大陸暦638年の大改革
なんだかんだ言って、ユゼフが請け負っていた仕事の数は多い。
彼の肩書は王国軍少佐にして、クラクフスキ公爵領軍事参事官、クラクフスキ公爵領総督府民政局統計部特別参与。
特に最後の統計部特別参与の職は、ユゼフが築き上げた情報網を管理する職であるために、非常に重要なものとなっている。
「そんなものをホイホイ投げ出して私に委ねるのは、どうかと思うが……」
主がいなくなった特別参与執務室で、マヤはそうひとりごちるのである。
彼女にとって不幸なのは、ユゼフがオストマルクへ行くと同時に、軍事査閲官の地位にあるエミリアも王都へ行かなくてはならないということである。
公爵領代理総督たる兄ヴィトルトにいくらか執務をゆだねるとしても限界はあるが故に、彼女にかかる負担はとてつもなく大きい。
「まぁしかし、嘆いたところで仕方がない。殿下もユゼフくんも、自分にしかできない仕事があるのだ」
そう割り切って、彼女は仕事に移る。
まずやるべきことは情報の精査。東大陸帝国、及びカールスバート復古王国に忍ばせた諜報員から得た情報、ならびにオストマルク情報省から提供された情報を纏め、精査し、分析し、推測を立てて結論を見出す。
情報も科学も、事象を細かく観察して分析するという点では同じである。故に、情報武官というのはえてして研究者のようなものになる。
「となると、魔研のイリア殿を呼んだ方がかえって効率がいいかもしれんな」
無論、それは無理なのだが。
マヤが今手にしている情報の量は膨大である。それに順列を付けてどの情報を優先的に分析するかをまず始める。
最も、この仕事はもともとユゼフがやっていたことであるために、マヤはどうすればいいか迷うしかない。一応彼からは仕事の引き継ぎや仕事の仕方を教わってはいるものの、限界はある。
「オストマルク情報省からは目立った情報はない……、カールスバートも同じか。リヴォニアはまず諜報員がいない。……この情報は信憑性が低い。あとで治安警察局に問い合わせるとして……」
そうしているうちに時間は過ぎ、気づけば太陽は傾きかけている。そんな時、執務室の戸がノックされる。
「誰だ?」
「私です、マヤ」
「……殿下! これは失礼を、今開けます!」
平気です、という柔らかな声と共に入室してきたのはエミリア王女。
「お仕事はどうですか、マヤ?」
「ハッ、慣れないことが多いですが順調です。ただ、エミリア殿下の手伝いまで手が回らず……」
「構いませんよ。過労で倒れる方が困りますから」
「重ね重ね、申し訳ありません」
王都召還命令を受けたとはいえ、エミリアも多忙の身だった。ユゼフ不在の公爵領における軍政業務は大変であると、彼女らは今更ながら彼の重要さを感じ取っていたのである。
「ところで殿下。どうされましたか?」
「あぁ、いえ。特にこれと言ってないんですよ。マヤの顔が見たかっただけです」
これじゃまるで、愛しの彼を待ちわびていた恋人みたいです。彼女は、そう言っておかしそうに笑った。
その言葉に問題があるとすれば、エミリアは現在進行形で待ちわびている身でもあるのだが。それに気づいた当の本人は、話題を変えてみせる。
「物はついでです。マヤ、何かめぼしい情報は入ってきましたか?」
「え、あ、ハイ。少しお待ちください……」
マヤは資料を漁り、重要な情報を探す。だがこれと言って緊急を要する情報はなく、故に優先度が高いと判断した情報を口にした。
「……そうですね。先月末にイヴァンⅦ世が崩御した、という情報が先程入りました。それに伴って、帝国全体が喪に服しているようです。故に派手な動きがありません」
「なるほど。……こう言ってはなんですが、皇帝の死が、少しばかり平穏な時代が到来したということでしょうか」
「それがいつまでかかるかはわかりません。東大陸帝国宰相にして、次期皇帝となることが確定したセルゲイ・ロマノフの大改革は、思ったより順調に進んでいます」
そう言って、マヤは資料をエミリアに手渡した。
資料にあるのは、後世「大陸暦638年の大改革」と呼ばれたセルゲイが行った一連の新政策の進捗を示した状況である。
セルゲイによる新政策は、彼が帝国宰相の地位を得た637年10月頃から活発に行われていた。
この大改革の3本柱は「外交政策の見直し」「農奴解放」「軍縮」である。
さらにその後「民政への注力」「軍警分離政策」などを実行に移し、国力を高めつつ治安を維持し国外情勢を安定させるという離れ業に挑戦したのである。
そしてその政策は、殆どが順調だったのだからさらに驚きである。
「新政策発表から数ヶ月。セルゲイの帝国宰相就任から数えても10ヶ月。帝国は凄まじい勢いで改革を断行しています。春戦争における貴族権威の失墜のおかげで、国家の根本から変える改革を行っても妨害が殆どないと言うのも理由のひとつかと」
「……しかしそれ以上に、セルゲイの手腕に恐ろしいものがある。そういうわけですか」
「はい」
認めるしかない程に、セルゲイは歴史に名を残すほどの偉業を短期間で達成しはじめている。
「農奴解放と民政への注力は、効果がでるのはまだ先になるでしょう。しかしそれでも、軍縮によって過酷な義務から解放された農奴は凄まじいものだと、情報にあります」
「……」
エミリアは、マヤが話した情報を前に黙るしかなかった。
強大になりつつある隣国の目的は、大陸の再統一。そしてその目的の前に真っ先に犠牲になるのは、隣国たるシレジア王国。
果たして、この国に勝てるのか。この帝国からシレジアを守れるのか。
エミリアはそう不安になるしかなかったのである。
セルゲイ視点の内政チート小説じみてきましたが問題ありません




