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大陸英雄戦記  作者: 悪一
砂漠の嵐
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間話:風邪をひいた少女と風邪をひかない少女の話

「『愚者は風邪をひかず』……と、昔からよく言いますが」


 11月1日、10時30分。

 風邪をこじらせ、長く病人用寝台の上で休養を命じられているサラに対し、見舞う気があるのかないのかという態度を取るフィーネが唐突にそう言った。


「……何が言いたいわけ?」


 サラは、病人故の覇気のなさでフィーネに言葉の真意を問う。

 問われた方の人間は、特に意味なんてないですが、と前置きしてから、丁寧にリンゴの皮を剥きながら答える。


「今回の場合、『愚者は風邪をひかず』というのが単なる風説であったことを喜ぶべきか、『マリノフスカ少佐が愚者ではなかった』ということに驚くべきかわからなくなりまして」

「……後半はともかく、前半はどういう意味よ」

「後半はよろしいんですか?」

「風邪ひいたのは初めてじゃないし……私バカじゃないし……」


 サラは憮然と、フィーネはやや微笑みながら会話をする。


 思えば、自分がマリノフスカ少佐とこのように会話らしい会話をするのは初めての事だったと、フィーネは感心しながらリンゴを切る。


「私はこの方一度も風邪をひいたことがないんですよ。だから愚者ではないかと不安でして」


 愚者が風邪をひかない。

 故に風邪をひかないのは愚者である、と考えるのは多少無理がある。


 当然そのことはフィーネがわからないはずがないので、サラはこれがなんとも迂遠的な冗談ではないのかと感じ取ったそうである。


「健康管理がしっかりしてるから、大丈夫なんじゃないの」

「あぁ、そういう解釈もできますか」


 なるほど、と頷く彼女。

 どこまでが冗談でどこからが本音なのかが掴みにくかった。


「さて、できましたよ少佐。知恵の実(リンゴ)を食べて治しましょうか」

「………………」

「特に深い意味はありませんよ?」


 本当に、どこまでが冗談なのだろうか。

 それを確認する方法は、風邪に悩むサラでは見つけることはできなかった。



 フィーネから渡されたリンゴを食べ終え、暫く横になったサラがふと窓を眺める。

 イムロズ島にある、仮設のオストマルク海軍前哨基地にいる彼女たちが見る光景と言えば、毎日が海ばかりだ。


 そして、この場にいないもう1人の軍事顧問団が出撃してからは、尚更である。


「……ユゼフ、怪我してないかしら」

「ユゼフ少佐のことですから、骨折くらいはしてそうですね」

「言えてるわ」


 そしてなぜか2人共、生死の心配はしていなかった。「危険な事には変わりないが、でもなんだかんだ言って無事に帰ってくるだろう」という認識が、彼女たちの心の中にあったからである。


 エミリアやマヤがこの場にいたのならば、その認識は「彼は退くべき点、攻める点を心得ているから」と真面目な理由を付けるだろう。


「戦場に行くことを躊躇わないわよね」

「そうですね。自分から進んで鉄火場へ向かう……武人としては当たり前と言えば当たり前なのですが」

「あいつを武人にしたら、その辺の子供も武人になるわ」

「まさしく」


 共通の話題と言えばユゼフの事くらいしかない、とは言え彼自身がこの場にいれば溜め息の連続だったことは疑いようのない。しかし彼がいる場では考えられない程、彼女たちの会話は続いていた。


 彼女たちが語るのは、他愛もないユゼフの悪口である。


「フィーネって、どうしてユゼフの事が好きなの?」

「……は?」

「だって、ユゼフって男らしくないしへぼいし女々しいし――」


 と、1分程ユゼフの悪口を言うサラ。それを聞いたフィーネは、


「…………それを聞くと、なぜマリノフスカ少佐が彼のことを好いているのか気になりますよ」


 と、ごく真っ当な疑問を口にする。


「別に、私はユゼフが男らしくないから好きになったってわけじゃないから」

「では、どういう理由で?」

「…………なんて言えばいいかわからないけど」


 そう言って、サラは語る。

 ユゼフと初めて会ったことの話。何が起きたのか、どう思ったのか。


「ていうことでまぁ、そういうことで……あれ? なんで私あいつのこと好きなのかしら?」

「少佐がわからないなら、私もわかりませんよ。それとも好きじゃないんですか?」

「いや、えっと、好きなのは確かだけど……なんだろう、信頼できるっていうか、背中を預けられるというか……私の事よく知ってくれてるっていうか……。って、なんでこんなことフィーネに言わなくちゃいけないの!」


