セレスの戦い ‐狭間‐
敵が後方にいるという情報ほど恐ろしいものはない。
挟撃、補給線・後方連絡線の遮断、守るべき都市の陥落。憂慮すべき事態が多すぎる。
そしてこのセレスにおけるキリス中央軍にとっては衝撃は大きい。
サロニカ守備隊グレコ少将にとっては悩みどころである。この後方に現れた敵をどうするかによって、麾下の部隊がどのような運命を辿るのかが決まるのであるから。
「ただちに反転して敵増援を叩き、後方連絡線を守りきるか。それとも友軍との合流を優先して前方の敵を攻撃するのか……」
サロニカ堅守の考えはグライコス地方全体における中央軍の数的・兵站的不利という面において最早放棄せざるを得ない。実際彼もサロニカを出撃した時、敵陣を強行突破して友軍と合流する算段であったのだから。
故にグレコ少将はサロニカを放棄している。
しかし問題は、後方連絡線、殊に補給線は何が何でも堅守しなければならないということにある。
サロニカ守備隊の正面に立ちはだかる帝国軍2個師団は中央軍とティベリウス軍によって挟撃下にあるにもかかわらずなかなか突破できないでいる。長期戦の様相を呈してきたセレスの戦いで、補給線を失ったまま戦うことの難しさは最早論ずるに値しない。
短期決戦に一縷の望みを掛け、前日と同様に敵陣強行突破を試みるという選択肢。
長期戦を想定して反転し、補給線を確保するという選択肢。
どちらも一長一短である。
そんな時、彼が思い出したのはやはり前日の戦いである。
「挟撃下にあってもなお我々の攻勢をいなし続けた敵だが、前日の戦いでかなり消耗しているはずだ。それに補給の問題もある。些事に手間取って主事を忘れることはあってはならんな」
グレコ少将はそう言って1人深く頷く。
我々は消耗している。定員を割り、編成に偏りのある1個師団となった。しかし敵増援はたかだか1個連隊にすぎず、そして正面敵主力は孤立した2個師団でもあるはずだと。
「全師団に連絡。友軍増援と呼応し敵軍を中央突破、合流する。時間との勝負だ、急げよ!」
その決断は間違いではない。
彼の言う通り、細事に拘泥せず主たる目的を重視するのは司令官としてはなんら間違った話ではないし、むしろそれこそが重要な事である。
実際、帝国軍主力は消耗していたし、士気の問題もあった。だがしかし、それは帝国軍主力に限った話であり、グレコの背後に布陣した帝国軍増援部隊の論理ではないのである。
中央軍サロニカ守備隊の前進は、帝国軍増援部隊がその後背を討つ絶好の機会と同義であるから。
「……彼らの予測通り、というわけか」
オストマルク帝国海軍陸戦隊指揮官ヴィトゲンシュタイン海兵准将はそう独りごちる。
彼ら。
その単語が意味為すところは明白であった。
それは小型連絡船によって与えられた情報を基に今作戦を立案した、シレジア王国軍軍事顧問団という御大層な肩書をもつある青年士官であったことは間違いない。
その士官は、揺れる船の上で若干の不快感を覚えつつ、ヴィトゲンシュタインに作戦を上申した。
『我々が敵の後背に布陣することによって、敵は選択を迫られる。即ち前進か後退か……まぁ、前進すると思いますけれど』
『夜間の内に奇襲をかける、ということはしないのかな?』
『……陸戦隊の方々の練度を疑うわけではございませんが、リスクを考えると、ということでありますよ。無論、夜襲と見せかけて敵に嫌がらせをするということはしますがね』
『しかし夜襲に成功すれば、戦史に名を残せるほどの名誉を得られるが?』
『邪の道に入らず王道にて目的を達成できれば、あえて危険を冒して奇策を弄する必要はございません。名誉なんて、兵の命に比べれば安いものですよ』
とは言うものの、彼の作戦がなにもかも王道というわけでもない。
