補給参謀の仕事
補給参謀の仕事は、事務仕事の連続である。
そして補給参謀は計算式とグラフ、表で埋め尽くされた資料の山の中に埋もれて、数万の兵を養わなければならないのである。
亡国寸前のシレジア王国には、あらゆる物資を効率的に運用して死蔵を排除し、前線と後方を結合させる手腕を持った補給担当官が必要である。なぜなら、この国には無駄を見過ごせる程に国力豊かではないのだから。
「第151歩兵大隊の装備更新は完了。……第175騎兵中隊が、新設される第180騎兵大隊に統合されるのか。となると計算上は余剰物資がこれくらいできるから、それをヴロツワフに回して貸しでも……いや、あっちは確か小麦の余剰が発生してるからそれと交換させようか」
クラクフ駐屯地補給参謀、ラドスワフ・ノヴァクは効率的な事務という面においては流石商家の息子というところではある。規模の大きいクラクフ駐屯地では、彼の才能は遺憾なく発揮される。
……のだが、今日は別の問題もあった。
「大尉殿。第25工兵隊の装備点検の件でご相談が……」
ラデックの執務室に入ろうとしたこの工兵隊士官が、事務をそつなくこなすラデックの姿を見て固まり、入室を躊躇ったのである。
「……どうした、准尉?」
「それはその、私の方が『どうしました』と聞きたいのですが……」
准尉は、いっそのこと一度退室して予定はまた後日ということにしておこうかと迷った。別段、自分の相談は緊要の件ではないのだから、と。
しかしそれ以上に自分にも知的好奇心と言うものがあるし、軍規に逸脱する行為はたとえ階級が3つ程上の人間には諌言しなければならないのである。
「大尉殿、その……、その子供はなんですか?」
そう言って、彼はラデックの膝の上に乗っている『その子供』とやらを指差した。
その子供は、見た目は10に届かず、初級学校低学年の子供という風体。
髪の色は白で、そして机の下で足をぶらぶらさせつつ面白そうに、しかし表情筋の動きは少なく、ラデックの資料を見つめていたのである。
それは言うまでもなく、
「あぁ、これか。こいつはユリア・ジェリニスカ。友人の子供……というより養子だな」
「はぁ……」
ユリアが、彼の下にいるのには事情がある。
まず第一に、ユリアの法律上の保護者たるサラ・マリノフスカは現在シレジアにいない。ユゼフ・ワレサと共にオストマルクへ旅立ち、そして現在キリス第二帝国と戦っている。
そんな戦地に、年端もいかないどころではない子供を連れて行くわけにはいかない。そういうことで、マヤの下に(また)預けられたユリアだが、さすがにマヤも多忙の身であるため四六時中彼女の面倒を見ると言うことはできない。
その結果、ユリアの面倒をラデックが見ているということである。とりあえずは今日のところは。
「そういうわけだ。まぁ、子供だから大目に見てやってくれ。それにこの子の養母は、近衛騎兵の女性士官だから身元不明というわけでもないよ」
「……近衛騎兵の女性士官、ですか?」
ラデックの説明を聞いた准尉が真っ先に食いついたのは、女性士官の部分だったのはラデックにとって意外だったかもしれない。
だが、軍隊という狭い社会においてはむしろそうなることが必然なのだ。
「……大尉殿。もしかして、その近衛騎兵の女性士官と言うのはマリノフスカ少佐のことですか?」
「? あぁ、そうだよ。なんだ知っていたのか」
「それはまぁ、女性士官というのは数が限られますので……」
ついでに、エリート中のエリートである近衛騎兵ともなればさらに候補絞られる。
「マリノフスカ少佐に、子供ですか……」
そしてなぜか、サラが子持ちであることに目をパチクリさせる准尉である。
「養子だがな。まぁ、養父と養母に養子で見事な核家族を形成しているし、マリノフスカ嬢……じゃない、マリノフスカ少佐が帰ってきたら結婚式かもしれんな」
「けけけ、結婚式ですか!?」
「? なにを慌てて……あっ」
そこまで来て、ラデックは気付いた。
ラデック、そして同期生の多くはユゼフのこともあって忘れていたのだが、サラ・マリノフスカは結構モテる女性である。
容姿は言わずもがな。
性格は、粗にして野だが卑に非ず。
王国軍少佐、近衛師団第3騎兵連隊第3科長という地位職責。
そして美麗極まる馬術である。
そこに、軍隊という極めて発達した男社会が合わさると……ということである。彼女が持つ多少の暴力性など問題外の外だ。
「いやぁ、まぁ、その、なんかすまんな准尉」
「い、いえ。マリノフスカ少佐殿がご立派な女性であるからして、それ相応の恋人がいるというのはみな覚悟の上だった……と、思います」
若干声が震えながらも、平静を装う准尉。
だがそんな精神状態でまともな仕事ができるのかと問われればそうではなく、結局彼がラデックにしようとした相談は後日の事とされ、
「申し訳ありません大尉。私、今日はこれで……」
「お、おう」
准尉は体調不良を理由に戦略的撤退を選択した。
ラデックは落ち込む准尉の背中を見ながら、妙な責任感と罪悪感に包まれながら仕事を再開する。ラデックは既婚者にして王国随一の幸せ者なので、彼が負った精神的なダメージはすぐに回復するだろうが。
「さて、と。ユリアー? そろそろ膝から降りてくれると嬉しいなー。足が痺れてきたぞ」
彼はそう言ってユリアを下ろそうとするが、彼女は資料をまじまじと見つめて一向に動かない。一体何が楽しくて補給物資の貯蔵量を示した資料をまじまじと見つめるのかと思いながら、彼は強制的にユリアを下ろそうとする。
だが、彼はその時何かに気付いた。
「ん? これは……?」
そこにあるのは、何の変哲もない資料。
一見すれば、補給物資の貯蔵量の増減を示すグラフは何も異常はない。だが、彼は気付いた。
「……警務科に。いや、クラクフスカ嬢に連絡しよう」
大陸暦638年のシレジア叛乱。
その兆候に最初に気付いたのは、意外にも白髪の少女だったのである。