 真面目に考え始め、恥ずかしくなって顔を赤くした彼女は布団に潜り込む。その顔の赤さが、風邪によるものではないのは誰の目から見ても明らかである。


「で、フィーネはなんで好きなのよ。こっちが言ったんなら、そっちも答えなさいよ!」


 慌てて自分に話を振るサラに対して、どう誤魔化してしまおうかと考えるフィーネ。

 しかし同時に、情報1つに対して情報1つを与えることもまた彼女の流儀である。


 少し悩んで、フィーネは自分の流儀に従うことにした。


「別に深い理由はありませんよ。ユゼフ少佐は私の事を理解してくれている。彼は私の事を好きだと言ってくれた。そして私は彼の事が好き。心の底から愛せる。それだけですよ?」


 そう、彼女は紅茶を飲みながら平然と言ってのけた。


「なんだか、聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるわ」

「恥ずかしがることはありませんよ。経緯は違えど、私たちは同じ理由で彼が好きなのですから」

「……そうね」


 サラは同意した。悔しいことに、自分が言いたいことを言ってくれた気分でもある。


 そしてサラは思った。

 気付けば、フィーネに対する敵対心や敵愾心なんてものがなくなっている。対抗意識というものも薄れてきている。


 奇妙な友情すら、感じてきている。


 なんだ、そういうことかと、彼女は笑ってみせた。


「? どうしました?」

「なんでもないわ。ただ……」

「ただ?」


 フィーネに問われたサラは、起き上がり、フィーネの目を見て答える。


「私たち、いい友達になれそう……って思ったのよ」

「……はい?」


 何を急に、と言うことはできなかった。


「だって、言ってみれば私たちは『趣味の合う人間同士』ってことじゃない?」

「まぁ、捉え方によってはそうですが」

「だから友達で良いじゃないの!」


 三段論法になっていないような気がしたのは、気のせいだろうかとフィーネは思った。

 友達とは本来そういうものでもあるとも、思うのではあるが。


 でも確かに、フィーネにも感じるものはある。

 いつも感じている、サラに対する嫌悪感というものがない。趣味の合う友人だと言われてしまえば、確かにそうかもと感じてしまう程に。


「……そうかも、しれませんね」


 そしてフィーネは初めて、口でサラに負けた。

 自分と彼女に妙な友情があることを認めたのである。


「友達になりましょうか、マリノフスカ少佐」

「うん。だから私の事は『サラ』でいいわよ!」

「はい。えっと、サラ少佐、でよろしいですか?」

「うん!」


 こうして、この2人は和解した。


 和解というより、出会った、という表現の方が適確であるだろう。

 この2人はこの日初めて互いを知ったのであるから。



 そうして、ユゼフの悪口を言って友情を深めた彼女らだが、自然とある問題にぶち当たる。


 それはやはり、2人が共通の人間が好きで、そしてその人間が、2人のことを同時に好きになってしまったと言う問題である。


 だがそれについてある解決策を持っていたのは、意外なことにマテウスと言う名の将官であったことを、フィーネが語った。


「解決策? あるの?」

「ありますよ。前例はありませんが」


 そう言って、フィーネがマテウスの言葉を自分なりに解釈して話す。


「ある事象、ある事柄、ある決まりというのは理由があります。重婚が罪とされているのは何故だと思いますか?」

「腹が立つからじゃないの?」

「……確かにその通りではありますが、答えはもっと簡単です」

「何?」

「法律でそう決まっているからですよ」

「…………」


 なぞなぞでも出題しているのか、と問い詰めたくなる言葉だったが、フィーネは至って真剣だった。


「そしてなぜ法律でそう決まっているかと言えば、それは宗教上の問題だそうですよ」

「宗教って、ペルーン教?」

「仰る通りです」


 最高神ペルーン曰く、人間社会は一夫一婦制でなければならない。

 それが社会を維持するために必要だから。


 最高神の決定は、預言者を介在して聖典に記される。時を経て人間社会は「大陸帝国」という法治国家を作り、元来の風習や宗教を基に法律が作られた。


「そして大陸帝国の法律を引き継いだ各国に重婚罪が引き継がれた、というわけです」

「……それで、その話のどこに解決策があるのよ」


 長い話を聞かされたサラは、急かすようにフィーネを問い詰める。


「重婚罪が『宗教の問題』であるということが、解決策を見出します。――ところでマ……サラ少佐。重婚以外にも、法律で制限されている婚姻があります。なんだか御存知ですか?」

