セレスの戦い ‐挟撃‐
ティベリウス軍が攻勢に出れない一方で、相対する帝国軍の動きも慎重だった。
それはサロニカ駐留のキリス中央軍守備隊と、沖合に居るであろう友軍艦隊の動きがわからないためであった。
その拮抗状態に動きが生じたのは、翌10月1日のことである。
「第87騎兵偵察隊より報告。『サロニカ守備隊、出撃す。総数およそ8000』、以上!」
「……ついに来たか」
サロニカ守備隊の出撃は、帝国軍にとっては挟撃の危機を意味する。サロニカ守備隊とティベリウス軍を合わせれば、その総兵力は2万3000となり帝国軍のそれを超える。
なのに、報告を受けたマテウス少将は動じなかった。むしろそれを待っていたと言わんばかりの表情を浮かべている。
しかし事情を深く知らない伝令役のゼーマン曹長は、マテウスの心意を読み取れずに会話を試みる。
「各個撃破の機会がなくなってしまいました。如何なさいますか、閣下」
「……各個撃破など、最初から期待してない。あのような行軍を強行する部隊だからな」
「はぁ。では、どうするおつもりで?」
各個撃破せず、膠着状態に至る戦場を見やるマテウスとライフアイゼンの行動は、確かに不可解なものである。ティベリウス軍がそれに気付いていれば、何かしらの対応策を用意していたに違いない。
しかし不幸なことに、指揮官ティベリウス・アナトリコンはキリス第二帝国中央軍から離脱を決意したばかり。そのような状況下でサロニカ守備隊と連携がうまく行くはずもなかった。
両軍ともに思うように戦場を支配できず、目立った戦闘が発生ないという奇妙な戦いがここセレスにおいて繰り広げられていたのである。
その状況を破ったのが、先の第87騎兵偵察隊の報告と、そしてもう1つあった。
「閣下。敵が再び攻勢に出ました。左翼旅団です」
「……よし、風向きがよくなってきたな」
マテウスの言葉に、ゼーマンは再び頭の上に疑問符を浮かべる。
敵に背後を襲われ、正面の敵から攻勢を受けることが帝国軍にとってどのように有利になるのか、それが彼にはわからなかった。
しかしそれをマテウスに聞いたところで、理解できるゼーマンではない。なにしろ彼は一介の下士官にすぎず、戦術云々は門外漢であるのだから。
従って彼はマテウスに戦術を聞くのではなく、マテウスの命令を聞くことに決めた。
「閣下、如何なさいますか?」
「とりあえず敵増援部隊を牽制しよう。師団を前進させ、右翼方向から敵左翼旅団を横撃。どうせ後退するだろうから、無理強いを避けて遠距離からの攻撃に徹し敵の防御力を削りとることに専念せよ」
ややぞんざいに、彼は麾下の師団に下令する。
そして帝国軍のもう一方の将帥、ライフアイゼン少将はマテウスのこの行動に悪態を吐いた。
それは別にマテウスが悪手を打った、というわけではない。むしろ定石とも言える命令であった。
問題は、マテウスがその手にでたことによって自然自分の取る行動が決定されてしまったことである。
「私が先任であるのに面倒事を押し付けられるというのは如何なものか……」
「しかし、やるしかないでしょう」
ライフアイゼンの溜め息がちな愚痴に、彼の参謀長も肩を竦めながら答える。
「はぁ……私も奴に見習って面倒事を押し付けた方がいいか? レイトマイエル准将あたりに」
「やめた方がいいかと。今回の場合、閣下の師団が果たすべき責任は多大でございます」
「……正論だな」
参謀長に諭され、またしても深く溜め息を吐いたライフアイゼンは、麾下の師団に命令を下す。
曰く、マテウス師団を援護しつつ後方からやってくるサロニカ守備隊に対する防御の姿勢を取れ、である。
「これで負けたら、マテウスに責任を押し付けよう。今決めた」
そしてついでに、マテウスの知らないところで彼の職責は増大するのであった。
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サロニカ守備隊が帝国軍の背中を見た時、恐らくは勝利を確信しただろう。
敵を挟撃する絶好の機会だと。
「全軍突撃、敵の背中を刺すぞ!」
「「「応!」」」
長い籠城戦の末に部隊を8000にまで減らしていた彼らにとって、まさにこの挟撃は一発逆転のチャンスである。勝てば生き残れる上に武勲巨大として後世の歴史と人事部の記録に名を残すのだから。
そのため、補給や休息と言ったものが満足に取れない中にも拘らず士気は一定程度を保てていた。
しかしその士気で以てしても、帝国軍を分断することは叶わなかった。それはライフアイゼン少将の適確な防御指揮の賜物であったことは言うまでもない。
「敵は寡兵だ。1人ずつ確実に撃破し、陣形を撹乱し続ければ恐るるに足らん。秩序を持って行動せよ!」
ライフアイゼンは、挟撃下にあって味方の戦力移動と配置に気を使い、小隊単位で部隊を動かして有機的に、流動的に防御線を柔軟に変化させていった。
自軍に有利な状況下で必要最低限の戦闘を行い、自軍に不利な状況下では防御や後退を繰り返して敵の攻勢意欲を減衰、あるいは攻勢の隙をついて逆撃をくわるなどして確実に撃破していった。
この防御線においてもっとも活躍したのは、騎兵でも、魔術兵でも、弓兵でもない。単なる歩兵である。
彼らは指揮官の指示に忠実に従い、かつ常に動き続ける防御線に対応した。一線級指揮官の名の下で、彼ら歩兵は一線級の防御戦を演じたのである。
「士気も練度も高い部隊は、やはりいいものだ」
ライフアイゼンと、サロニカ守備隊指揮官はほぼ同時にそう思ったに違いない。
挟撃されてもなお頑強な防御陣を築き上げてキリス軍の攻撃をいなし続け戦局を有利にしつつある帝国軍と、そろそろ補給と士気に限界が近づいてきたキリス軍、あるいはティベリウス軍。
その戦いに終止符を打たれたのは、挟撃戦開始から6時間後のことだった。




