不穏な動き
ラデックくんがユリアを連れて私の下に訪れたのは、8月28日のことだった。
「君が私の下に来るなんて珍しいな。用があるのなら私が駐屯地に赴いたのだが……」
「いや、事が事でな。駐屯地の中では話せない内容なんだよ、クラクフスカ嬢」
相変わらず、ラデックくんは私の事を「嬢」と呼ぶ。もうそんな歳ではないのだが、いつまで経っても兄や父の勧めを断って結婚しようともしない私が悪いせいもある。
「ユリア殿がいる、ということは彼女絡みかな? 大人しい子だが、何か問題でも?」
「いやいや、大人しすぎて不安になるくらいさ。マリノフスカ嬢相手ではないと、なかなか喋らないし感情はないしで」
「まぁ、そこは慣れだな」
数ヶ月程一緒にいれば、表情や行動から何を考えているかわかる。
……もっとも、何を考えているかわからないときの方が多いのも事実なのだ。それがわかるのは、野性的な勘に優れるサラ殿だけだろう。
「それで、ユリア殿の話ではないとするとどんな話なのだ?」
「……ちょっとした報告、と言えばいいだろうか。ちょっと統計部の人間に伝えたいんだ」
統計部の人間、と彼は言った。
それは暗に「本来であればユゼフに言いたかった」ということになる。情報分析の専門家に相談したかったと。
私がその点においてユゼフくんに負けるのは認めている。餅は餅屋。得意な人間に任せた方が効率がいいのは事実だ。
しかし彼は今クラクフにはいない。それどころかシレジアにもいない。
彼からの定期報告は、戦地ということもあってか滞り気味だ。まぁ、彼の事だからまさか戦死する羽目にはならないだろう。
……話が逸れた。元に戻そう。
ラデックくんが、情報を持ってきた。補給参謀として日々の仕事をそつなくこなす彼が。つまるところ、駐屯地の物資の動きに何か不穏な事があったと言うことだろう。
そして私の想像通りの事を、彼は言った。
「駐屯地倉庫の物資の動きが、妙だ」
と。
概ね予想通りだが、何も珍しい話ではない。
「物資の横流しということか? それなら、警務の人間に話した方がいいと思うが?」
軍隊内における犯罪を取り締まるために、警務隊が組織されている。軍隊の中の警察機構。軍隊が市井の治安を維持し、そして軍隊内の規律を維持するための部隊だ。
物資の横流しは、どこの国でも起きる一般的な軍の不祥事。警務に任せた方が、何かと都合がいいはずだ。なぜ彼が私にそれを相談したのかわからない。
「いや、恐らく警務の人間も信用できない。だからクラクフスカ嬢に報告したんだ」
「……警務の人間が主犯だと言いたいのか?」
確かに、その可能性がないとは言えない。
取り締まる側が犯罪を起こす可能性は決して低いものではないし、治安維持の権力を握っているからこそその道に走ってしまう者もいる。
だが駐屯地の警務が不祥事を起こしたというのなら、さらに上位の機関に任せればいいし、もしくは別の機関に任せるのも手だ。
例えば、宰相府国家警務局。
例えば、軍管区直属の警務隊。
残念ながら統計部は治安維持を目的とはしていない。その辺の人間に任せればいいと思うのだが。
「……とりあえず、これを見てくれ」
そう言って彼が渡してきたのは2つの資料。
1つは、クラクフ駐屯地及び近隣駐屯地が作成した公的資料。
1つは、彼自身の手で私的に纏めたものだ。
そしてどちらも、クラクフスキ公爵領にある各公的施設に保管される軍需物資の保管量や動きを纏められている。
駐屯地に死蔵された物資、廃棄された装備。その全ての情報。
膨大な量の物資の動きである。それを纏めた彼の能力は素晴らしいかもしれないが……。
「特に不審な点は見られないが?」
別段、何もない。
駐屯地同士の物資のやり取りや、統廃合される部隊から放出される余剰物資の動き、時間経過による自然損失、全ての物資の動きは何もなく正常に動いているように見える。
「……確かに、俺も最初はそう思ったんだ。だが、ユリアがな……」
「ユリア殿が?」
ラデックくんと私は、ほぼ同時に彼女の方に目を向ける。だが、彼女は何も反応せず、ぼーっと立っているのである。
「ユリアが、ある部分に注目してな」
「ある部分、とは?」
私が疑問を呈すると、彼は資料のある一点を指差した。
そこにあったのは、エミリア王女殿下と近衛師団第3騎兵連隊が王都へ向かった時の物資の動きを纏めたものである。
一見、何の変哲もない。
近衛騎兵が持参していった物資の量、行路途中で購入した物資の金額と量。彼らはラデックくんの真面目な仕事によって、死蔵されていた物資を利用し、それでも足りない分を道中で補っていた。
だが、そこで違和感があった。
私も、第3騎兵連隊の必要物資の量を計算する立場にいたからわかる。部隊からの要請と、ラデックくんの仕事によって算出された量。
物資横流しは、実際使用量を水増しして要望書を作成し、差額を懐に入れるのが基本だ。
そして今回の場合、死蔵物資が足りないから行軍途中で購入することが決まったのである。
しかしラデックくんが作成した私的資料と、駐屯地が作成した公的資料で物資の量に差はないのだ。
これだけ見れば、何も問題はない。極めて順調だった。
だがラデックくんが作成した私的資料には、別の事象が記載されていたのである。
「『行軍途中で徴発された物資の量は僅少で助かった。軍の優しさに感謝する』という感謝状が、駐屯地に来たそうだ」
「…………」
つまり彼らは、駐屯地からあてがわれた資金と徴発要望書を、使用しなかったのである。
そしてそのことを伝える「感謝の言葉」が住民からあっても、駐屯地はなにも不思議に思わず資料にも手を加えなかった。
資金と要望書は、そのまま第3騎兵連隊が持ったままだ。そして駐屯地はそれを把握しているが、対策を講じようとしてない。それどころか、公的資料を訂正しようともしないし、補給参謀であるラデックくんに報告もしなかったのである。
……ラデックくんが警務に連絡しなかった理由が、わかった。
「ユゼフくんに連絡しよう。もしかしたら……」
まさかとは思うが。
……でも、嫌な予感というのがある。
要約:エミリア王女護衛部隊が国民の税金を懐に入れる。駐屯地がそれを見て見ぬふりをする。