「えっ、なによ急に。関係あるの?」

「ありますよ。……まぁ、時間がかかりそうなので答えを言いますが」


 風邪をひいてロクに思考が働いてなさそうなサラに問うのが間違っているのかもしれないと思ったフィーネは、早々に答えを明かした。


「近親婚ですよ。これも、同様に宗教上の問題で禁止されています」


 近親婚と重婚。

 この2つと、幼年者に対する婚姻が、ペルーン教で禁じられている婚姻である。


 それは「認めてしまうと社会に悪影響がある」という理由から来ている。


 時代が下れば、それに「近親者の遺伝子同を交じることは子に悪影響をもたらす」という生物学的理由、「円満な家庭や夫婦関係を崩壊させる。倫理的にまずい」という人道的理由がつくのだが、この時代にはまだ存在しない。


 しかし、この時代ならではの婚姻の問題もある。特に、近親婚が顕著であった。


「人口の少ない僻地の村や、あるいは王侯貴族社会においては『近親婚』なんて日常茶飯事ですよ」

「えっ、そうなの?」

「そうですよ。従兄妹婚・甥姪婚なんてザラにあります」 


 それは、伯爵家の娘にして貴族社会を生きる彼女だからこそ知っていることである。

 王侯貴族は、その高貴な血統を維持するために近親婚を繰り返している。


 そして田舎の村落では、人口が少なく結婚適齢期を迎えた男女というのは限られてくる。そのため、親類同士で結婚することもまたよくあるのだ。


「でも、近親婚禁止なのよね?」

「はい」

「じゃあ、なんでできるのよ?」


 サラの問いに、フィーネは紅茶カップに2杯目の紅茶を注ぎながら答える。


「簡単ですよ。法律で禁止されているのは、最高神がそう言ったから。なら、最高神にお伺いを立てて特別な許可を貰うんです」

「神様に許可って、そんなことできるわけ――あっ」

「気付きましたか、そういうことです」


 即ち、教会の許可である。


 田舎の村であれば、その村にある教会に。

 貴族であれば、その国の中央教会に。

 そして王族であれば、ペルーン教の総本山に。


「ペルーン教の教皇は神聖ティレニア教皇国の君主でもありますね。各国王族の近親婚を認める一切の権限を、一国の君主が握っているのは面白いです」


 そう言って、彼女は2杯目の紅茶を飲む。

 その脇で、サラが考え込んでいた。そこまで答えを言われて結論が出ないほどサラは愚者でもない。


 近親婚は宗教上禁じられている。

 しかしそれは、教会の許可があれば可能である。


 そして重婚や幼年婚も、近親婚と同じく宗教上禁じられている行為である。

 であれば、同じ理屈で「教会の許可があれば婚姻可能」であるかもしれない。


 サラは、シレジアの騎士カヴァレルである。

 フィーネは、オストマルクの伯爵令嬢である。

 そしてユゼフは、シレジアの騎士カヴァレルであり、カールスバートの卿である。


「つまり、シレジアとオストマルクとカールスバートの中央教会の許可が必要ってこと?」

「そういうことになりますね。総本山たる『聖ウラヌス大聖堂』でもいいかもしれませんが」


 どちらにせよ、だいぶ困難な話になる。そうフィーネは呟いた。


「これなら、フィーネからユゼフを奪った方がはやそうね」

「ふふっ。私もそう思いますよ。サラ少佐」


 そしてここでも、2人の意見が一致した。



 その長い話から数分経って、サラのいる医務室の扉がノックされた。


「失礼します。リンツ中尉に報告があります。入ってもよろしいでしょうか?」

「構いません」


 入室してきた男性の士官は扉を開け、しかし女性2人のいる空間に遠慮してその場から動かない。

 フィーネに報告書を提出した後は、挨拶を手短に済ませて立ち去る。


 その様子をサラは眺め、フィーネに確認する。


「……朗報?」

「えぇ、そうですね」


 受け取った報告書を、フィーネは読み上げる。

 それはユゼフが「大怪我をせずに生きている」こと、そして海戦に勝利したことなどが書かれた報告書だった。


「ったく、予想が外れたのがちょっと悔しいわね」


 そう言うサラの顔は、笑っていた。


「全くです」


 そしてそれは、フィーネも同じだった。

長くなりましたが、そろそろ終わりかも

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