?」
「無論だよ」
貴族と結婚することのメリットは、その貴族の力を利用できることである。国内外でその貴族の強力なバックアップを得て、自国を導くことができる。
しかしそれは、諸刃の剣でもあった。
「貴族と結婚すれば、その貴族の力を得られることができる。だがそれは同時に『外戚となった貴族の力に、王国が左右されてしまう』ということが起きえるのだ」
元々、貴族と言う階級は、大雑把に言ってしまえば「領有する貴族領を独占的に経営することができる」人間であると言える。即ち地方の豪族の親戚のような物であるのだが、そのような人間に国家全体が振り回されるということがあり得るのである。
このことは、実際大陸では何度も起きていることである。王族と貴族の立場が逆転し、実質傀儡となり下がる。
故に時の王たちはこの逆転現象をなんとかしようと奔走し、成功したり、あるいは失敗して失脚するのである。
「実際私の父親、つまり先王ヴァツワフはそれで揉めたのだよ。私が知っている父は、外戚の圧力に負けて身心を疲弊させた姿が殆どだ」
「……それで、平民と結婚を、と考えたのですか?」
「そうだな。政治的無欲無色な貴族など私が知る限りにおいては存在しなかったし、反シレジア同盟なるものがあるせいで、他国の王侯貴族は私に見向きもしなかったからな。他に選択肢はなかった」
なるほど確かに、とエミリアは納得した。
貴族は基本的に自分の領地と特権が大事な生き物であるし、そのしがらみをなくすには庶民出身というのは良いだろう。
「それに、弟が頑張ってくれたからな」
「叔父様が?」
「あぁ。あいつが外交で頑張ってくれたおかげで、結婚に関する内政干渉は殆どなかった。こっぴどく怒られはしたがね」
問題は「怒られた」という次元で済む話ではなかった、と彼が気付いたのが遅かったことだが。
しかし平民との結婚は、意外な効果をもたらしもしたとフランツは語る。
それはカールスバート共和国世論の反シレジア感情の鎮静化だ。
平民に権利を与え、平民を政治に参加させることを良しとしたカールスバート共和国において、王族が平民と結婚したという報せは好意的に受け入れられたのである。
その世論の軟化を利用して進められたのが、締結寸前に軍事政変で破棄された「シレジア=カールスバート不可侵条約」だったわけである。
「その点で言えば、エミリアは恵まれている。カールスバート、オストマルクと友好的な関係を築くことが出来たからな」
「そうですね。実際、私はオストマルク皇族とのお見合いを控えているわけですから。……それでお父様、2つ目の理由はなんですか?」
「あぁ、それは簡単だ」
そう言って、フランツは僅かに微笑んでみせた。その様子を見て、エミリアは「あぁ、凄い私的な理由だろうな」と察したし、そしてそれは正解であった。
「私もマルセリーナも幸せだったからだよ。結婚してからもね」
「……本当に?」
「あぁ。彼女が宮廷内で貴族連中に何を言われたか、私も知っている。だが、彼女は気にしていなかったのだよ。『幸せだ』とも答えてくれた。マルセリーナが天に召された後、側近たちや仲の良い友人にも聞いてみたが答えは皆同じだった」
自分はなんと幸運で幸福なのだろう。
彼女はいつもそう言っていたらしい、とフランツは言う。
「まぁ、そんなところだ。納得してくれたかな?」
長い話を終え、ふっと息を吐くフランツ。昔話を終えたあとの何とも言えない高揚感に、彼はつつまれていた。
しかし対するエミリアは、フランツとは別の何とも言えない感情に襲われていた。
「――もしエミリアが望めば、私はエミリアが平民の男と結婚するのを許可しよう」
フランツは唐突にそう言った。
自分から、オストマルク皇族の見合いを進めたくせに、急にそんなことを言うのだから、エミリアは大いに混乱したに違いない。
だがフランツは、割と本気でそれを言ったのである。
まるで、エミリアが「平民の男と結婚したい」と思っているかのような発言であった。
しかしながら、エミリアにはそのような考えは頭にはなかった。そのため彼女は、先程の父親の言葉のように微笑みながら冗談っぽく言ってみせた。
「やめておきます。お父様のように、相手を幸せにできる自信がありませんから」
それは、エミリアの本心であったことは言うまでもない。
そして馬車は、間もなくクラクフスキ公爵邸に到着する。
ある意味「昔の話4」です