陽動と嫌がらせの攻撃、そしてなにより満足に連絡も取れない中での、帝国軍主力と連携して作戦を遂行するというのは並大抵の事ではない。
なにもかもお見通し、という事態にヴィトゲンシュタインは寒気を覚えた。しかしそんなことに悠長に構っている暇はない。現実問題、帝国軍主力は疲弊しているのだから時間は少ないのである。
「敵の後背を襲う好機を逃すな。サロニカへの偽装進撃を中断。騎兵大隊を先鋒にして敵軍の後背から攻撃するぞ!」
ヴィトゲンシュタインの指示に従い、部隊は急速に陣形を整えた。
その部隊の先頭には、もう1人のシレジア王国軍軍事顧問団の姿があった。
「……よし!」
彼女、サラ・マリノフスカ王国軍少佐は敵を見つめてそう口にした。短い言葉であったが、意味は深い。
それは敵部隊の防御上の弱点たる箇所を瞬時に見極め、どうすれば敵を最大限に翻弄することができるかという意味であるのだから。
「敵の左側の戦列が微妙に乱れてるわ。まずはそこに乱入して突破口を開くわよ。歩兵と共同して戦果を拡張する!」
まだ敵との距離がある中、数秒敵の様子を窺っただけでそれを見極めることができる。天性の才能をもつ彼女だからこそできる芸当であった。
その一方、そんな彼女が前線に立つことを快く思わない人間もいる。
「……本当に、なんでもうサラってば前線に立ちたがるんだろう。後方から見ることも勉強になるのに」
「少佐。あれはもはやそういう生き物だと思って諦めた方がいいですよ。確かに『軍事顧問団が最前線に立つとはどういう了見だ』と言われそうな光景ではありますが、戦果が挙がれば咎はないでしょう」
「でも、俺の制止を振り切って最前線に行くのはやめてほしい。胃が……」
まさしく、サラ・マリノフスカという人間はイレギュラーである。
そんな噂をされている一方、クシャミひとつしない彼女は準備が完了しだい前進を命令する。それは彼女の十八番、騎兵突撃。
歩兵による突撃、艦艇による強行接舷などとは違う、彼女が最も心酔している戦法である。
「――突撃ッ!」
サラの命令によって「セレスの戦い」最終楽章が奏でられる。
ユゼフ、フィーネ、そしてセレスにいる誰もが、戦史上注目されるべき戦いの目撃者となった。
サラが持っている勇敢さと獰猛さと、そして何より騎兵の持つ強大な衝撃力は、キリス中央軍の持つ個人的武勇などを簡単に吹き飛ばしてしまう程の力を持っていた。
さらにこの時、サラは無闇矢鱈な突撃にならないよう細心の注意を払っていた。それはユゼフが事前に彼女に注意したことでもある。
それは陸戦隊戦力が1個連隊と少ない中、さらに戦力が分散されてしまうという事態。つまりそれは、騎兵の速度に歩兵がついていけないという事態である。
騎兵が先鋒として突撃する中で歩兵との連携攻撃ということを頭に叩き込み、彼女は叫びながら敵陣目がけて突撃するのである。
「ハァッ!!」
事実上サラが指揮する陸戦隊1個騎兵大隊と、続くヴィトゲンシュタイン准将率いる2個歩兵大隊の白兵突撃はまさに戦場芸術の域に達していた。
この戦いにおける帝国軍の戦闘詳報が、情報省所属武官フィーネ・フォン・リンツの名において記録されている。
『10月2日10時44分。
王国軍少佐サラ・マリノフスカ、及び帝国軍准将ラルフ・フーゴ・フォン・ヴィトゲンシュタイン准将による歩騎共同突撃が開始。
キリス第二帝国中央軍サロニカ守備隊と思しき1個師団の左後方から突入。敵陣の中で右方向に針路を変え、絶対的な数的不利の中縦横無尽に走り敵を分断、潰走状態にすることに成功した。
敵の直中で、敵の指揮命令系統を混乱させ分断する様は、まるで死神の鎌が罪人の首を切り落とすかのように鮮やかで、破壊的なものであった。』
フィーネ・フォン・リンツという、いつでも堅苦しく感情を表に出さない人間に「公式記録の中で比喩を使わせる」という行為をさせる程に、サラ・マリノフスカの突撃は壮麗を極めた。
戦史上注目されるべき戦い、そう称される程に。
それは単に彼女の勇猛果敢な行動が絵になるから、という理由だけではない。
これは戦術的にも、極めて重要な意味を持つ戦いにもなった。
歩兵と騎兵、そして弓兵・魔術兵の連携。
サラは、ヴィトゲンシュタイン准将指揮の歩兵隊とライフアイゼン少将指揮の師団による突撃支援攻撃の下で、騎兵突撃を敢行した。
常人であれば、騎兵の突撃力と衝撃力、機動力、そして見た目の美麗さに惚れこんで騎兵の実力を過信してしまいがちなのだが、サラはそうではなかった。
騎兵は防御を捨て、ただ一途に攻撃力を高めた兵科。
そんな騎兵の弱みと強みを知るサラだからこそ、そういった他兵科の支援の偉大さを知っているのである。
「ま、ユゼフが士官学校時代私に色々教えてくれたからね!!」
と、彼女は後にそう述べている。
他方、キリス中央軍にはそれがなかった。というより、できなかった。
中央軍サロニカ守備隊は、籠城戦の中にあって部隊編成に偏りが生じていたのは何度も述べるとおりである。殊、魔術兵や弓兵、騎兵といった専門性の高い部隊の損耗は激しく、数だけの働きを見せることができなかった。
諸兵科連合の重要さ。それを知る意味で、この戦いは戦史上注目されるべきものであった。
「サラがそういうことを見抜いて、ああいう機動をしたのだとしても――俺はあまり驚かないよ。『だってサラだから』」
サラという人間であれば、それ程のことはやってみせるだろうという信頼の証。
しかしそれは「知らなくてもやっただろうなぁ」という諦めの言葉でもあったことは言うまでもない。
だが、そんなことに構っている余裕がない人間もまた存在する。
帝国軍主力と相対する、ティベリウス軍1万5000である。
「閣下、サロニカ守備隊から火の手が上がっています!」
「……クソッ!」
その報告に、ティベリウスは地面を蹴るほどに苛立っていた。それは単にサロニカ守備隊を救い出せなかったことに対する自責の念以上の想いがある。
ティベリウス軍の戦力は1万5000。対する帝国軍主力は2万。
帝国軍主力は、後方サロニカ守備隊8000の脅威に怯える必要がなくなったことで、数の利を生かせる時が来たのである。
「後ろを気にするな! 敵増援部隊を粉砕せよ!」
帝国軍ライフアイゼン少将は直ちに陣形を転換。マテウス少将と連携してティベリウス軍に攻勢を開始する。数に劣るティベリウス軍は、その攻勢を支えるのに精一杯であった。
「このままでは数に押しつぶされる……潮時かもしれない」
ティベリウスは、凡庸な将軍なら耳を疑いかねないほどにすぐさま撤退案を口にした。無論、彼の麾下にいる血気盛んな反乱者たちはそれを咎める。
「閣下! 我々はまだ戦えます! 御再考を!」
「そうです! このままサロニカ守備隊を見殺しにはできません! 1人でもいいから救い出しませんと!」
元々、彼らの目的がサロニカ守備隊の救出だっただけに、ティベリウスの決断は受け入れがたかったのもまた事実である。
無論ティベリウスも撤退することに、意気揚々というわけではない。理由はどうあれ、味方を見殺しにするという事実に苦悩していたのである。
しかしティベリウス麾下の1万5000の将兵もまた代え難い大事な味方であるのだ。
そう考え込むティベリウスにトドメを差したのは、敵ではなく最も信頼する人物のひとりからであった。
「閣下、我々に御命令ください。『同胞を救え』と」
「……フォカス大佐、か」
キリス第二帝国最強、いやティベリウス軍最強の鐡甲重騎兵連隊隊長、アデル・フォカス〝元〟大佐であった。




